嘉彦エッセイ


第104話(2013年02月掲載)


          



『経験はいかなる学問より勝る』

 

 私の趣味にスキーがあることは、毎月このエッセイをお読みいただく諸兄にはご存知のことと思います。
今月はそのスキーに始まって本年の第2話を・・・。

私は、ずっと長いこと孫と一緒にスキーをすることの夢を抱いていた。
もちろんたくさんの夢をまだまだ持っているが、今日はスキーの話から。

 いすゞ自動車のスキー部は、40年以上前から子供たちにスキーをと「ファミリースキー」と称する行事を毎年行っている。
お正月行事やいろいろな行事で、バスを仕立てて行ってきたが、最近のウィンタースポーツの低調さからか、
我々の行事運営のまずさからか、参加者が減少して自家用車を仕立て小規模になったが、
いまだこのファミリースキーは伝統のバスでの運営だ。

 昨年、そのファミリーに夢かなって孫を連れて行った。
本来未就学児はお断りなのだが、無理を言って入学前の孫(その名は勇真)を連れていき、
体にベルトを括り付けて上から引っ張って滑る道具があり、それを利用してスキーを教えた。

ソリで遊ばせるなど眼中になく、道具を借りて滑り始めたらなんと上手に滑るではないか。
五竜とおみスキー場をご存知の方は想像がつくかもしれないが、エスカルプラザ正面のバーンを、
右のリフトを使って滑ることにした。

    通常は歩行訓練から行うのだが、脚力のない幼児には歩くことはしんどい。重いスキーを持ち上げられないからだ。
転ばずにスキーが滑ってくれたら、と思い最初からリフトを使い、比較的なだらかな斜面をベルトを操りながら滑らせた。
右のベルトを引くと右に旋回をはじめ、左を引くと左に曲がり始める。
最初はほぼ直滑降で、スピードが出過ぎないように後ろで引いてコントロールしてあげると、5歳の幼児も何とか転ばずに斜面を下っていく。
それでも200m位の斜面で1・2度は転んだか・・・最初は起こしてあげたが、なるべく手伝わずに自分で起き上がらせる。
そのうち起きる方法も体が覚える。

こうして何本か滑るうちに彼はすっかりご機嫌になり、自分からもっと滑りたいと望むようになった。
1.5日のスキー行で、相当スキーを体で覚えた。
ベルトは初日の午後には既に外し、午後は私の後ろを追わせるように滑らせた。
私は右に行く…彼も追いかけてくる。自分でスキーを操作しているうちに、右に行く方法を覚える、どうしたら右に行くか体が覚える。今度は左。そして止まれ!だ。この繰り返しに今度はスピードを出したり低速にしたり、これも繰り返すうちに、ハの字にしたスキー操作(スキーの基本の言葉でプルークボーゲン)をすっかり覚えてしまった。

昨年暮れに毎年行くいすゞの年末合宿に連れていき、同じように(今度は最初からベルト不要で)栂池の鐘の鳴る丘を滑らせた。いやいや、全く滑り方を忘れずに、しっかり私についてくるではないか。
体力は小1の割にはある方で、大人の私にへこたれることなくついてくる。楽しいから吹雪の中でも「寒い!」など言わない。
驚いたもので、たった2日くらいでこの上達。ガンガン滑った。

スキーにもこんな思い出がある。いすゞ自動車時代、戸塚駅から日立製作所と共同で列車を仕立てて、石打スキー場に大勢の人たちとともに行ったことがある。わがスキー部は、インドネシアからの留学生に雪を見せ、スキーを楽しませる任務を引き受けた。夜中に列車は到着し、仮眠して翌朝いよいよ宿舎から300m先のゲレンデにエスコート。
開会式があるのでスキーを持ってあげ、急ぎ歩こうとしたが、雪道を歩けない。私の孫は雪道を歩く。
4歳の里咲ちゃんもだ!。
インドネシアの人たちは、片方の足に体重を移せず、右足を踏み出しても、右足が空回りして、左足に荷重したまま体は移動していかない現象を見た。我々日本人はなぜ歩けるのか…そうか、多かれ少なかれ、幼児の時から年に2・3回は雪が降り、楽しんだ経験を持つ。
このわずかな経験を体が覚えていて、しっかり順応するが、インドネシアの人は雪は見るも初めて・・・経験とは恐ろしいことだと思った。1日半のスキー行では、さすがに大人、滑れるようになる人はメキメキうまくなった。体が覚える経験とはいかに大きな力を発揮するものか。

 私はいすゞ時代からいろいろなことをしてきた。モノづくりはもちろん、ひそかに会社を作り、壊し、業務提携を画策したり、ものづくりの仕組みをすっかり変えて、IPSなるシステムを仕掛けたこともある。いろいろな経験をさせてもらった。
あまり学問は得意でなかったが、ものづくりの管理技術は、体験的に随分深みにはまっていろいろなことを勉強(体験)させてもらった。モノづくりの技術も25年間ある会社で土日に体験させてもらった経緯がある。
おかげでいくつかの資格取得や、講演の際に使う事例でも、今日のコンサルも職業人として存在を認めていただいているのだと思うが、その間に10冊以上の著作を残した。

その大半に小著は「引用文献」の欄を持たないのだ。他人様の著作をまねて書くことはなく、大半が自分の経験と勘や予測に基づいて書いているからだ。
 ある学会に入っていたが、メンバーの大半が大学の先生、論文は本文のページに匹敵するほど他人の引用欄がページを繰っている。それでも学者は度々政府や官公庁の要職に重用されるが、本当にご自分のものになっているのだろうか。

活断層か否か、斜面に這いつくばって半日や1日で分かるのか、彼らは何を経験して判断できるのだろうか。ただ「ノー」と言っておけば無難だと判断したとしたならとんでもないことだ。怪しければ否定では適わない。文献読んで判断とは私には信じられない。地表から1mや2mの地表の断層から原因など分かるとは信じられない。
今まで何回掘ってそのうちの何回が活断層として動いたか。動いた証拠をどう把握して自信を持って言える経験になっていたのだろうか。とても疑問を感じる。だから学者は嫌いだ。そう言えば学者から経営者になった人はいないが、逆はいるのも面白い現象だ。

 しかしいすゞ時代にエンジンの音を聞いて、緩んだボルトを言い当てた大先輩がいた。神様のような人だ。分解したら全く大先輩の指摘の通りだった。彼は何度も何度も経験してきたから言い当てたのだろう。本に書いてある現象を思い出して…ではコンピューターの“京”くらいの記憶容量と判断スピードがなければ判断できないはずだ。
 技術は経験だ。管理技術とはその経験を体得しやすいロジックに作ってくれている。しかし古い管理技術は古い範囲の技術領域だ。今日に欠落しているものは加えていかねば戦いに勝てない。古い人がかたくなに古いロジックを抱きかかえている姿は哀れにも見える。
 まず、基本的な技術領域は体で覚える。スキーでいえばスキーを履いて、立ってみる。バランスをとって滑りだす。

そのうち左右の足に荷重をかけたり抜いたりすると、現象が現れる。これが理屈でもあり技術でもある。スピードがだんだん増してくると理屈より体が反応して、スピードに負けない対応策を講じるようになる。本にはたくさんこの理屈が書いてある。写真も載っている。毎年何誌も出版されている。しかし書いてあるものを100回読んでも、1回体験した方が早いことを勇真君が教えてくれた。

 勇真、もっと、もっと体験して上手くなってくれ!!!!



    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE