嘉彦エッセイ


第62話(2009年08月掲載)


          



『歴史・文化の重み』


 長いこと自動車つくりをしその自動車会社を退職して久しくなる。退職をした際に頂いた退職金を、家内を拝み倒して、20年以上前からの夢であったドイツ製の車を買ってもらった。それからずいぶん時間がたったが、未だに素晴らしいと思うことがいくつもある。その最たる特徴が、その車に乗ると本当に疲れないことである。度々新潟県に出かけ、300Kmを一気に走って帰ることがあるが、疲れない。シートが良いのだ。90を過ぎた母親も、「この車は疲れない」と言う。

多くの日本車は座ってみるとズボンのベルトの位置、背中側に隙間ができる。読書もお分かりになるはずだが、気付かれていない方は試してみて頂きたい。私は国産の車も愛用しているが、天下のT社の車だがしっかり隙間がある。この車では同じ300Kmの行程を帰えると腰が痛むし、疲労は大きく出る。やはりベルトの後ろに隙間がある。もちろん隙間だけの問題ではなく、クッションや背当ての硬さや通気性の問題もその要因だ。そのドイツ製車はベルト部の隙間がなくしっかり腰を支えてくれている。

自動車つくりをしてきて、特に私は比較分析法を日本で開拓した一人、いやその手法の先駆者である。その手法を駆使して何度も比較分析をして、絶対負けないシートも作ってきたはずの自負するものがあるが、絶対にドイツ製にはかなわない。

なぜだろう、日本人は最もマネの上手な民族だし、器用な民族である。それでも・・である。

世の中に椅子が登場した頃は生まれていないので正確には定かではないが、メソポタミヤ文明など古代の文明が発祥した頃から利用されてきたものではないかと思う。4000年の歴史?ではないだろうか。それから日々改良されて、生活習慣の中から、工業製品(車や、航空機)に応用されて今日に至っている。そういえば航空機のシートも長い時間座っていた割には体が感じるダメージが少ない。

ところが、である。日本に椅子が登場したのは安土桃山時代の絵に椅子が出てくるが、実際に使われたのは明治以降だ。となると、まだ150年の歴史しかない。どうもこの差に問題があるのではないか。

 阪神淡路大震災が関西地区を襲った。関西には多くの神社仏閣があるが、何百年も昔の建物であるにもかかわらず、壊れた事例は数少ない。長崎には原爆の爆風で多くの家が飛ばされたが、寺町の寺社は、傾いたものもあるが、大半が正常に残った。

 自動車作りにしても、建築にしても、一流大学の専門課程を卒業し、多くの諸先輩から学び、コンピューターを駆使して計算やシミュレーションをして設計したものが、いざとなるとなかなか競争力を発揮できないのは、何なのだろうか。加工方法も人力であったものが今は最先端の機械で加工し、ロボットで組み立てたり、クレーンで積んで、その車が、その建物がなぜ???

 やはりここに歴史の重みがあるからではないか。生活の中に如何に歴史の重みを持ったものが多くあるか、昔の農家などには山ほど古来の知恵があり、その奥に原理・真理が隠されている。保存食品などもしかり。ここに気付かないままものつくりをしている結果が腰の痛いシートになってくるのであろうか。

 比較分析で随分学んだつもりだが完敗だ。われわれのものつくり技術にも多くの経験がある。しかし部分々々を軽視して、結果不適合を生んでいるケースを多く見る。歴史の重みと同様、技術にもその歴史の重みが秘められていて、極意を極めて初めて一流のエンジニアーになるのであろう。

軽視したり手抜きをせずにきっちりと原理や真理を踏襲しながら、極め付き技術を自分のものにしてゆきたいものだ。

歴史の重み、極めたものには付焼刃では勝てないとつくづく感じるものである。

(来月、その「手抜き」を掘り下げてお話ししよう)



    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE