嘉彦エッセイ


第72話(2010年06月掲載)


          



『リーダー』


  組織には必ず、その組織を引っ張るリーダーが存在する。最も小さな組織はカップル、どちらかがリードする。その次に小さな組織は家庭だろう。一歩外に出るとサークルやグループが存在する。段々大きくなると私の所属するスポーツ団体から、会社の部署から会社全体や、大きくは行政単位、国に至るまで組織があり、そこに存在するリーダーが必ずいる。

 それぞれの組織は小さかろうと大きかろうとリーダーの力で成長したり、停滞したり、時に交代することさえある。

 政治のことは書かないと言いつつ、最近時折触れるが、自分の主義主張ではなく、このエッセイに引用するには都合のよい例が多くあるからである。

自民党が崩壊し、民主党が圧勝した昨年の総選挙。これは自民党のだらし無いリーダーシップに国民は愛想を尽かし、民主党の新鮮さと期待感から来る魅力にこぞって投票した結果だ。子供には多額の手当て、高校無償化、ガソリン税無し、高速道路無料、沖縄の基地は国外へ、誰でも投票する。

しかし、やはりリーダーシップが無く、国民への約束も守らないものだから支持率(信頼感)がどんどん低下して、今度は何をやっても『まただめだろう』と諦められていく。国全体のモチベーションが低下して迫力のない国に変わっていく。リーダーの役割は重要だ。

 国でも企業でもボランテアの社会でも、リーダーにはいくつかの役割があって、その役割を果たすことが組織の信頼を得られることに繋がる。

 夢を作るリーダー:企業でも、私の集うボランティアの世界でも、そうそう、家庭でも言えることはその組織に夢を与えているか・・・昨年並みで・・・特段問題はなかったので・・・現在を肯定する、昨年並みを主張するリーダーには将来は望めない。今年はこうだったが更に“こうして”飛躍させたい・・・その“こうして”が重要なのである。単に美辞麗句の夢を語っても誰の心にも響かない。今を肯定するリーダーに明日はないと言っておこう。

 実行するリーダー:その“こうして”を具体的に提示する。更に実行すべくアクションを部下やメンバーとともに議論して、方針や目標・管理値を決めると、さあリーダーらしくなってくるが、独りよがりの勝手な目標「5月末」などと言ったリーダーは周囲の応援もさほど得られず、リーダーとしての資質が問われてしまうはめになる。大事なことは、具体化させることであるが、それをメンバーとの合意で決めることだ。そうすればメンバーもやる気になってくる。メンバーを巻き込んで決めるとメンバーも責任を感じて協力する、実行するようになる。そうすれば必ず結果(以前との差)が出る。結果が出ないのを、言い訳や屁理屈をこねるのはリーダーの資質に欠ける。

 率先するリーダー:誰よりも自分が行動開始する、自分が第一線に立つ、こういうリーダーには仲間が付いてくる。外からの支援ももらえる。実行することは変化が見えてくることだ。変化とは今までと異なる結果が着いてくる。それに社員やメンバーが着いてくる。良く死んだ父親が言っていた。掛け声だけの人を「蕎麦屋の窯」と言う。その心は「湯(言う)ばかり」だそうだ。有言実行。

 思いやるリーダー:経営者でも、ボランテアでも社員や会員をどれだけ思いやるリーダーかは資質の重要なチェックポイント。経営的な数字が多少悪くとも、社員や取引先を如何に重んじたかによってその後の協力度が変わる。そしてもっともっと大きな成果を引き出す。これは勤務先のいすゞ再建時に特に学んだ。「社員のポケットに手を突っ込まない・・」関社長はリストラすることなくいすゞを最高益の会社に復活させた。取り引き先も付いてきた。思いやりがあったのだ。

 後継者を育てるリーダー:組織は生き物、変化していく。リーダーが長いと必ず起きるのはマンネリ。

マンネリは組織の細胞が朽ちて、いずれ崩壊する。毎年同じメンバーで同じ方針で同じ行動で・・・世間は進んでいるのでこれは相対的に後退だ。細胞の劣化を防ぐのは組織では人心の刷新。人を変えることだ。会社の人事に見るように、3年とか4年で必ず交代する人事(期限が決まっている)は逆にダメで、就任すると交代の準備。そうではなく、自分に相当する異質の人材を育成する。人材が育ったら交代する。これができる人がリーダーだ。ある団体で任期に箍(たが=限度)を掛けたら、巧みにその上に昇格して、また昇格して、実質的人心の刷新ができない姿を見てきた。本当の意味で人心の刷新ができない姿。これでは人も組織も結局細胞が死んでいく。少々駒不足でもバトンを渡す。最初は前任者の様にはできないで批判を食うことがあるが、そのうち前の人以上に新しい機軸が出てくる。大丈夫、人間は責任感さえあれば相当のことができるものだ。

 リーダーに似た存在に独裁者がいる。リーダーと独裁者の違いの大きな点は前者は組織を考える人で、後者は自分を考える人。

国を考えず、自分の地位や資産を保守(死守)する人。過去も多くの独裁者が色々な組織に存在した。多くは国を代表する独裁者で近代史でも、チャウシェスク(ルーマニア)パーレビ(イラン)やサダム・フセイン(イラク)は死に追いやられたが、ノリエガ(パナマ)は拘束されて刑務所生活、ムシャラフ(パキスタン)マルコス(フィリピン)は上手に生き延びた。今の独裁者の金正日(北朝鮮)、タン・シェ将軍(ミヤンマー)、はいまだ完全な独裁恐怖政治で、カダフィ(リビア)、カストロ(キューバ)は随分軟化した恐怖指導者といえるだろう。まだまだいる。日本にも沢山いた。

独裁者の多くのケースはリーダーと言いながら、自分の利権を独占して他に分けない。分けるとおいしい分が知られるので決して内容は公表しない。自分がやることは全て正しい、だから周囲の意見は聞かない。何か問題が起きれば他責。時に悪くもないのに詰め腹を切らす。反対者はことごとく駆逐する。脅迫・追放は日常茶飯事、時に抹殺してしまう。

自分の保身は周囲を身内や本当に信頼できるごく少数の腹心で固める。それでもカストロやカダフィのように腰に銃を備えている人もいる。フセインもいつも備えていた。怖いのだ。日本の歴史では身内さえ信じず殺したケースは幾つもある。源頼朝は義経を、戦国時代は当たり前、徳川も・・。いつ自分がやられるか…怖いのだ。自分がやってきたから。

金も握る、国家指導者の多くは海外の逃亡先に自己資金をプールし、いざとなったら逃げだす。良く見る亡命のケース。

会社やボランテアの世界にも似た行動する人がいる。自分に取り付いてくるものを重用し、自分の意見は屁理屈を付けても正しいと押しこみ、反論するものは恐怖政治の対象にして人事で駆逐したり、実権や恩典を与えなかったり、時に包囲網を作り身動きさせなかったりする。したがって集う人は怖いから何も言わない。言わなければ平穏無事の(様に見える)世界。一見平和だが、こうなると組織は硬直化し、成長が止まる。細胞が死に始める、いや離散し始める。一見リーダーのように見せかけてその実、独裁者、恐怖の独裁者が存在する企業や組織を良く見る。

やはりリーダーは、組織の細胞が新陳代謝の中で成長し、組織が膨張していくことを実現させることができる人だ。企業では商品がヒットしたり、販売量が増加して、人材が伸びる企業が成長する。社員や家族の満足度が上がる。

家庭や身近の組織、町内会や親睦会、スポーツ団体では会員が喜びを感じ友が友を呼んでその喜びを分かち合える・・そうすれば決して廃れない、会員数が減っている組織が多いが、どこかに問題があり、社会現象のせいにしているのはもう他責=独裁者の入り口かもしれない…ぞ。

    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE