嘉彦エッセイ


第85話(2011年07月掲載)


          



『俺だって原発は無い方が良いんだ』


 先日、隣町の町田に孫を連れて買い物に行った。アメリカ出張の直後でアメリカの位置を教えるため、東急ハンズで地球儀を買って出てきた所で、原発反対のデモ行進に出くわした。何しろ福島は世界的なフクシマに変わり、日本では次から次へと発見される大問題には全く見通しが付かず、多くの方々に避難を強いて、大きな不安と被害が出ている。更に300Kmも離れた我が神奈川のお茶の葉が汚染され始めて身近な問題になって来ているし、諸々が世界のエネルギー事情を大きく揺るがしている。

イタリアでは国民投票で圧倒的に反対票が投じられ、早々にベルルスコーニ首相は敗北宣言を迫られる事態になった。まあ、この国民投票もいい加減だ。誰だってリスクの大きい原発を好んでいる人はいないのに、好きか嫌いか聞くこと自体がおかしい。誰だってNoと答えるに決まっている。

しかしつくづくヨーロッパの国々は身勝手だと思う。ドイツのメルケル首相は脱原発の宣言をして、イタリアも今後原発の増設は勿論、既存の原発も廃炉にしていくことになったが、何と不足する電気は原発で発電するフランスから買うというのだ。これって相当いい加減と思いませんか。

日本の電気は水力発電に始まり、石炭を中心にした火力発電で何とか文化生活に入ったが、石炭が取れなくなり輸入、石油や天然ガスに転化して・・しかしそれでも足りなくなってしまった。何しろ何でも電化製品になってしまったからだ。そこに中東戦争などで原油の調達が不安定になって、やむなく原子力に頼り始めることになった。

更に追い打ちを掛けているのが地球温暖化だ。火力発電は大量のCOを出す。これは大問題、南極・北極の氷が解けて水没する国が沢山出来てしまう。話によればこのまま温暖化が進むと50年後には何と1mも水位が上がるのだそうだ。これはいかんと京都議定書でCO削減の約束を、アメリカを除く先進国間で行った。アメリカは約束をしなかったのだ。ここにも国単位のエゴイズムがある。しかし原発はCOを出さないのだ。ソ連のチェリニブイリ、アメリカのスリーマイル島の原発事故の後、安全性が高まったこともあって、温暖化防止と効率(コスト的に)も良いことから、再び世界が原発に依存し始めたのである。これがこのエッセイの序章だ。

デモ行進の人達は福島の惨状や、将来のわが子たちへの影響を心配して立ち上がったのは理解できるし、ドイツやイタリアが反原発を国として決めたのも分かる。確かに私も無い方が良いとは思うが、ちょっと待ってくれ、その前に考えねばならないことがありはしませんか。

我が家にはTVが3台、エアコンが5台、大型冷蔵庫に、食洗器、おばあちゃんの敷布も毛布も電気依存。孫の目を大事にするために孫が来れば全ての部屋を煌々と照らす照明。現行の照明が壊れたらLEDに切り替えようと、2つ3つ変えたがまだ高く、全てが変わるにはまだまだ時間が掛かる。そして庭の池の金魚のために四六時中循環ポンプが回っている。居間の明るさを少し暗くしたり、食洗器の使用を控えたりの節電を開始したが、到底35%も依存している原発分、即ち家庭の消費量を35%削減できるほど節電など程遠いのだ。

ちなみに、日本の電力は、54%は火力(資源は全て輸入)、原発が35%、水力が9%、その他が2%だそうだ。・・・ソーラーだ、風力だと言ってもまだ数字には表れてこない。風力も人家の無い山の中でしか回せないし、地震王国ニッポン、あの60mの上空に90トンもの装置を持ちあげて羽根を回す風力発電は決して安心はできない。羽根の回る音の問題も最近話題になった。…要は、電気はそう容易には出来ないということなのだ。もう少し発電の話をしておくと、元々は生活の必需として電気が求められ、電気を使う道具(家庭や工場やいろいろな所で)に電気を供給する重要な社会インフラになったが、今日は電気を売り買いする商品にもなって来て、海外では発電所が売買されているくらいだ。日本はまだ株式会社とはいえ、国が大きな影響力を持つ官需会社が、我々に電力を供給し、電話などは既に選択権が出来たが、電気は選択権の無い買い方を強いられているのが実態だ。選択権はどこの国でも同じようだ。

さて、本題に戻して、原発反対は分かるがその前に、特に反対の声を大に叫んでいる人には、まずデモの前に節電をお願いしたいのだ。こういう人に限って、電気は普通に使い、八ツ場ダムの建設は自然破壊だからダメ、火力発電所の増設はCOでダメ、ダメダメの連続の人が多い。

もうエアコンは取り外して暑さには耐える。女々しく「使わない」ではなく、取り外すくらい絶対やってほしい。昔は無かったんだから。照明は即刻全てLEDに変える。電気自動車など眼中におかない。そうそう、電気自動車の電気は何で発電するのでしょうか。そうです、(35%は)原発で作った電気で走るのです。自宅のソーラーで発電して、それで走るなら納得するが、プラグイン・・結局発電所が要るのですよ。勿論屋根にはソーラーを目一杯整備し、夜間電力使用でエコ給湯、ありとあらゆる努力をして35%の削減に匹敵できるまで、原発反対ではなく節電運動のデモ行進をしませんか。それとも、デモの代わりに自転車の発電機を皆で漕いで発電でもしますか。

原発を止めるには35%の電気の使用量を下げなければ止められないのです。国も学校教育から電気の節約を教えることに始まり、節電の進めや節電に関する法整備などが必要でしょう。既存の発電でなく、役所の上や学校の屋根の上にソーラーを配置すれば、電気は自給自足になる。一旦ソーラーを付ければ30年供給してくれる。こんな政策は打たないのですか。私は何年も前から主張しているのです。石原さんではないが、確かに自販機なんかあんなにいらないよネ。あの電気代は超高くすれば減っていく。もしくはソーラーパネルで囲まれた自販機にすれば、発電所は不要、ソーラー発電技術も上がる。国の政策はスピードがいる。企業にとってはこの電力不足は正に千載一遇のビジネスチャンス。要は共に知恵を使うチャンスだ。国も電力会社も節電%は訴えるが、上手い節電方法の宣伝が足りないよね。全ての家庭の便座カバーを降ろしたら○Kw,パソコンのつけっぱなしを止めたら○Kw・・・色々な事例を紹介すれば実行する人は増えるよね。規制や制限・・・やることがおかしいと思いません。

規制緩和含め政治家はもっと政策的に節電と発電を考えるべきで、デモ隊はそれを要求するのがアピールだと思うのです。

ただヒステリックに原発反対ではなく、何をすべきかもっと考えようでありませんか。

おれは電気を使うが原発は許せない。これってやっぱり滅茶苦茶な論理ではないでしょうか。

ちなみに我が家は合計7.5Kwの発電所です。風呂のお湯も屋根の上で湧いていますぞ。いまどき、シャワーするとやけどするくらい熱いお湯が出てきます。

    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE