嘉彦エッセイ


第81話(2011年03月掲載)


          



『やる気は元気の基』


2年間「日経ものづくり」誌にコラムを頂き、連載してきた。この3月で丸2年の連載を終えて筆を下ろした。今日は筆やペンを使わずにキーボードを叩いているので、筆を下ろすとは言わないのだろうが・・・

2年間楽しかった。最初に日経BP社からお話を頂いた時には、正直自分の頭の中には何もなかったわけで、どうしたものか迷い、第1回(2009年4月号)はあまり自信を持てない内容で終えてしまったように思う。それでも多くの方から「面白かった、よくぞ言ってくれた・・」てな、内容の80%お世辞、20%本音の感想に乗せられて、5月号から徐々に気分上昇、ぐんぐん書きまくった。

良く作家が、締め切りの日が来て記者を玄関に待たせておいて間に合わせているような話を聞くが、私は楽しく、書きたいことが多くあったので、ほとんど締めきりに追われることなく、先行して記事を書いて来れた。したがって余裕の中で何度も修正ができて、良かったと思っている。

その連載が終わってしまったら気が抜けてしまい、毎日が腑抜けになっている自分に気が付いた。やる気ってこんなに人間の心を元気にするものなんだ・・と。

同じ様な例の話をいくつか書いて見よう。

私はスキーの指導員をしていることをこの随想の中でも何度か書いてきた。(以下の話しも書いた気がするが)私の所属するクラブは指導員が多く、一時は指導員だけが生徒になる班が出来たほどだ。その担当講師は私。私は自分でも気持ちよく滑りたいものだから、普段からあまり講釈は述べず、生徒さんにどんどん滑ってもらうレッスンの方法を取る。なるべく長いスパンを使って、滑ってもらう。短いと調子に乗らないうちに終点が来たり、失敗しても修正する長さがなく終わりになり、自信を失う結果になるからだ。未完のまま次のカリキュラム内容に移って、せっかくのレッスンも自分のモノにならずに終えてしまうことが多い。なるべく与えたテーマを完全に自分のものにしてもらいたいから選んだ方法だ。

ある時私のレッスンは八方尾根の展望台と言う最もゲレンデでは高い所から、咲花と言う最も下のゲレンデまでノンストップのレッスンをした。3Km以上はあるのではないだろうか、リーゼンコースと言うコースを一気に下りる。いつも私が生徒諸君の到着を待つのだが、その日はH君が何と先に着いているではないか。2本のストックに身を委ねて、肩でゼーゼーと息を切って私やメンバーの到着を待っていた。生徒が私を超えているのだからもう教える必要はないと、指導職から退くことにした。その時年齢はまだ52歳、やはり今思うに早すぎた。そしたら年々スキー技術の研究に関心が薄らいでゆき、自分の技術も劣っていくではないか。資格だけは指導員で残っているものの、研究を怠るとこうも落ちぶれるものかと思う状態になってしまう。老害になるので、みんなとスキーをした夜に闘わす技術論からも一歩引くようになってしまった。結果、私のスキーなど恥ずかしくて見せられたものではなくなってしまった。

健康は大きなやる気の基だと最近つくづく思う。ここ数年五十(六十?)肩に悩まされ、そこに昨年暮れ、栂池スキー場で後ろからボーダーに激しく叩きつけられ(追突)、肩の腱を損傷した。電車の網棚にかばんを上げることができない。布団の上げ下ろしもおぼつかない。ゴルフクラブなど持つ気にもならず、となると、(関係ないのに)散歩までたじろいでしまい、身体を動かさなくなる。スキーは現在、役目柄少しは滑っているが、難易度の少し高い斜面はご遠慮願っている。覇気が無くなる。体調が悪いと何事にも積極さが無くなり精神的に落ち込んでくる。

サラリーマン時代、会社が嫌になったことがない。(実はたったの1回あった。この話は敢えてしないが・・)それ以外いつも会社が楽しかった。37年間やる気満々だった。会社の業績は入社依頼ピンチばかりだったが、それだけにいろいろなことが体験できたと思っている。その間に多くの技術も身につけることができた。楽しかった。やる気は本当に疲れも感じさせないし、頭も良く回ることを体験した。楽しく仕事に臨むことが重要だと勉強させられた。

こんなこともあった。20代後半、モーターボートを製造販売する会社をいすゞと三井グループと合弁で立ち上げた。合弁の企画から取り組んだ。実務は生産管理と購買を担当したが、何しろ手が足りない。ボートが壊れれば修理にも全国を飛び歩いた。

福岡の香椎で修理をし、完了してユニックで吊りあげたら、吊り帯が滑ってボートを落とし、修理前より損傷させてしまった。更に出張期間が延びた。保険を使おうと思ったら無免許には適用されないとのこと、結果クレーンの免許は取るは危険物の免許は取るは、ライセンサーになってしまったことがある。

サラリーマンから今の仕事に転じて、多くの企業(クライアント)に可愛がっていただいている。しかし、毎年、3月が来ると企業にとって年度の区切りから、一生懸命やってきたクライアントからさよならを言われることがある。これは宿命でありながらやはり元気を失う。反面、新たなクライアントが登場することで、これまた元気を取り戻すのである。今年はその昔お手伝いした某社から、「再び・・」のお声を掛けていただいた。

武者震いするほど元気を頂いた。

さあ、今年もまた頑張るぞ!!


    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE