嘉彦エッセイ


第55話(2009年01月掲載)


          



『リズム』

新年明けましておめでとうございます。

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 年末年始を迎えると色々な数字が飛び交うもので、今年も多くの話題に関係する数字が飛び交った。しかし不幸なことに今年は恐怖の経済恐慌に関する数字ばかりで、為替や、自動車の生産・販売台数・はたまた失業率や失業者の数などなど、聞きたくないものが多く無理やり聞かされたものである。

交通事故も数字の一つだが、なかなか死亡者数が減らないと公安委員会や関係官庁が毎年問題提起をしているが、どうやら最近は随分減少してきたようだ。例年のことで、先月末で締めた昨年度の事故死の集約がなされ、その報告がマスコミを通してきっとあるのだろう。残念ながらこのエッセイには間に合わなかった。

飲酒運転を筆頭に、過積載の取締りや、過労運転などの罪を重くして、社会的ダメージも大きく感じるようにした結果、特に飲酒や過積載は大きく減少傾向にある様だが、まだまだ不十分だ。車を作る側も、やれシートベルトの改良だの、エアーバッグも前方だけでなく横や後方まで設置して安全性はより高まり、車自体も燃費競争の陰で、側突性や制動機能の向上などの研究が急ピッチで進められている。道路の安全性や、後部座席のシートベルトの義務付けなど法規やインフラも事故防止に厳しく対応してきている。

しかし、事故は車自体や道路の安全性だけが問題ではなく、運転者や歩行者などに起因する問題が大きい。特によそ見や油断、過信、はたまた暴走や居眠りなどのように完全に自己コントロールを失ってしまったときに発生していることが多く、いずれもその背景に「リズムが狂っている」ことが付きまとっていると思う。事故として面に表れない小さな接触などを含め、良く分析してみると必ずと言って良いほど、リズムが合わずに衝突している。

歩行者の飛び出しもしかり、のろのろ追い越し車線を走る車を避けるために、左の走行車線から追い越しをかける、ここにもリズムを崩した事故が待っている。信号が青になって前方の車がみんな快速進行、しかし我が目の前の車はモタモタ、こちらは前方の車のリズムで出発を余儀なく、オット・・・。前を走っている車と隣を走っている車、そのスピードを読んで追い越しを仕掛ける。自分の車と前と隣のリズムを総合して始めて安全な追い越しになる。

右側の路地からくる自転車のスピード、このリズムを読んでこちらがコントロールすれば事故は未然に防げるが、周囲のリズムと自分のリズムを意識しないと、ドツンということに相成る。

自分の曲がり方が少し大回りになってしまい、周囲では「まさかここに来るとは」。といずれもリズムが狂わされて接触、衝突又はヒヤヒヤ回避。事故はまさにただ単にルールを守らなかったと言うだけでなく、呼吸が合わなかったときに多く発生しているのである。

 交通事故だけではない。私の趣味のスキーの衝突事故などは確実に周囲とのリズムが合わなかった場合に起きているし、自分の転倒もリズムが崩れて起きている。日常生活や仕事の流れでも同じ事がしばしばある。

日常生活では、朝起きて顔を洗い、さあ食事。お茶を一杯、と思ったらまだお湯を沸かしている最中。肩透かしにあった気分になる。やはりリズムだ。ここで待ち時間にあれやこれや、何かをしようとしたりすると、忘れものをしてしまったりする。

仕事では、一つの仕事が成立するためには、色々な組織や人の連携が必要で、そのときにうまく連携が取れたか否かで、仕事のスピードや質、やる気に随分影響する。相手との呼吸が合えば、特段説明や依頼がなくとも円滑に行くが、呼吸が合わないときには改めて挨拶から入らないと動きが取れないこともなる。(時間的)前後の動きによって、手の打ち方が変わってくるのである。やはりこれもリズムと言えると思う。

阿吽の呼吸という言葉がある。以前このエッセイで上司の咳払いが何を意味しているか分かり、秘書役の私は鉛筆や用紙、時に昆布茶等をさしだしたことがあったと書いた。後にその上司はしっかり覚えていてそれを話題にされたことがあったが、それには相当強い印象を残しておられた。あの阿吽の呼吸は若きサラリーマンの私にいろいろな教えをくれたように思う。正にリズムだ。

夫婦や家庭、仲間との行動でも同じことが言える。欲しいものがタイムリーに出てきたり、会話でも相手が考えていることや、欲しいことなどに合わせていくと、何とスムースにリズムが取れることか。上手いリズムで円滑に流れる生活・・・きっと疲れない生活になるのではないかな。


    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE