嘉彦エッセイ


第99話(2012年09月掲載)


          



『夏祭りに思う』


     日本には旧盆や新盆とかに時期を中心に、○○神社の祭礼とか、主に村の鎮守のお祭りの名残か、
各地に小さくも大きくも昔ながらのお祭りの時期となる。
全国的に有名なお祭りでは、東北三大祭りや 越中小原の風の盆や郡上八幡の盆踊り。
いずれも見に行った経験があるが、東北三大祭りは、大規模で竿灯の様に素晴らしい技を見せてくれたり、
ねぶたの芸術性も世界に誇れると思う。らっせ!らっせ!の掛け声も観衆を自然に巻き込み、
私たちもいつの間にか踊りや行進の輪に巻き込まれた記憶がある。



七尾の風の盆はしんみりとさせられるし、郡上八幡の盆踊りは夜中まで踊り続けるし、各地には各地の伝統のお祭りが残っている。


  私には二人の孫がる。お祭り大好きで、先日は地区のささやかな(小さい町内ですから)盆踊りを楽しみに来て、
それは、それは可愛い甚平と浴衣を着て、数件しか出ない夜店を、小さな手に握った少ない小銭を大事に使いながら楽しんでいました。

会場は、大きな跨線橋の下、会場の中心には櫓も組まれ、提灯や花飾りが所狭しと賑やかさを醸している。
その櫓の上には大きな太鼓も準備されていた。
その日ばかりは近所にはばかることもなく、スピーカーから大きな声の案内や、民謡が鳴り響き、
子供たちもリズムが少々合わない太鼓の音を響かせていた。
私もこの町内で生まれたので同じようにあの太鼓をたたいたのだろうと昔を懐かしみながら、ビールを頂いていた。


 私の住んでいるところは神奈川県相模原市。私が生まれた時には高座郡大野村が地名だったそうだ。
いつの間にか相模原町になり、小学校5年生の時に市制をしいた。
みんなで新しい市の旗を持ちながら行進したことを覚えている。しかし新興住宅地だ。


その頃は町内会館の前に大きな広場があってそこが夏祭りの会場。やはり浴衣を着て、張り切って参加した。

  わが市相模原には、相模原音頭という音頭が、市制を敷いたころにでき、これは盆踊りの中心曲。
どこの町内に行っても「はぁ~さがみはるぅかぁぜ・・・さがみはらはらはらりとさいさい・・」と流れている。
今年も同じように流れていたが、そこに割り込んでか伝統の曲が入ってくる。「三池炭鉱節」だ。
ここに集まった人(100名ほど?)で三池炭鉱を知る人がいるのだろうか、
東京音頭・・・これはヤクルトスワローズの応援歌になったから、まあ聞きなれているかもしれないが、
いつまで三池炭鉱節かと思わされる。
それでも町内の踊り好きが2・3人そろいの浴衣で子供たちに踊りを教えながら、小さな輪を作っていた。

あぁ、これが伝統なんだ、そしてその指導をしてくれたトキちゃん(結構の年を召している親切なおば様)はじめ、
お師匠さんが抜けたら盆踊りはどこへ行くのだろうか。そこで三池炭鉱節は消えていくのか。この屋台、夜店はどうなるのか。

寂しい思いをしたが、近年、着物だかスカートだかわからない衣装を纏って、よさこい節とサンバを一緒にしたような踊りに、
狂うように踊る娘たちを見ると、廃れ行くわが盆踊りの方がずっと日本的、郷土的だな、どうやったら残して行けるのだろうかと考えさせられた。

この町内は役員さんのお骨折りで2日前に櫓をくみ上げ飾りつけをして子供たちを歓迎し、
テープやスピーカーを町内会館からほこりを払いながら、1年ぶりに日の目を見る作業をしてくれる。
ありがたいことで、この町内ではこれが精いっぱい。


  秋田の竿灯、スキー連盟の役員をしていた30年ほど前に、秋田市内で確か5月の連休に会議をしたことがあった。
そうしたら窓の外であの竿灯の練習をたくさんの人が集まって行っていた。8月第一週のお祭りに向けてだ。


  長崎のおくんち”祭りは、10月7・8・9日。長崎に仕事があり、長いこと通ったが、
7月には10月に向けて各町内が出し物の練習を始める。7年に1回順番が回ってくるから、7年ぶりの準備だ。
その年の町内は、町ぐるみで人集めから、練習からいろいろな準備にかかる。人気のお神輿
コッコデショを出す町内は、
春先に全国から同じ体格の人を集め、7月にはそれぞれ担ぎの練習、神輿に載る子供たちは笛や太鼓の練習、
山車の引き回しの練習に余念がない。伝統を守るにはこうして根強く、息長く大事にしなければ保てないんだと教えられた。



 わが町内、私もビールを飲む係りでは申し訳ない気がした。


    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE