嘉彦エッセイ


第94話(2012年04月掲載)


          


『音』



 「音」に纏わる言葉にはいろいろあって、明るいイメージの言葉には音楽、音色、響き、好まない言葉には騒音や雑音などがある。

音はその音色や大きさ・質で私たちの気持ちを和ませてくれる大きな材料で、だから音楽なる言葉は音を楽しむと書く所以なのかもしれない。しかし時に音が不愉快のもとになるのも事実だ。

何年前だろう、そう1995年、家内とアメリカTexasHoustonJerry Koufmanさんの家に滞在した。夜中に屋根の上でコトコトコトと可愛い音がする、動物に違いない。結構軽やかで…しかし家主のJerryは我々が眠れないだろうと、日本のネズミ取りのようなものを仕掛けて音の元のリスを捕えてしまった。そして10マイルも離れた林に一緒に放しに行った。次の日は確かに静かだったが、もともと不快感がなかったから寂しい思いをした。

逆に彼らが我が家に来て泊まった時には電車の音が聞こえて、彼らに電車は無縁なのでずいぶん安眠を妨害したようで、こればっかりはネズミ取りで捕獲してとは行かず、申し訳ないと思ったことがある。(そんなに大きな音ではないんだが・・ナア)

 先日、腰痛がひどいため、とうとうMRIを撮って真の原因を探ろうということになり、あの凄い機械に挑んだ。
ベッドにしばりつけられ、ヘッドフォンを当てられ、いざ狭い機械の中へ。あまり快いものではない。ヘッドフォンを掛けられたときには音楽が聞こえて、退屈しのぎかと思いきや、あの騒音をさえぎるための工作であったが、ヘッドフォンでさえぎれるほどの音量や音質ではなかった。今日の製造物、中でも医療機器であの凄い音が出る機械に改めて驚かされた。MRIの機械を開発した技術者たちはあの断層写真が撮れることに最大の満足をして、音については妥協の範囲と判断したのかもしれないが、患者側からすれば、そもそもあの機械に入る不安、自分の体の不安を抱えているだけに、あの音はそろそろ消す努力をしなければならない重要なテーマである感じがした。音の出ないMRIはできないものだろうか。

 自動車や電気製品ではわざと音を出すようにしかけている製造物もある。携帯電話のシャッター音や自動車の方向指示器の音がそれで、使用者や周囲に音で知らせているのだが、MRIのそれは、ヒエー!!というレベルだった。

 駅のホームの案内にも不快を感じることがある。あまりにも大きなスピーカー音に閉口する駅がある。乗客に案内や注意が聞こえればよいはずなのだが、駅の周囲の家庭が迷惑するのではないかと思うような大きな声で案内する。その直前に録音できれいな女性の声で案内が流れているのに、それを打ち消すかのように大きな声でガナる駅がある。女性の案内と同じことをガナる。乗客のためとご本人は思っているのかもしれないが、乗客側からすれば先ほどの女性のアテンションで十分なのに。

電車の中の案内もしかりだ。私の本業のVEには「使用者優先の原則」という言葉があるが、まさに乗客に聞こえればよいはずだが、うとうと睡魔に誘われてもパッチリ目を開いてしまう。誰も注意をしないものだろうか・・・。そうそう、JR西日本の新幹線には必ずサイレントカーという車両が組み込まれていて、その車両には車内放送は一切登場しない。ゆっくり休みたい乗客にはもってこいの車両だ。なぜこんな素晴らしい企画をJR東海や東日本は真似ないのだろうか。

 反面、最近ホームのスピーカーから鳥のさえずり音が聞こえてくる駅もある。一瞬本物の鳥がいるのかときょろきょろしたりするが、スピーカーからの音であることに気づいてもうれしくなるものである。爽やかで心が和む。この配慮は粋だと思う。

また電車や列車が近付くとその地域に縁のある音楽が流れてくる駅もある。新橋駅では「汽笛一発新橋を」であるし、木曽福島では名調子の「木曽節」が流れてくる。ワクワクする。新幹線のいい日旅立ちの一節も爽やかだ。

大分県にある古城の岡城は滝廉太郎が荒城の月を作曲した城として有名だが(仙台城とも言われているようだが)、その城に向かう道すがら、車を一定の速度にすると路面とタイヤの摩擦から「荒城の月」が聞こえてくる。この一瞬のスリルというか静寂というかその瞬間、何か神秘で楽しい時間を与えてくれる。日本の道路には何か所かこのような細工をしているところがあるようだ。もっともっと増やしてほしい風情だ。

私は、サラリーマン時代は自動車を創っていたが、音は重要な開発テーマだった。ドアーを占めた時の音は車の品質を代表するものであり、新車開発時に如何に快い響きになるか工夫をしたことがある。走っているときのエンジン音も快適な音色だと少々音が大きくても満足できるものだが、不快なガシャガシャ音だと小さな音でも不安や不快感を与えてしまう。マフラーにも音色が良くなるような工夫を凝らしたこともある。自動車屋の言葉に「低級音」なる言葉がある。何もうるさい音ではないが、どこからか小さな摩擦音や干渉音がする。一生懸命その元を突き止め対策をするのは車の完成する時期の作業だ。ユーザーに不安や不愉快さを与えてはいけないからだ。
音の快感は何も音量だけではなく、音の内容や質、タイミングなどによるもののようだ。

女性のトイレを使用するときに音消しのために水の流れる擬音を流したり、音にまつわる話はいくつもある。

   具体的な音ではないが、大震災の復旧。復興にはいろいろなところから「雑音」が聞こえてくる。いい加減にしてくれと言いたいほど好き勝手な雑音、そんな聞きたくない音を出していないで早く、1日も早く復旧を、復興を問願いが、音を出す方が先行してしまっている。
私の趣味の世界であるスキー界やスポーツ界も選手選考や役員選考では雑音だらけになる。オリンピックが近付くとなおさらである。聞こえないはずの陰口が大きな音になって聞こえてくる。こうなると騒音に近くなる。

鈴虫が鳴く。そっと息を止めて耳を傾ける。そのシチュエーションが音の楽しさを大きくしてくれる。音は楽しまなければいけないのだ。

耳を澄まして聞いたら…心が和む音。こんな音に囲まれて生活したいものだ。


    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE