嘉彦エッセイ


第107話(2013年05月掲載)


          



『ブランク』

 一見、健康そうに見える佐藤も、何度か入院治療の経験がある。
確か4・5年前に(恥ずかしながら)痔の手術で入院したことがある。たったの1週間だが、
その昔施術を受けた簡単なものからすると20年ぶりくらいだったので、多少入院生活に興味をもって臨んだが、
すべてに失望と苦痛をもって帰宅し、入院などするものではない。健康第一、と自分に言い聞かせていたが、
3月に再び入院する羽目になってしまった。

 入院目的は左肩腱板縫合、今度の日程は先の経験の倍、リハビリにも時間が掛かるとの触れ込みに相当の覚悟で臨んだ。

 病名では分かり難いが、症状は肩の筋肉が切れて、そこに水がたまり炎症を起こし痛む。
切れた筋肉を肩の骨に繋ぎ、その周りに肉が付く様にする手術だ(そうだ)。

 2週間の入院と術後4~6週間、装具という固定具で上腕を固定する。それが過ぎたら、
付いた筋肉に動きと筋力をつけるリハビリを行って、元に戻していく。これが今回の治療だった。
全治2カ月以上の大事になりそうだ。


 この治療期間を考慮して、スキーシーズンの終わりに近いところでスタートすれば、日程にあく穴は、最少で済む。
仕事の日程も上手にやり繰りというより、クライアントに無理をお願いして、調整させていただき、いよいよ入院。
入院中の環境の状況も不詳だし、慣れない入院、TVも見たい、電話もしたい、メールももちろん、
こんなことから一人部屋をお願いして、ノンビリ闘病生活に入った。

 手術は上手くいったようだ。手術台には自分の意志で乗った。手術台に乗り、酸素マスクをされた直後で記憶は止まり、
手術室に入って30分もたたないうちから意識はなく、何も覚えていない。
4時間近い手術を終え、気が付いた時には病室の自分のベッド。点滴の管と尿管が身体にまとわりつき、
患部はしっかり押さえられていたことが、蘇った記憶の最初だった。みじめな姿に失望したが、覚悟の上だった。

 2日でまとわりつく管は取り去られ、左腕は仰々しく固定されてはいたが、右手はすこぶる健康、下半身も順調に動くので、
寝ていては体が動かなくなるのは前回の入院で体験済み、少しでも歩こうと徐々に歩き始め、満開の桜を観たり、
5階にある病室まで階段を上り下りして体力維持に気を配ったが、時折来る痛みと、
血圧や血糖値のデータでやる気を失ったり、の繰り返し。

 しかし、おかげさまで、順調に回復していたので、3日ほど早く退院の許可をいただき、自宅療養に移った。
家内をはじめ、多くの人に見舞いやら激励やらのご迷惑をおかけしたが…毎日のメールが楽しみの日々だった。
選抜高校野球も良い見舞いになった。


 長い前置きから本題の「ブランク」に入ろう。
 病院内外を散歩したり、握力強化のスプリングを持ち込んだり、退院後のブランクを少しでもカバーしようと
身体を動かすようにしたりしたが、上半身その半身が固定されていて、一見他は動くだろうと思いきや、
なかなか思うように健常部位の運動ができない。気持ちも、甘えがあって「俺は病人」。モチベーションが上がらない。
ちょっと歩くとすぐベッド、何かの目標でもあれば、そこに集中し、モチベーションが高まり、
それに引っ張られて他の事もいろいろ努力するのだが、さしあたっての目標も大きなものがないため、
何をやってもちょろちょろ。何と自分がだらしないか、情けないか、と気づいても行動がついて来ない。
執筆中の本の追加の原稿も思うようには進まない。読もうと思って持ち込んだ書籍のページも進まない。
目標がないとこんなにいろいろなことに影響してしまうのかと情けなくなった。心のブランクだ。

 退院して、さあここからはと、意を決して行動しようとするも、一部の機能が止まっていると入院中と同じような生活になる。
抜糸も済み、入浴も可能になって術後3週間、左右の上腕を比較すると、なんと左腕がほっそりしてしまった。
孫娘に自慢していた力瘤がない。たったの3週間のブランクは、こうも筋肉をそいでしまうのか、
気力をそいでしまうのか、これでは好きなゴルフも大事な左腕がこんなでは先行き不安になる。
身体を動かさねばと、散歩の距離を伸ばし、ついにはTVニュースに流れた宮城県白石川の両岸の「一目千本桜」を
観に行って、船岡から大河原まで歩いてみたが、足にまで来ている。どうにか、18,000歩の旅はこなしたが、
なんと情けない。先月の今頃はスキーを履いて飛んで、跳ねていたではないか。

 運動や思考を中断するとたった2・3週間で人間がだめになってしまうことをつくづく思い知らされた。

 私が指導・定着を目指す管理技術もそうだ。トップや幹部が交代する。これは世の慣わし、
しかし、交代した幹部が今まで培ってきた技術や習慣に精通しているとは思えない。
賢明な幹部は、それぞれ専門家に専門的な部分の成長を託しながら、更なる進化を示唆していくものだが、
生半可少しかじった程度の幹部は、
自分は幹部なんだ、俺はできるんだと過信して従来の本質を見誤った指示を出す。
ここで従来の活動が止まり、新しくも本質を違えた活動に移ってしまう。
こうして培った企業の筋力が衰え始める。新しい筋肉はつかない。こうなるとさあ大変。
元に戻すには大きなエネルギーが必要になる。

私の十八番(おはこ)のTear Down各社に常設のTear Down Roomを作ってしっかり活動していただいた会社が多くあるが、
幹部が代わり、その場所が他に転用されたりすると、弱った筋肉のリハビリの話どころではなくなる。
こういう会社は「昔よくやったんだけど」の語り草のTear Downが残り、もう技術そのものはその段階で途切れる。
では昔やったのは何だったのか。

   VEもしかり、本格的なVEを行ってきた企業が、手抜きのVEに、手抜きのセミナーに切り替えてしまうと、
もう元の筋肉質には戻れない。体裁を繕うために買いたたきや工程改善による原価低減までVEの仲間に入れて評価し、
「うちはやっている」になる。開発期間がじりじり伸びたり、コスト目標への達成率も低下していく。
取引先まで緩んでしまう。Tear DownVEの話だけではない。他のNPSやJITもしかりだ。品質もしかり。
カンバンの数量はじりじり増えていく。作業者のスピードも落ちていく。生産性は落ちる。不良が出始める・・・。
競争力は完全に低下する。伸びるのは言い訳の講釈の巧みさだけ。こうして世界に誇ったものづくりの極意を失っていく。
いかがでしょうか、みなさんの身の回り。


   手抜きからくるブランクは、人間の身体は本人の気持ち次第だが、企業や組織ではまずそこで死滅に近い状態になる。
このブランクに気づかれたら、まず勇気をもって奮い立ってほしい。

「気づくことは進歩で、それを実行することはさらに進歩だ」気づかなければ今のまま・・・。


さあ、私の身体はどうなるでしょうか。また自分に言い聞かせてしまった。



    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE