嘉彦エッセイ


第96話(2012年06月掲載)


          


『コリンちゃんもサヨナラは嫌い』



 妹の家にコリンと言う犬がいる。ラブラドールレッドリバー種で、実際に盲導犬として活躍し、退役して妹の家に引き取られてきた。
この犬の祖母がチャッピーという名で、やはり妹の家で可愛がり、家でなくなっていった犬だ。
悲しみの中で送った記憶が鮮明に残るが、彼女は愛くるしい甘えん坊の犬だった。
しかし孫のコリンは盲導犬としてしっかりお勤めをしたようで、活躍していた写真は何枚も見せてもらった。


妹の家に引き取られた頃は、不慣れだったのか、それとも盲導犬の訓練が生きていたのか、一歩引いて、
いつもじっとして居る子だったが、今ではそんな教育をすっかり忘れ、我々が何かを食べていれば、
飼い主より規律の甘い私を狙って物乞いはするし、おとなしくしているときには、私の足の上に顎を載せていたり、愛くるしい子だ。

私が妹の家を訪ね、玄関のチャイムを鳴らすと、口にはスリッパ(片足分だが)を咥え、玄関の壁をバタバタと尻尾で叩き、
大歓迎をする。そして、そろそろおいとまごいの話になると、我々の話が分るのだろうか、寂しそうに私の足に寄り添い、
「では、」と立ち上がると、そのまま顎を床に着けたまま立ち上がろうともしない。
来た時のはしゃぎ方とは全く様子が異なり、見送ることさえもしない。サヨナラは嫌いなんだ。


ここまで沢山のサヨナラを経験した。一般的にサヨナラはあまり明るくはなれないもので、
せいぜい親しい友人と楽しく飲んだあとの「じゃーなぁ―!」てな別れくらいだろうか、分れても軽く足を運ぶことができるのは・・・。


こちらはサヨナラしたくないのに、無理やりサヨナラさせられる別離、こちらの意思でサヨナラする別離、卒業や定年退職のように、
時が否が応でもサヨナラの場面を作る別離・・・別れにはいろいろなケースがある。


こちらはサヨナラしたくないのに別離が来るケースには、青春時代(だけではない?)の失恋などは典型的で、
それも理由も良く分らずある日突然の別離は堪えるものだ(何度となくの「振られ人生」だったので身に染みて覚えている)。
人間関係では一見きれいに分れるようでも、心の奥や実際のやりとりの中にこじれているものが残り、
気持ちよく別れられないことが多い。
青春時代の失恋は時間とともに淡い想い出に変わっていくが、それ以外の別れは、あまり気持ち良い別れの思い出が残らない。
一生懸命忘れようと思う別れだ。


このようなケースでこの頃思うに、元の関係には戻れずとも、再開の機会を残す別れ方をすれば多くの場合、
個々の傷は深みを増さないで済むことを知った。
二度と会わない関係になった別離はつらいが、また機会があったら逢えるんだから・・は結構慰めになって気持ちを楽にしてくれるものだ。
不愉快な議論をしても別れ際に再開を約束すると、そこがよりどころになって傷は和らぐ。


最近、仕事(私はコンサルタントの仕事をしていて、中には期限を正式に決めず、何年か皆さんと仕事をするケースもあり、
時間が重なればそれだけ愛情や夢が増すもので)での突然の別離を経験したが、ショックが大きいものだ。
もちろん恨みや憎しみは残らないが、消化不良が残り、この先こんな様にしようと夢を持っていたものが突然消えてしまうものだから、
心の空白を大きく感じる。時に、「なんで突然…」と自責に立って反省に落ち込んでしまったりもする。


契約期限の時期が来たり、卒業や定年の別れは、覚悟をしていたとはいえ、これにも寂しいものがある。
卒業にはこの先の夢が伴うから悲しみは多くはないはずだが、学校の卒業で誰もが涙するのは、
別れの時までの充実さや友情などが交錯して、夢を消してしまうからなのだろう。

同じ卒業でも、先月孫の卒園の話を聞いたが、これは悲しみではなく明るく楽しい卒園式だった様だ。
出席が叶わなかったのでビデオで見せてもらったが、同じサヨナラでも希望が大きければ悲しくないのだと感じさせられた。
園長先生が思い出を話されたり、小学校生活の夢を話されたりして、これからもお友達と仲良く遊んでくださいと、
雰囲気はどんどん夢追い人に変わって行ったようだ。在園中の思い出や、やり残しなど眼中にないからそうできるのかもしれない。

サヨナラと言うとどうしてもまだ大震災が身近にあって、また震災のことに触れてしまうが、
あの大震災では多くの人がいろいろな形でサヨナラをした。
家族とのサヨナラ。友とのサヨナラ、最愛の人とのサヨナラはもう戻ることのできない大きな悲しみだ。
職業やふるさととのサヨナラも悲しかった・つらかった。これは戻ることの可能性があるのだが、
それまでに失って打ちひしがれたものが大きすぎるので夢は悲しみを消してくれないのだ。
何事も失うことの辛さを被災者はこれでもか、これでもかと重なるサヨナラに痛めつけられながら、ここまで耐え忍んできた。
サヨナラの悲しみを希望の衣で拭い去ろうとしている。


それが最近またまた・・・被災者が避難していた栃木県で今度は巨大な竜巻が襲った。
なぜこれでもかと漸く創り上げた小さな家庭を壊すのか、このサヨナラには何も言葉が浮かばなかった
。テレビのインタビューに涙ながら答えた若い奥さんの詰まった言葉がつらそうだったが、細やかながらもう一度新しい夢をと、
ふっと思ったのか、最後に頑張る笑顔が印象的だった。


コリンでさえ、単なるサヨナラをあれだけ悲しそうにする。

誰しもがサヨナラは嫌いなんだ。




    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE