復活の山 箱根金時山



足柄箱根金時山
(登り2時間20分:下り1時間40分)







くも膜下出血の発病、危篤、生還、
そして頭部動脈瘤のクリッピング手術という
滅多に出来ないような経験をした僕にとって
発病以来ずっと目標にしていた
「再び山に登りたい」という願いを
かなえる日がついに来た。

2000年7月22日

箱根外輪山、金時山。

気温34度

晴れ。





2000年5月、その前の年に発病したくも膜下出血の元凶として
右後頭部に残っていた頭部解離性動脈瘤を
開頭手術によって閉鎖した。

いつ爆発するかわからない、そして一度爆発すれば
そのまま致命傷となる、確立の極めて高い爆弾の除去手術である。

6時間掛けて手術は無事終了し、爆弾は無事除去された。
動脈瘤の手前を金属性のクリップで留めたのである。

この手術により僕の後頭部の頭蓋骨は一部欠落し
その周りに40針の縫い跡が残った。

しかし、僕はその傷と引き換えに
再び大好きな山を歩き、山で息をし、山で汗を流し
そして何よりこれからの人生を
生き続ける権利を手にしたのである。





本来ならば、神奈川側からの登山基地となる
足柄地蔵堂前の駐車場に車を停め
足柄古道と呼ばれる峠道を歩き
万葉公園、関所跡、天聖堂といった名所を
巡りながら1時間半掛けて登山口に至るのだが
その殆どが長い林道歩きになるため
今回は万葉公園の先にある
足柄城跡広場の駐車スペースに車を停めて
そこから歩き始め
登山口を目指す事にした。
それでも約1キロ半のダラダラと登る林道を
歩かなければならない。

梅雨明けの陽射しの強さと高い湿度
そして何より長い闘病生活の末の
約2年振りの山歩きに
早くも顎が上がり始める。

それでもまた山靴に紐を通し
こうやって山を歩くまでに回復できた事に
心の中は充実感で一杯だ。




復活の山として金時山を選んだのには訳がある。

小粒ながら岩と急登をミックスしたようなこの山は
若い頃、僕が北アルプスを歩くための
ウォーミングアップゲレンデとして通い詰めた山なのだ。

長いブランクの後、再び山を歩けるようになった僕は
一からの出直しという意味で、何の迷いも無く
この山を選んだのだった。





車止めのある登山口からも
暫く林道歩きが続く。
途中、足柄峠から
真正面に見る金時山は
7月の強い日差しに輝いて
なかなかの勇姿だ。

標高1212メートル。

その昔、坂田の金時こと
金太郎が暮らしたという
足柄峠からは
日本一の富士山が凄い迫力で
見えるはずだったのだが
出発が遅くなったため
空にはすでにフェーズがかかり
富士山の麗美な姿も
完全に霞んでしまった。





古い鳥居をくぐる頃
ようやく本格的な山道となる。
ここから一気に金時山を上り詰めるのだ。

元気な頃には北アルプス登山の足慣らしとして
よく登っていた金時山だったが
暫く来ないうちに滑りやすい急登には
全て丸太の階段が付けられ
ずいぶんと整備されてしまった。

滑らないのは助かるが
自分の歩幅で歩けないため
かえって疲れてしまう。





手術が成功し
麻酔から覚めた時
枕元にいた病院の先生が
「おめでとう。これでまた山に登れるよ」
と病院の先生が言い
僕の肩をポンと叩いた。

この瞬間
17ヵ月間ずっと入りっぱなしだった
肩の力がふっと抜けた。





くも膜下出血で倒れてからの一年半
僕にとって山登りは
単に趣味というよりも
もう一度むかしのように山を登ることで、
病気に対して決着を着けるという
大きな目標になった。

そして今日が
その決着を着ける日なのだ。




発病し、奇跡的に回復して、そしてその後
動脈瘤の手術を受けるまでに1年間を要した。

通常の人より、極端に動脈が細い僕は
手術によって動脈瘤が出来た血管を閉鎖した場合
脳に繋がるそれ以外の動脈だけでは
充分な血液を脳に供給できる確信が得られず
そのための入院と検査を1年間掛けて繰り返したのだ。

最後の検査は辛かった。

股の間から細い管を挿入し
頭部にある動脈瘤の手前までその管を通して
管の先端に付いている風船を膨らますのだ。

これによって実際に患部動脈の血液を遮断し
脳に影響がないかを調べるのである。
脳に影響があるかどうかは、患者の手足の動きや
言語の明瞭さで判断される。

血管の中で風船を膨らませ、その激痛の中で
医師の指示に従って手足を動かし
そして言葉を交わす。

検査の間、ずっと握っていた看護婦さんの手の優しさが
僕の心の支えだった。




しっかりした梯子のついた急登を
手摺にすがるように一歩一歩登る。
登り慣れた山なのに
情けないくらい息が上がり
それに反比例するように
足は上がらない。

9合目を過ぎ
いよいよ足取りは怪しくなり
10歩登っては立ち止まり
暫く息を整えて
懸命に鉛のように重い足を
前に出ようになった。
まるでエベレストを
無酸素で登っているような
足の運びである。

後ろから駆けるように登ってきた
家族連れのハイカーの子供が
僕の横を元気にすり抜けて
そして振り返って不思議そうな顔で
僕を見つめた。
子供は何時だって正直だ。





頂きの小屋が見えた所で
また立ち止まり
しばらく膝に手を置いて
息を整えた。

登山道の石の上に
僕の顎から滴る汗が
ポタンポタンと染みを作った。

やがてゆっくりと頭を上げ、
無理やり大きく深呼吸をして
最後の力を振り絞って梯子を登り
ついに金時山の頂上に
登り詰めた。

発病から479日目、手術から58日目の
満願成就である。




楽しそうに快晴の山を楽しむ
登山客の横をすり抜け
誰もいない岩の上に
ふらふらになってぶっ倒れた。

軽い眩暈がするのは
久しぶりに山を歩いた
疲労のせいだけではなさそうだった。

 岩の上に大の字になり
蒼くて眩しい空を見上げながら
何度も何度も深呼吸をして
山のテッペンの空気を
胸いっぱいに吸い込んだ。

胸を膨らますその空気と
ヘトヘトになった僕の身体を
癒してくれる優しい風は
なんだかとても懐かしい香りがし

・・・




山頂にある、登山客でごった返す2軒の山小屋には寄らず
僕は小一時間の間、岩の上に腰掛けて
箱根の山々をぼんやりと眺めながら
この一年半の間に起きた出来事をひとつひとつ思い出していた。

午後の3時を過ぎ、気がつくと山の風は冷たくなり始めていた。

僕は立ちあがり、そして最後にもう一度ゆっくりと深呼吸をして
自分が山のテッペンにいる事を確認し
ザックを背負って岩から飛び降りた。



さあ、今度は北アルプスが僕を待っている・・・。






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