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桜と紙魚 (3)

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 次の日、僕は学校を休んだ。親には体調が悪いと伝えた。共働きの両親は、さほど追求する事も無く仕事に向かい、僕は部屋にこもった。そしてなぜ死ななかったのかという事と、なぜ崎本の取引を受けたのかという事を考えたが、結局理由は分からなかった。ただ、この二つの質問の答えは同じ物かもしれないと思った。
 約束の時間、崎本はそこにいた。
 穴を掘りながら、崎本はまた喋り始めた。
「もう一つ、君に言っておくべき事がある。それは『なぜここに死体を埋めるか』という事だ。昨日は『なぜここで死ぬか』しか説明していない事に後で気づいたよ。『取引にはすべての条件を認識し合う事が必要』と言っておきながら、とんだ失態を演じてしまった。もう遅すぎるかも知れないけど、説明させてほしい。それで、もし君の考えが変わったなら、明日は来なくてもいい」
僕は無言でシャベルを突き立てる。
「『桜の木の下には屍体が埋まっている』っていう言葉は聴いた事があるだろう。梶井基次郎の『桜の樹の下には』にある有名な言葉だ。僕は梶井基次郎のファンでね。昨日、僕自身が本の一部のように感じると言っただろう?彼の短編集は、まさに僕の一部に他ならないよ。僕の中にはあの本のすべてがあり、あの本の中には僕がいる」
崎本は桜の根を注意深くよけながら土を掻き出す。
「でもどうして梶井基次郎はそういう風に桜をとらえたんだろうね。それだけじゃない。桜ほど日本人の心に強く死を意識させる植物も無いんだ。西行や梶井基次郎はもちろん、|神代《かみよ》には|木《こ》の花の|佐久夜毘売《さくやびめ》が皇族の寿命を縮め、江戸時代には|浅野内匠頭《あさのたくみのかみ》が桜の下で散る事によって、後世まで伝わる名場面をつくった」
「でも僕は思うんだよ。桜の持つ魅力とは、散る事による死出への|憧憬《どうけい》だけではない。西欧の蝶やエジプトのスカラベのように、枯れた枝から咲く桜は、復活と変化への切望ではないかとね。花をつけ、散らせ、葉をしげらせ、それを落とす。イモ虫やカブト虫に比べて、なんと美しく、洗練された象徴だろう。その一点だけを持ってしても僕は日本人として生まれた事を誇りに思えるよ」
崎本は少し手を休め、肩で息をし、桜を仰ぎ見た。僕も同じように上を見る。
「これほどまでに今の僕が必要とする象徴が、他にあるかい?僕の通過儀礼を最高の物にするには、僕自身が桜と一体化する必要があるのだよ」
 復活と変化への切望。死んで力強く|甦《よみがえ》られるのならば。自分自身を思い通りに変かえれるのならば。生きていくのはこんなにはつらくないだろうに。
 そのあと、手を休めたまま二人はただ風の音だけを聞いた。


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