嘉彦エッセイ


第82話(2011年04月掲載)


          



『何もできなかった、涙しか出なかった

・・大震災に思う』

まず、悲惨な大震災に見舞われた日本、無くなられた方に心から哀悼の意を表するとともに、家族・家屋を失われた方に一時も早く心の回復、生活環境の整備と平和が戻られることをお祈り申し上げます

  2011年3月11日14時46分、私は新潟県のある会社でモノづくりの議論をしていた。突然の大激震に慌てて表に飛び出した。まさかあの大津波が襲うとは予想だにしなかった。「相当大きかった」とは言ったものの、日本の最近の地震に津波の影響がなかったこともあり、このような大惨事になるとは思いもよらなかった。

2007年(平成19年)716 日に発生した中越沖地震の時(1013分)には、柏崎の原発から2Kmほど離れた所で震災に遭った。同じ様に、ものづくりの議論をし始めた直後の出来事で、パソコンが飛びあがり、机が一気に滑って行った。しかし大きな地震(M6.8)であった割に、被害はさほどではなかった。

今回もモノづくりの議論は中止して、何人かで情報収集のためにTVを見たが、津波警報は高さ6~7mの恐れがあるというのみで、正直、今までも地震があるたびに津波情報はあったが、予想に反して軽微で済んでいたことからまさかと思いつつ、私は車で帰路につき、実は神奈川県選手権を行うスキー場に向かった。途中SAで道路情報を収集した。点検のため通行止め情報があったがさほどではなく、そこに「行事を中止するか」のメールが入りそんなに大きい地震?まだ平和ぼけしていたが、そのスキー場の宿舎の玄関に入ったとたんテレビが私に教えたのはあの大津波の画面であった。

勿論、選手権大会は中止を決め、夜の関係者とのミーティングでもその旨を伝え、翌朝帰路に着いたが、日々惨状の実態が分かるにつれ、目を覆うばかりの状況に変化して行った。更に追い打ちは津波にやられて機能不全になった原発の放射能漏れだった。


TVの報道を見るたびに、このガレキの下にまだ生きている人がきっといる、早く、何とか・・という場面を何度見たか、私に出来るならと何度も歯ぎしりをし、何度涙したか。

怒涛の如く流れ込む海水と流される家を見て、悔し涙がまた、インタビューに応じた生存者の闘いへの涙、老人や子供、市民を守るために亡くなった方々を追憶する話、・・・ただただ涙の毎日だ。

その中において腹の立つことも多かった。

学者不信

地震発生早々に最高学府の地震学者がTVに登場して、「日本は地震国、地震に津波は付き物で、そもそも日本の堤防は考えられる津波からすれば低すぎた。」とぬかした。学者は何時もこんな態度だ。だから蓮舫さんに科学技術の予算を切られてしまうのだ。なら、堤防作りに何で警告を発しなかったのか。どうもマスコミも官公庁も「学者」を重用する傾向にあることに前々から抵抗を持っていた。この様にぬかす学者に、質問するNHKのキャスター(アナウンサー?)がなぜ突っ込まないのか、「そう言うあなたに責任は無いのか」と。

何百年も地震に悩まされてきた地震国であるから尚の事、そろそろ予知ができてもよさそうではないか、と思うものである。

いろいろな科学研究から、人工的に細胞が作られたり、全く新しい素子が作られたりしている世の中、なぜ地震の研究対策はこの様に遅れてしまうのだろう。

さてば「学識経験者」と重用される大学教授。学識はあるかもしれないが現場経験者ではないのだ。この判断を誤って、官公庁や公共機関が専門家会議にそれらの人の名を連ねる。はくが付く、また呼ばれる。建物が崩れればまた学者が勝手なことを言う。むしろ建物を設計し現場で施工してきた建築士の方がずっと経験豊富だ。学者は理屈と理想論しか言わない!が私の学者観だ。


さて、地震に話を戻そう。

捜索

一刻を急いだ救助。まだまだ生存者がいるはず・・・自衛隊や警察・消防、更に米軍の空母から諸外国の救助隊の応援。懸命の努力の甲斐あって、地震発生後80時間を超えて生存者を発見したり、186時間後に20代の男性が生環したりした。何と発生後9日たって80歳の祖母と16歳の孫が発見された。歓声を挙げて喜んだのは我が家だけでなく全国的であろう。我が家では、涙しながら皆で拍手を送った。

しかし捜査状況を報じるTV画面からは、現地で必死に探しまわる救助隊、でも今回は警察犬を見なかった。全国から警察犬を集めたらもっと・・・他にも手があったのではとも思うものである。勝手な主張だろうか。あれが手一杯だったのかもしれないが??


救援物資

地震発生-避難開始-即最低限の必需品が必要。まず何が必要かは何度も地震に遭遇している日本、学習されていてしかりだが、余りにも遅かった感じがする。(評論家で申し訳ないが)

3月とはいえ北は雪国、まだまだ厳寒の地、まず不足するのは避難場所に衣服に水に食糧。厳寒の地、故に暖房は必須。停電は常識。学習効果が無いとつくづく思った。

これも学者の論理かもしれないが。優先順位と対策が余りにも見えなかった。衣服や救援物資について、募集の案内があれば(体制を作り)多くの支援者がいたはずだ。正直私の家に洗濯の終えたスキー用のウエアーやコートが困るほどある。しかしどこに渡せば緊急物資として、被災地に届くのか、提供の仕方など教えてくれれば・・・調べればあったのかもしれないが。それと、新品で無いと・・という意見にも差しあげる手が鈍った。

地震発生直後から即、厚生労働省が動き、各都道府県、市町村の協力や集荷体制を指示したら、物資不足や寒さ対策は被災者を少しでも楽にしたのではないか。各地の自衛隊がヘリで運搬するなどの手があったと思う。5日経ったら概ね毛布や着るもの、食糧は並び始めたが、初動の遅さと対応には不満だらけだ。結局引き渡す先が不詳のまま、我が家からは1枚の防寒着も出て行かなかった。


避難対策

電気が無い。私はポータブル型発電機メーカーの技術支援をしているが、日本には多くの自家発電機メーカーがある。まず各企業に政府の機関が購入打診をし、現物を確保して、いつでも供給できる体制を整える・・こんなことをすれば学習効果ありと言われるが、打診さえ無かったようだ。避難所ごとに1台ずつ配置、日本中のメーカに打診すれば出来たでしょう・・・水やインスタント食糧、医薬品・・いずれも中越地震や中越沖地震は最近の出来事、阪神淡路からまだ16年しか経っていない。学習効果はあってしかるべきだろう。これも勝手な理屈か。そう言えば我が家の対策は?

医療問題もしかり。実は避難先の2つの病院で何と21+14人のお年寄りが集団で亡くなった。養護施設の老人を収容した病院だそうだが、病院の対応も問題があったようだ。病院にたどり着くのに疲労しきったようだ。各都道府県の防災ヘリ、ドクターヘリを活用することで、老人や病に伏せている人たちへの対応は可能になったはずだが、此処にも学習効果は表れなかった。被災県と自衛隊、消防が死力を尽くしていたが、各都道府県の緊急支援体制が出来ていなかった。何ともお粗末。

放射能対策の避難もしかりだ。ある町は、埼玉のスーパーアリーナに町ごと移転した。あの通路や体育館の床の上で休まると思ったのだろうか。しかもたった10日で期限。学校の体育館は良く避難場所になるが、一晩二晩は正に避難、しかしもう少し気の利いた場所の避難先は無いのかと考えさせられる。着替えの場所や寝顔を見られるのだって精神的にストレスの基になる。

わが相模原市にも大きなお風呂のついた福祉施設がいくつもある。なぜそこへ招こうとしないのか。私の住む町内には自治会館もある。そう言った施設を利用する案を(役所は)考えないのだろうか。まだまだ危機に対してバラバラだ。

政治家の対応

官邸では、作業服に身を固めて記者会見。防衛大の卒業式では背広。天候が悪いから現地視察中止。なんだ、作業服は何のためなのか。現場にいつでも行くぞの姿勢ではないのか。

また、TVに登場する大臣たちが、この方が本当の責任者?と疑問を感じることがしばしば。枝野さんはキッチリ説明していたが、原発関連は誰が担当大臣なのか?役割が曖昧だから対応策にも時間が掛かるのではないか。そして菅さんは東電の責任を責めるが、そんなの言われなくても東電は責任の当事者だ。

確かに防衛庁は原子炉に注水する役割を担った。消防庁も、警視庁も、しかしなぜ北沢防衛庁長官が原子炉の放射線の量の発表をするのか、あれは東電がやれば良い。なぜこれほど政治家が表に出たがるのか。そんなに地震に取り組みたくば、学習効果を発揮することや、次善の対策に躍起になることではないのか。ところであの保安院て何なのか、発表には出てくるがどんな機能を果たす役所なのか・・??蓮舫さん攻めるところ1つ見つけたよ。


暫定基準値

放射能の濃度に戦々恐々。「基準値の何倍」と言うから皆怖がる。赤ちゃんの粉ミルクを溶かす水、ほうれん草、ミズ菜・・・風評被害が出始め、特定地域の出荷が止まる・・枝野官房長官は必死に、それは低濃度で、1年間毎日食べても一回の胃のレントゲンと変わらないと釈明。基準値って何なんだ。日本中大騒ぎになる。問題になるレベルを基準値にしておくべきではないのか。海外から来たビジネスマンが成田に着いてそのまま帰る人さえ出始めていると聞く。

日本中汚染されているように海外には伝わっているようで、オーストラリアの友人から、避難して来い。部屋は空いていると言って来た。海外の方がずっと関心が高そうだ。

書きたいことは山ほどある。未曽有の大惨事。今回こそ学習効果をしっかり出せるように整備して、各公共機関が保有するヘリや特殊車両、備蓄燃料、保養施設、応急対策機器(自家発電などの)の提供ルートを確立し、そして震災後の健康ケア―のプログラムをしっかりとまとめていただきたいものだ。

    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE