嘉彦エッセイ


第83話(2011年05月掲載)


          



『何もできなかった、涙しか出なかった

・・大震災に思う-2』

今回の大震災によって亡くなられた方、家族や家を失った方、生きながらえても、住み慣れた街から避難せざるを得ない方々に心からお見舞いを申し上げるとともに、復旧に対処する激務の自衛隊、消防、警察、市町村役場の方々、支援に来られた諸外国の方々、ボランティアの方々に敬意と感謝を申し上げます。

先月号に、いろいろ思いついたことを書いたが情報不足や誤りもある。震災地への思いや、被災者の方々に涙していたことはこの1ヶ月も継続していた。

誤りは、避難対策の発電機の件だが、その後正しい情報がいくつか入って来て、努力をされている方々への敬意から、少し訂正しておこうと思う。

3月11日夜には電機工業会を通して発電機メーカーには納入できる数量の調査と緊急生産依頼が飛び込んで来ていたことが分かった。素晴らしいスピードだったと思う。残念ながら、ポータブル発電機にはエンジンと発電機という大きな部品(コンポ)が無いと何もできない。それを構成する部品が無い・・それの周囲の部品がない。部品工場が流されてしまった・・・JITの精神で作っていたことが仇になったり、様々な悲劇的環境で、供給が出来なかったのも事実のようだ。当事者の名誉のためにもまず修正しておきたい。それでも、今月も、何もできない一人ではあるが、一人の国民として、身勝手ながら感想を書いて見よう。


■ 避難所ってなぜ体育館なのだろうか

震災の日の夜は分かるけど、なぜ何日も、何日も体育館なのか、いつも避難所は体育館が定番なのかに疑問を感じる。板の間に寝れると思いますか。間仕切りもない環境で着替えが出来ますか。

私の住む相模原にも、市の保養施設がいくつかある。大きなお風呂が付いていたり、生活には体育館とは比べ物にならない施設だ。企業の保養所や社宅もあるだろう。11日の被災状況で、即、長期対応の必要性が分かったはずだが、やはり危機管理の甘さなのだろう。当事者(地域)は苦しみ、一歩引いた都道府県、市町村、企業は今一つ差し伸べる手に温かさが無かったと思う。

町ごと避難した場所がこれまた体育館(さいたまアリーナ)やビッグサイト。そして10日もしないうちに再移転、そこがまた学校の教室…いくらなんでもこの移転の仕方は無いだろう。半年、1年の仮住まいにはもう少し選択もあろうが、と感じたものだ。わが町相模原も施設提供・・聞いてあきれた話がある。提供する施設は、市にある最も古い体育館だった。市にはいろいろな福祉施設があるのにハートが無いな、相模原が災難に会ったら、やはり体育館しか貸してもらえなくなるのだろうな。渓松苑(市の保養施設)を解放したら、今度は、そう言うところを貸してもらえるのに・・・。政令指定都市、もっと施設があるのに、ケチな、愛情の無い市長だ。と、書いていたら情報が入って、最近保養施設「清流の里」を解放したそうだ。やればできるではないか。


■ 復旧と復興

多くの方が既にこの言葉を使い分けるようになってきているので旧聞に値するが、もう少し識者は言葉の意味を使い分けて欲しいと何度も思った。

復旧とは、緊急だ。ライフラインや生活環境の不可欠な最小限を確保することが復旧、電気、ガス、上下水道、生活物資の供給システム・・これはすぐに復旧させねばならないことだ。

復興は、新しい快適なむ災害の街づくりだ。インフラ創りだ。地震や津波はまた来る地域、既に明治時代の津波の学習効果が出たところと、学習したが甘く見たところでは被災状況は随分異なる。それらの学習経験から、地震のあるリアス式の環境ではどの様な街づくりをしたら、安全な街が出来上がるか、栄え、快適な安心のまちづくりが出来るのか。これを考えるのは復興だ。

VEの手法は絶対生きると思うが、復興構想会議の学者様にはその思考を持った方々はおいでなのだろうか。議論の順序が違う。

何が理想的(機能的)な街づくりか

それ(機能)を実現する最も廉価な方法を考える

その後だよ、資金をどうするか・・・まさにVEの世界だ。

それが、最初から資金はどうする、増税(消費税?所得税?復興税?・・)か、国債か。しからば、資金が無ければやらないというのか。議論が違うだろう。

早く東北3県の被災者の方々に安住の地のビジョンを示し、夢を描いていただければ、避難の不自由にも明るさが生まれてくる。本当にあの人たちは“有識者”なのだろうか。



■ 原発

被災者は勿論だが、政府も、被災していない国民も東電を責めている。もうちょっと冷静に考えて、理解をすべきことがあるはずだ。少なくも安全基準を定めたのは国、東電はどこの(メーカー)原発を使えと指導したのも国、しかし国は、諸悪の根源は東電とおしつけ、直接の責任を転嫁し、対応組織は“何とか本部”をいくつも立ち上げ複雑にした結果、機能の遅れが目立つ。ここは先月も書いた。そして言い訳はいつも「想定外」だった。

まず、避難、移転を余儀なくされた方々の今日と明日の問題を早急に考えるべきではないか。少なくも半年1年の長期戦になることは3月11日にプロなら直感で分かる。まったくの被害者、就業・就学の問題、生活環境の問題。原発がやられた!その瞬間から分かっているストーリーではないか。それが上記の体育館に避難して町役場を臨時開業して・・・これって本当に考える人いないのかな???

更に、残してきた家畜の悲惨さ。既に飢え死にして倒れている乳牛の写真を見たが、何とかならないのか。殺してしまうなら、その牛をわが農場で飼わしてくれ、と言う人はいないのだろうか。口蹄疫で沢山の牛を殺してしまった宮崎県、飼うスペースは有るだろう。豚だって、鶏だって、いくらでも吸収する能力は有るだろう。考えないのか、冷たいのか。動物愛護の精神は全く見かけることが出来ない。

それと、原発にお世話になってきた我々東電管区の都道府県、この避難による放射線対策に何か手を差し伸べるべきではないのか。心をこめての手立てはいくつかあるが、現実的な手当として一例は、この管区の電気代は絶対上げるべきだ。その電気代を避難していただいている人たちに差し伸べてはいかがか。私たちの平和を生んでくれているのは電気が大きな要素だ。これを忘れてはいけない。その電気の多くが原発に頼らざるを得ないことをもっと認識すべきだ。反対ばかり主張してきた天罰だ。

以前このエッセイのどこかでゴミの事を書いたように思うが、自分で出したゴミを焼却する焼却場の建設を自分の街は反対、これが勝手な日本人の発想、いや平和ボケの発想。原発が嫌なら電気を使うな、ダムが嫌なら電気を使うな。何かを得るにはリスクがあることを皆で覚悟しなければ我儘国家になってしまうではないか。リスクの一つで、せめても避難を余儀なくされた方々に、電気代の一部を差しあげようよ。いやなら使用量を減らすか、使わなければ良いのだから。


■ 再出発

避難者が職を失い、避難先で農作業の手伝いや地場産業の手伝いなどに時間を費やし、ささやかな賃金を得ている姿を見るとホッとする。その姿にまた涙を誘われる。
この人達はきっと復興がなされたら、自分で再出発することを考え始めると思う。しかし、

被災者には厳しいが、漁協や農協が補償について興奮して東電に詰め寄る姿を見ると、本当に復興の夢を持っている人たちなのか、補償金に満足して、復興後、汗水流す習慣を取り戻せるのだろうか、いささか心配になるのは私だけだろうか。

政府も、安易にレントゲンの何十分の一程度の基準値なのに、放射線がどうだの、こうだの、風評を作っている?のもおかしな話だが、むしろ被害者は今、補償金を議論するのも結構だが、せっかくの農作物や魚介類、どうしたら使用できるか、どこで獲ったら良いか、どういう処理をしたら使用できるか、先に考えるべきだし“学者”も協力すべきだ。補償から入ると、次の補償のネタ探しに躍起になって怠け癖が付いてしまう気がするのだが・・・。私達はいつも働いて収入を得て行かねばならないんですよ。被災者・被害者の皆さん、当事者のご苦労を知らず、きつくてごめんなさいね。



■ 日本は技術大国ではなかった

日本の工業技術は素晴らしく・・・と信じていたが、とてもショックだったのはロボット、原発の中の実態調査を、何とアメリカのロボットが活躍していた。日本のロボット技術は世界一で・・と信じていたが、やはり空論だったのか。何日かして千葉工大のロボットが登場してきたが、何で最初から登場しないのか。もし、最初から、Made in Japanのロボットが活躍してくれたら、みんな元気になっただろうな。

リモコンで飛ぶ偵察機、実際に多くの田んぼを持つ所ではリモコンの農薬散布のヘリが飛び回っている、そこにカメラを付ければ撮影は出来ただろうが・・・やっぱり日本の技術はまだ信頼できないのだろうか。元気のもとになると思うのだが。



■ でも明るい話しにまた涙した

被災した人が、毎日毎日、TVに登場する。私たちの生活から見たらとても悲惨な状況なのに、皆でくじけず、助け合っている姿に感動をする。ある被災者がインタビューに応えて「私たちよりもっと大変な人がいる」こう答えた瞬間にどっと涙が吹き出て止まらなかった。自分が悲劇の主人公なのに、更に深い悲劇の人を想う心、「起きた事はしょうがない、これからどうするかだ」この人には必ず復興と新しい幸せが生まれてくると思った。

それと多くの国が支援してくれた。ODAは何と世界一の受給国になってしまった、国と国の問題を越えて、人と人の問題を考えることがこの大震災は教えてくれた。そしてこれが世界に広まったことは決して忘れてはならない。高い授業料だが素晴らしい学習だ。

アメリカ軍のあの大活躍、支援に訪れてくれた各国の人々に感謝を忘れてはならない。日本全国から励ましに駆けつけた、スポーツ選手、歌手や屋台のおじさん、床屋さん・・枚挙に遑がない。世界の人々に、いつか我々もお返しをしようではないか。

    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE