嘉彦エッセイ


第97話(2012年07月掲載)


          


人間の体って便利にできているんだ



 60代も後半になるといろいろなところにガタや機能障害が現れ始めて、こんなはずではなかったことが度々起きてくる。

よく四十肩とか五十肩とか、ある日突然腕が動かなくなり痛みも耐えられるギリギリに・・・ずいぶん不自由し、お医者様に診てもらっているうちに、
突然その痛みが感じられなくなる…年輩の方は体験されているかもしれません。
まだその年にならない方は、いずれその日が来ると覚悟をしていたらよいと思いますが、
これは便利にできている話ではなく、なぜ五十肩なるものが突然起きるのだろうかとの不思議な話から、
今回のエッセイの起承転結の起を始めてみました。今回は人間の体について考えてみました。


 60代後半、確かにいろいろ数年前の状態とは異なった現象が起きています。ほんと、この数年で大変化。
10年くらい前から、右目がおかしい、そう思って少ししてから近くの眼科に診てもらったら黄斑変性という、
網膜の複層状態の中にごみのような突起ができて映像を映せなくなる病気なのだそうだ。
癪に障ることは、その病名の前に「加齢性」と付くようで、私の知る何人かの高齢者にこの現象が出ているのにも驚いた。
私はまた不運に網膜の中心にできてしまったから、右目は中心が黒っぽくぼやけ、周囲はかろうじて見えるのだが、当然焦点を持っていない。

目の玉が二つ無いと何が起きるか、ここでいやっというほど感じている。
万年筆をキャップ差し込めないのだ。ペン先とキャップのセンターが合わないから、ペン先が手に刺さってしまう。
歯ブラシを歯ブラシ縦に差し込むのに不自由する。これ本当の話。目薬のキャップなども同じように中心がずれる。
ゴルフをしていて、パットで上り坂だからとしっかり打ったらグリーンを外れてどんどん走っていく。下り坂だったのだ。
人間の目は2つの目の感覚で距離や高低や傾斜を判断しているのだそうだ。私は大型免許保持者で、残念ながら現在の更新試験法では私は通らない。

耳も同じで、二つある道具は一つなくなってもとは簡単にいえないのだ。例えば車が後ろから来た。
右後ろなのか左後ろなのか、この判断も同じように左右の聴力の反応で人間が本能的に感じるようにできているのだ。
その耳の耳たぶも、あれは女性(この頃男性も)がピアスするためにあるのではなく、シャワーの水を耳穴に入れにくくしているし、
しっかり集音機能があって、聞きにくい時に、更に手を添えて耳たぶを大きくすると小声も聞こえる。音を反射させているんだ。

足が2本ある。元々は4本足だったが、もっと2本を便利に使いたいと立ち上がって2足歩行に転じた。
腰痛の元だと言われている弊害もあるが、2本で歩くことになって、空いた2本の手でいろいろなことができるようになった。
手として使えるようになったから火を使い、道具を作り、今や宇宙で人間が生活するに至った。

手の長さも都合が良くてできていて、『痒いところに手が届く』ようにできている。最初(子供のころ)は人間の手はすべての部位に届くようになっていた。
子供の柔らかさを保っていれば、「孫の手」は不要なのだが固くなった肩はそう自由には動いてくれない。
いつもそこまで手を伸ばさないでいると退化したり硬直化し、届かなくなる。長すぎることもなく丁度良い長さだ。
猿みたいだったら満員電車で手を踏まれてしまうよ。男子は小用を足すのにも丁度良い長さだし、男女とも大の排泄処理だって支障なくできる。
長すぎて邪魔になる人はいない。丁度良い長さなのだ。凄く便利にできている。足が1本では案山子になって歩けない。最低必要な数は確保している。

寒い時にクシャミをする。その瞬間、寝ていた体毛が鳥肌が立つようにそり起きる。これは本能的に保温層を熱くしているのだそうだ。
暑ければ汗を出して体温を調整するが、エアコンに頼りだすとその調整能力は一気に劣化する。体温の話では面白いことを経験している。
いすゞ時代、スキーのトレーニングで早朝会社のグランドを走りいろいろな運動をして汗びっしょりになる。
運動後は毎日長袖シャツ(作業服)を着ないで半袖で過ごし、クリスマスの時期でも半袖で何ともない。
ところが年末年始をスキー場で過ごしてセーターをいったん着たら、正月明けから半袖では耐えられない体になることを体験した。人間の体はすごく敏感だ。

食べ過ぎたり少し合わないものを食べると戻したりする。下痢をしたりもする。これは余分な不要物を体外へ早く排出する本能の仕業だ。
鼻が詰まればクシャミで追い出す。目にゴミが入れば涙が流してくれる。余分なごみが入ってこないように鼻や耳にはフィルター代わりの毛が生えている。
まつ毛だってその働きを持っている。


怪我をして血が出れば血小板が固まって更なる出血を一生懸命防ごうとする。
そもそも頭髪は頭の保護のためにある。すくなくなった方は保護が必要ないわけではなく、神様もいくつか矛盾を感じるものも私たちに与えている、
今頭髪もそうだが、女性の生理など厄介なものなんだろう。
これは体験が無いから何とも論評はできないが、想像するだけで、女性に生まれてこなくてよかったと思う部分だ。
身体各所、多少首を傾げる部位もあるが、考えようによっては、それぞれもまた便利さや効能を持っていて、
おおよそ、まあどこをとっても便利にできていると言ってよいのではないか。

ところがだ、ところがですよ。
治療法のない黄斑変性(今も完治の方法は手術以外になく、手術の成功確率は80%だそうで、20%の人は手術すると失明する可能性が大きいのだそうだ)の人は
ずっと黄斑変性とお付き合いして行かなければならないのです。
壊れ、修復できない部所は残念ながら変化・変形とお付き合いをしていかなければならないのだ。

そう、今の私は様々なところに障害が出てその便利さを享受できていないのです。
それは使いすぎたり、使わな過ぎたり、メンテナンスを怠った祟りによるものだ。

便利さの恩恵に浴するには日々、上手に使い、時に鍛えてより強くしたり、時に休ませる。隅々に新陳代謝の血を回し、それを身体の隅々まで浸透させる。
いたわりの心も必要で、ゆっくり休ませるのもまたその一つ。

それを怠ったり、手を抜いたり、このくらいはと甘えていると痒きたくても手が届かずに掻けないし、
ちょっとしたものを棚に持ち上げることさえできなくなる。動きが鈍くどこかにぶつかって青あざを作る。まあいやになるほど祟りが続く。

人間の体は顕著だが、組織なども同じで、新陳代謝も上手に使って硬直を防いだり、同じ動きでも出力を大きくさせるために使いこなしたり、
鍛えたり、怠けていると私の方のように動かなくなり、いつの間にか動かないことが正常になってしまう。

組織も人も上手に新陳代謝や、トレーニングや元気のエキスを注入し続ければ便利な動きのあるからだ(組織)が維持できるのでしょう。

明日の朝こそ少し早起きして、布団の上で体操開始・・・・明後日からにしようかナ(もうこれだ)


    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE