嘉彦エッセイ


第106話(2013年04月掲載)


          



『経験工学』


 私がVEを生業の材料の一つにしていることは、もともとこのエッセイを書き始めのきっかけになった、
小著「Value Engineering」がきっかけであったことからも、
お読みいただく方にご理解いただいていることと思いますが、
今回はそのVEをはじめとしてタイトルの経験工学における『経験』の重要さをお話ししたいと思います。
エッセイというより技術の主張になろうかと思うので、ブログの方にも掲載しておこう。


 私はモノづくりの世界で生きてきました。多くの先輩に鍛えられてきましたが、
その多くは学問ではなく経験を仕込まれてきたと思います。
現場・現物への対処の仕方から、考え方までがすべて経験的なことが大きく影響し、
学問の著書に述べられていることで参考になるのは用語くらいだったかと思っている。

 最も早く“経験的”に体で覚えたのは、現場では化繊の靴下はすぐにだめになることだった。
板金(自動車のボディパネル)加工ではスポット溶接を多用するが、
その火花が靴下に飛ぶと瞬間穴あきになる。
そうか現場の人たちはグンソクと呼ぶ綿の靴下を履くのが習慣になっているのはこれから来たんだと、
生産技術にいるときは靴下まで着替えていたものだ。


 同じく板金の関連で、パネルの防錆管理を担当したことがあり、
業界誌に某課長の名を語ってゴーストライターで随分投稿していたが、
文献や業界誌などいろいろな書物には、さび=鉄の酸化の原理が書かれていた。
これが“文献”と称するもので、学者がこぞって喜び読むものだ。
頭の良い(記憶力の良い)人は文献項目を振りかざすが誤りではない。
しかし現場に通ずるとは限らないものが多くある。

現場で体験した面白いことがある。工場は相模湾から直線で5Kmくらいの立地、
台風が来ると強い風が工場に吹いてくる。たまたま窓があいていたり、車両が出入りするところから、
どこかの出口へ風は一気に吹き抜ける。
そうすると当日は気づかないでいるが翌朝になると風が通過した場所は顕著に錆が発生している。
まるでペンキを塗ったかの様にパネルに色(錆)が出ているのだ。
どこを風が抜けたかはっきり分かるほど顕著に変色する。
関係のなかったパネル置き場は全く発錆していない。
ここで体感したことは、風は湿気を運んでくる、まず風を当てないこと、
まして海に近い工場は塩分を含んだ湿気を運んできて、パネルの発錆を促してしまう。
文献にはそんなこと一言も書いていない。
水分に含まれる塩分の量がどうだの、こうだの発錆しやすい条件の下りは多いが、
台風が運んでくる湿気の塩分の量など分かろうはずがない。
そこで私は台風が来そうなときは、早朝でも、夜遅くでも、だれもいない工場の戸締りを確認したりした。
まさに経験に基づく防錆管理をしていたのだ。

 I EIndustrial Engineering)の世界では、ベテランの改善マンは正に経験の百貨店みたいになんでも改善してしまう。経験に頼っては改善が進みにくいから、いくつものセオリーができ、現場の改善特集や、
生産技術の書物にそのコツが多くあらわされている。
では改善集をすべて頭に叩き込んでいけばよいことになるが、
読んだら5分後にはもう大脳から抜けてしまっているのが我々凡人の現実だ。
覚えておくなど無理なことだ。従ってベテランの神様みたいな改善マンについて、
OJTで学び取って学習をする。しかし、いつもベテラン先生がいるわけではない。

 ある程度経験すると、キーワードで勘が働くことは多い。“JIT”“一人作業” “ながら生産”
“一個流し”“混流生産”“5S”“無駄取り”・・まだまだいくつもキーワードはあるが、
キーワードならある程度頭に残り、それを言語信号にして現場での改善の糸口を掴める。
でもこれも問題提起はこうしてできるが、改善に結びつかないことが多い。
結びつけるのが経験工学になるのだろう。

 VEは経験工学の最たるものだと思う。最近VE協会のドル箱だったVELVE Leader)の受験者が激減して、
協会運営に大きく支障が出だしている。私はVEL制度ができたときから疑問を感じていたので、
いすゞ時代は一切VEL受験を社員に促さなかった。それはあまりにも簡単(14時間セミナーを聴講し、
マークシート方式の試験)に資格が取れてしまって、その資格では何もできないことを知っていたからだ。
14時間で何が学べるか、今も言い続けている。VEVEができなければ結果を出せないのだ。

スキーでいえば3級(簡単なスロープを回って滑り下りることのレベル)にも満たないレベル。
難解な機能定義や機能整理、はたまた、もっと難解なアイデア発想をこなせなければVEにならないからだ。

 先日私の行っている30時間もかけて実践(経験)していただくセミナーにはるばる四国から二人の方が参加していただいた。
私のセミナーは、受講生に実際に実体験をしていただき、各ジョブステップがある程度出来上がらないと
次へ進まない方式で、最近は夜の9時近くまで実習していただく通学方式になっているが、
ずっと宿泊研修の形を取ってきたのは、終わり仕舞いにしたいからだ。
終わらなければ次へ行けないので必死だ。

 その四国の方と夜遅くの夕飯で一杯飲みながら話していたら、「実は私たちVELなんです。
通信教育を受けて、受験して受かったんです」「今日びっくりしました、
これがVEなんですね」と聞いて驚き、技術をすべて机上で処理しようとすること自体がそもそもおかしいのだ。
どこで“経験”をするのでしょうか。

 VES (VE Specialist) という制度がVELの上の資格として存在する。
この受験には協会規定では48時間のWSSWork  Shop Seminar)を受講しなければいけないと
定められているにも拘らず、4つのある講座を聴けば、受験資格が取れてしまう。聴けば良いのだ。
ではWSSを求めたのは何だったのか。WSSは正にVEの実践だ。講座を聴くのであれば、
VE経験の超豊富な指導者の体験的な話を聞くなら少しは、少しは経験に近づくかも知れないが、
それでも“百聞は一見にしかり”くらいの差が出てしまう。

 CVS (Certified Value Specialist) という最高位の資格も同様、
こちらは72時間のWSSが義務付けられているのにも拘わらず、やはり座学。
直接関係はなさそうなテーマも含まれ、聴講すれば、受験資格有り。
記憶力の良い人はペーパーテストはお得意。Value Engineerは受験対策者なのでしょうか。
VEの実践者ではないのでしょうか。

   
さてさてしかり、こうして試験をクリアした有資格者は晴れてVESでありCVSになるのだ。
私が受験したときには、実際の自動車部品の代替案を5案も6案も創って提案をしたものだ。
規定の72時間はセミナーの時間で、セミナー以外の時間で補完していかないと完成していかなかった。

今の仕組みでは一度も機能定義を経験することなく、一度も機能カードを手にすることなく、
一度も実践せずにVE業界の権威である資格者になってしまうのである。
この人たちは今後何を指導できるのだろうか、指導しようとしているのだろうか。やはりVEは経験工学で、
経験しなければわからないことを学ぶために、最低限WSSを義務付けたのではないのだろうか。
今やWSSを引き受けられる指導者まで不足する事態になっている。これではVEも廃れるし、
協会も業界も廃れて当然だ。経験のない人に技術の向上などあり得ない。
素人がスポーツ評論しているようなものだ。

それでも受講料と受験料、認定料が取れれば収入になるから協会はそれで良いのか。
目的は収入を上げることですか、技術を広め活用してもらうためではないのですか。
少しおかしいのではないですか。

 さてさて諸兄、これはわが生業の世界の一例だが、形骸化した資格や認定業務は数限りなく日本にはある。
資格も国家検定なのか、我々の世界のような公的機関に近いが私的機関が勝手に作った資格なのか、
こんなことに頼っているから、日本の産業界が昭和50年代に世界一だったものづくりが、
後塵を拝し、今や20位くらいともいわれるほど陥落し、
(わが業界のように)協会運営さえままならなくなってくるのは、自業自得なのではなかろうか。

今でこそ、“受験者がいなくなる”のを恐れず、果敢に実力向上に励む時ではなかろうか。
経験の伝承は技術の伝承なのです。

そしてものづくり世界一に復帰できれば、アベノミクスに頼らずとも、
世界が日本を頼る経済の興隆が進むのではないか。


スポーツの世界は、結果で勝負。理論や理屈で勝敗は決められない。
いくら理屈で言っても結果が出なければ、所詮相手にされなくなる。
経験工学とはスポーツに良く似ている。結果の出る勉強をしないと廃れてしまいます。
勝たないスポーツにはJOCも金を出してくれません。成功すれば技術も伸びます。


あぁ、また天に唾してしまった。




    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE