畳平→乗鞍岳剣ヶ峰 (登り1時間30分:下り1時間) |
くも膜下出血で倒れて 1年5ヶ月 発病以来の念願であった 「北アルプスを再び歩く」 という夢を ついにかなえる時が来た。 2000年夏 北アルプス乗鞍岳 主峰剣ヶ峰 3026メートル |
乗鞍岳は 3000メートル峰とはいっても 乗鞍高原からのエコーライン 飛騨側からのスカイライン いずれを使っても 2702メートルの畳平まで 車を使ってアプローチ出来るため 標高差は僅かに300メートル程度であり 今では最も簡単に登れる北アルプスとして 万人に親しまれていて 克って「魔の山」として 恐れられていた面影はない。 天候の変化に対する しっかりした備えと 高度に対する順応さえ出来れば 子供でも登れるやさしい山だ。 それでも 僕にとっては夢にまで見た 北アルプス再訪であり 自然と胸は高鳴ってくる。 |
前日に入り 期待感からほとんど眠る事の出来なかった 乗鞍高原の宿から 三本滝を経てエコーラインと呼ばれる くねくねとした道を登り詰め 終点の畳平に車を止めてザックを背負った僕は、 車の前でさっそく大きく深呼吸をして 久しぶりに北アルプスの空気を 胸いっぱいに吸いこんだ。 観光客に混ざって 乗鞍岳火口湖のひとつである 鶴が池の辺をのんびり歩き、 大黒岳を過ぎて 富士見岳の山腹を巻くようについた 車道を行く。 しばらく歩くと 右にそびえる摩利支天岳の肩に立つ コロナ観測所のドームが 眩しく空に輝いているのが 見えてきた。 |
すぐにバテるのではと我ながら心配だったが 4日前、闘病後、初めて登った金時山で 情けないほどヒーヒー言ったおかげで 足の運びは思いの他スムーズだ。 それよりも 再び北アルプスを登るにあたって 僕には大きな不安があった。 動脈瘤のクリッピング手術によって 脳に繋がる血管を1本遮断した僕は それでなくても血の巡りのよくない 脳への血液の供給が通常の人よりも少なくなっており 手術前よりもいっそう不安な状態になっている。 |
そのためか 特に気圧の変化に対して 頭がとても敏感になっていて 普段の生活でも、急激な天候の変化があると 頭部の激しい不快感に襲われていたため 3000メートルの高さに登った時に 頭痛、目眩などの症状が出る 心配があったのだ。 しかし今のところその症状も出ず 思いの他、快調だ。 |
僕に対してはっきりとは言わなかったが 頭部の動脈瘤閉鎖手術を受ける事に対して家族は反対だったようだ。 一時は危篤という状態から奇跡的に復活し 曲がりなりにも通常の生活が出来るまでに回復しながら 発病から1年経った今、また頭部を開き そして通常の人よりも血管が細いために 脳梗塞を起こす可能性があるというリスクを犯してまで 手術を受けるよりも、摂生した生活を続け、動脈瘤を破裂させずに これからの人生を過ごした方が良いのではと言いたいのが 交わす言葉の端々に感じられた。 しかし僕にはそんな考えは更々なかった。 一度しかない、しかもまだこれから先、 半分以上もあるであろう人生を 70パーセントの力で安全に生きるよりも、 100パーセントの力で全力で活きたかったのだ。 |
30分ほどで「肩の小屋」に着いた。 小屋の前では 子供連れのファミリーや 集団登山の中学生などが 思い思いに 休息を取ったり 記念撮影に夢中になっていて、 上高地の河童橋と さして変わらない情景だ。 短時間で登れる3000メートル峰 ならではの情景であり 本来ならば すっかり興醒めしてしまう ところなのだろうが、 僕は一向に気にならない。 |
それどころか 子供たちが眼前に迫る岩峰を キラキラ輝く瞳で眺め、 盛んに驚嘆の声を上げているのを 見ているだけで 何だかとても嬉しくなってくる。 そういえば 上高地を歩いていて 外国人トレッカーが穂高の峰々を仰いで 感嘆の声を上げているのを見た時も 何か自分が誉められているようで とても嬉しい気持ちになったものだ。 どうも僕の気持ちは 何時の間にか山の側にたってしまって いるようである。 |
肩の小屋を過ぎ ハイ松帯の登りに差し掛かった頃 気圧の変化のせいか右の耳に膜が張った。 何度か耳抜きをしてみたが 一向に治らない。 そのうち 左の耳にも膜が張ってしまい 鼓膜が強く圧迫されて 周りの音が フィルターを通したように 不快なものになってしまった。 |
これまでにもそんなことはしょっちゅうあったが 何度か耳抜きすればすぐにパチンと膜は取れた。 しかし今度はどんなに唾を呑もうが 息んでみようが良くならない。 その上、手術跡に虫唾が走るような感覚が断続的に起こり始め そして後頭部に流れる血液が凍ったのかと思うくらい 頭の中が冷たく感じられるようになった。 「やっぱりいろいろ起きるねえ」 耳抜きを諦めたら何故だかかえって気楽になってしまった僕は 自分の頭で起き始めたいろいろな異変に対しても 不思議なほど呑気になってしまい 独り言を言いながらハイ松帯をノンビリ越え 麗美な権現池を眼下に望みながら 最後の急登に足を踏み入れた。 |
最後の数歩は前を見ながら 一歩一歩踏みしめるように ゆっくりと登った。 自然に笑みがこぼれてくる。 午前11時38分 2年3ヶ月振りに 北アルプスの頂きに立った。 |
山頂に祭られた小さな祠に参拝を済ませ 今まで登ってきた稜線を振り返ってから、 登山客で賑わう山頂を避け 飛騨側の火口壁に足を延ばして 腰を下ろした。 ザックから水筒を出し 出発前に高原で汲んで来た湧き水を飲んだ。 甘い香りのする清らかな命の水が 心地よく疲労している僕の身体に 染み渡っていく。 これまで僕といっしょに ずっと山を歩いて来て そして これからもいっしょに歩いて行くだろう ザンバランの登山靴を脱いで岩の上に置き 軽くなった足を伸ばして タバコを1本吸った。 それから随分長い間、 直下に見えるエメラルド色の 権現池をぼんやりと眺めていた。 |
僅かだが風が出てきた。 信州側からガスが上がり山頂を覆い始めた。 タバコにつけようとしたライターの火が風に揺れて消えた。 北アルプスの風だ。 僕はその風を心と身体に感じながら 一度大きく背伸びをして登山靴を履いた。 そして ゆっくりと登山靴の紐を結び直してから ザックを背負って腰を上げた。 それから祠の脇の細い岩場を通って下山路に足を踏み出した。 ぼんやりしている間に あれほど賑やかだった登山客の姿が 何時の間にか数えるほどになっていた。 暫く下り、一度だけ山頂を振り返ると、 ガスに包まれた空の中に祠だけがポッカリと浮かび上がって 僕を見下ろしていた。 僕は祠に向って軽く頭を下げ そして再び前を向くと 静かに山を下りた。 |
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