嘉彦エッセイ


第95話(2012年05月掲載)


          


みんな身勝手だよ




 もう原発関連のことは書くまいと思っていましたが、毎日毎日途切れることなくニュースが流れてくる。話題が切れない。寒い間に仮設住宅が寒すぎたり、突風で屋根が飛んだりして話題になったが、桜が散り、つつじが咲く季節になったら、さすがに仮設住宅は話題から消えて、今は最大の話題は原発の再開と瓦礫の処理が中心のようだ。

本当は仮設の人たちも使用期限が短くその先どうするか、元のところに戻ろうにも、やれ高台移転や道路の区画をどうするかなど行政がらみで(結論先送りばかりで)身動きできず、仮設に住める期限は迫り、大きな問題になるのだが、マスコミも話題が多すぎて追いきれないようだ。

今日のタイトルは「身勝手」本当にどいつもこいつも勝手な奴ばかり・・と憤慨しているんです。


  そもそも、原発は国策で作り、安全基準も国が決め、点検や使用環境、そして使用済みの燃料の処分まですべて国の指導で民間企業が対応してきた。仕事柄発電所の建設には少なからず縁があって、いろいろ聞くうちに分ってきたことは、東京電力には、どこのメーカーとどこのメーカー、関西電力にはどことどこ・・と決まっているんだそうだ。いまどき自由競争で、機能・性能・コスト・安全…評価すべき項目を企業が競い合って、勝ったところに発注されるのかと思いきや、国が入札会社を決めているのにまずは驚き。そしていろいろな規制や基準は原子力安全員会や保安院が決めて、それにしたがって、防波堤の高さや何から何まで指定通り各企業が指導に沿って施工してきたものだ。

  それが、それがですよ、津波にやられて、メルトダウンするからと東電が対策に走ろうとした朝、菅総理は早朝東電に乗り込んで長々と演説を行い、処置の時間を遅らせてしまった。政府は国が決めた。基準を上回った津波や震度に「想定外」を連発して、自分たちの基準作りの誤りは絶対に認めず、東電だけを責める。政府はまるで電力会社が勝手にやったような姿勢。身勝手ではありませんか。「基準が悪かったのだから国が責任を負う」くらい言わなければ男じゃないよ。

原子力委員会も保安院も勝手なことを言うだけで、自分に責任がかかりそうになると、判定さえ下さなくなってしまう。どこどこの原発は安全か否か・・・もう基準さえ口をつぐむ。身勝手ですよねぇ。原子力委員会のでたらめ委員長(似た名前の人が委員長)なんか無責任もいいところだ。

  そもそも原発を造るために、地元を納得させなければならない。そのために電力会社に巨額の寄付金をばらまくように指導しているのも政府。地元が賛成に回らなければ国策が実現できないから。そのお金は半端でなく、そのお金が頼りで、多くの原発を持つ町村は市町村合併に応じない。応じると拡大したその市にお金が吸い取られるからだ。東海村は今も東海村、柏崎刈羽原発も刈羽村は村のまま、柏崎と合併した西山町(飛び地になった)に挟まれていても合併しない。立派な体育館や公共施設を抱えている。柏崎に無いような施設だ。あの補助金からすれば村の人口当たりでは巨額だ。村民税のほとんど要らない村があるとも聞く。たっぷりな補助金を甘受していた人たちも。原発が破損し、避難民になると原発憎しに変わる。住民もこういっては可哀そうだが今までたっぷり補助金もらってしまっているんだから…身勝手なところもあるよね。

   ここにきてすべての原発が止まった。点検のための作業者も来なくなった。村のタクシーは客がいない(来ない)ことに音を上げ、宿屋も音を上げ、廃業するか悩む。おおい原発(福井県大飯町)再開の説明会では賛成派(原発で生活する人たち)と反対派(原発からは収入がない人たち)に真っ二つ。インタビューに登場したタクシーの運転手は大変な不安顔で話をしていた。もちろん賛成派だ。反対派には全国から応援に原発反対派が集まってシュプレヒコール。集まるために電力を使って大飯町まで来たくせに。身勝手だね。歩いてきなさい。歩いて。電気は意地でも使わないくらいの根性で反原発運動をやってほしいよ

   再開は、電力不足になった際の国難(そうなんですよ、ただ電気が止まる話ではない。病院は患者を抱えてどうするの。コンピュータが作動しなければ会社も動かない、鉄道も止まる。そもそも切符も買えないんだ。今の時代は。産業が止まれば会社がつぶれる。国難なんですよ)を避けるための苦肉の策なのに、原発の恩恵を受ける人のみが再開に力を入れているように見える。国策で作った政府は何を責任と思っているのだろうか。無責任だよね。総理大臣が再稼働の指示しても担当大臣はそれでも反対。副大臣に説得に行かせる。無責任だよね。

   前にも書いたが、それは私も原発を好まないが、最もコストが安くやむを得ない選択肢だったのだ。ドイツは原発反対だが、フランスの原発から電力供給を受けている(電気を買う)身勝手さ、安全神話が作られたように、今回のダメージを二度と受けないような安全対策を講じて、初志貫徹とはいかないものか。

   どうしても反対なら、徹底的に原発がなくても国益に沿う政策はこうだ、今の原発はこうやって廃炉にして、街をこうして復興させる。このようなことを政治家はきちっとできないのか。みんな身勝手だよね。



    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE