嘉彦エッセイ


第111話(2013年09月掲載)


          



『みんなが勝者・・・勝つだけがスポーツか』


 今年も高校野球に引き付けられ、度々TVの前にくぎ付けにされた。そしてまた新たな感動をいくつも球児たちは贈ってくれた。
まずは前橋育英高校、優勝おめでとう!!!感動をありがとう。
いくつも、いくつも印象深いプレーや学校があったが、特に私が注目したのは弘前学院聖愛高校。
あまり聞かない名前だが、弘前の地名と言うより、満開の弘前城に赴き、その素晴らしさの感動から、
弘前という言葉の響きが私には何故かひきつけられるものになっていたからであろうか。
それとも津軽出身の沢山の友人がいたからであろうか。


 大会が始まり何よりも気に入ったのは小野憲生投手の笑顔だった。あのマウンド、チームメートのミスにも、自分の失敗にも、
いつも笑顔、緊張するはずの夢の甲子園、しかし弘前の選手は誰一人緊張の雰囲気がない。
マウンドの中心でいつもにこにこしている小野君に、メンバーが和みリラックスしていったのであろう。

惜しくも、決勝にまで進んだ延岡学園に敗れ、ベスト8に残れずに終わったが、手が痛くなるほどの拍手を送った。
 実はこの拍手の裏には、選手全員が青森県出身であることにある。ベンチ入りした選手のうち弘前市外の選手はたった一人。
それでもれっきとした津軽っ子。

 青森県の代表は、例年光星学園か青森山田高校。前者は例年大阪の第二代表と呼ばれるほど大阪出身の選手を集めてきていた。
後者は駅伝・サッカーでも有名になったスポーツの盛んな高校だが、やはり県外選手を駆り集めてきていた。

 一時高校野球がつまらなくなった時期が私にあった。それはこの話の様に県外から選手を集め、
ただ勝ちを求めるゲームに変わってしまった頃だ。

駅伝でもサッカーでも野球でも全国大会に出れば学校は有名になり、選手はその上にプロや大学進学が待っている。
全国大会に出るチャンスは地方であればあるほど容易で、高校野球では最も学校数の多いのはわが神奈川、
そこで勝ち進むには至難の業で、どうしても県外から優秀な選手を集めてくる。横浜の松坂大輔も県外から(東京)の選手だし、
今活躍中の田中将大投手も道産子ではない。苫小牧の人の愛着はない。
それが何県代表の何々高校と紹介され、勝って謳われる校歌はその学校の伝統の歌でも、
選手は全て輸入では何かしっくりしないものだ。

 しかし今年は異変が起きた。多くの勝ち進んだ学校が、大半県内選手で固まっていたことだ。
弘前学院聖愛は前述のとおり、県外選手は日大山形は1人、前橋育英・花巻東は二人と聞いた。
一人も15人も五十歩百歩かもしれないが、数が極端に減ったことは事実だ。

高校は今や義務教育のようなもので、地域に根ざすべき存在だと思う。
地域おこしには、スポーツは非常に良い手段で、選手の力は付くし、希望も大きくなる。市域の住民も奮い立つ。

 甲子園のアルプススタンドで、汗びっしょりになって応援する生徒や父兄たち。とても美しく映える。
あの一体感、声の続く限り応援する応援団。敗色濃厚になってきて、
応援に声も出なくなり涙ぐむ女子生徒がしばしばテレビにクローズアップされ、視ている我々も涙を誘われる。
まさに選手とグランドで応援する生徒や市民が一体になる素晴らしい瞬間だ。
地元に関係ない選手が活躍して勝ったチーム、何かもう一つ満足感が違うのは私だけだろうか。

 その昔J1ができたとき川渕チェアマンは球団名に必ずフランチャイズの地名を入れよ。
その地区にホーム球場を持てと鼓舞し、「読売ベルディ」はまかりならぬ「川崎ベルディ」にしろと、
指示して今日に至るが、どうでしょう各地区にJ,J2その下部にもリーグができたりしてサッカーが盛んになり、
地域活動のシンボルになってきている。

 高校野球が輸入選手で勝っても、きっとその地区の人たちは、2・3年経たぬうちに忘れていくのであろう。
でも地元選手の活躍であれば、何年も何年も語り継がれる。あそこの家が何々選手の生まれた家だ。
極端な例が、松井秀喜選手、石川県
能美郡根上町(現在の能美市)の出身で金沢の星稜高校で大活躍したのは
ここに書き綴るまでもないことだが、生まれた石川県能美市にスポーツミュージアムが残された。
市のシンボルになっている。もし松井が神奈川県の東海大で活躍したら、石川県の人は何を感じるでしょうか、
ミュージアムはどこに建てるのでしょうか。

 大学駅伝が好きで、毎年1月2日は家で選手が5区を走り終わるまでテレビ観戦だが、
復路の3日は藤沢の遊行寺の坂(8区)を上ってくる選手を応援している。大学は全国区だから、
どこからどの選手を集めようとあまり気にならない。高校駅伝で活躍した選手を各大学が引き抜きあっているわけだが、
山梨学院大学などは海外から選手を連れてきて、2区・3区で10何人抜きなどとその活躍が報道されるが、
私は何も感動しない。日本人選手が快挙を成すと拍手喝采するも、どうも今一つ。どちらかと言えば不快感さえ持ってしまう。
海外から連れてきても勝ちたいのだろうか。確かに記録は残る。何年かすれば、外国人選手の名は消え校名だけは残る

 スポーツの勝利とは何なのだろうか。

 今ドーピングでアメリカの大リーグが揺れている。薬で筋力を強化してホームランを飛ばす。
ドーピングにかかった選手は現在出場停止になっている。ヤンキースのロドリゲス選手は「俺はやっていない」と
出場を続けて大騒ぎになっている。

オリンピックではメダルはく奪・出場停止○年は当然、永久追放になる選手も出てくる。
当然のことだが、ドーピングと海外から連れてくる選手を一緒にする気はないが、
スポーツの勝利についてもう一度考えたい。

 順位ではない、記録ではない、そこに努力した選手、支援した家庭や市民、そしてコーチ・監督、その力が
結集して大きな満足が得られたならそれは勝利と思えば良い。

 私は少年期、体が弱く、スポーツを禁じられた。戦中派の私にとって戦後の食糧難が影響してのことだったのか。
中学2年から解禁になり、中学では部活(テニス部)が終わってから、家の前で軟式庭球の球を打った。
高校時代は学校の部活(陸上部)で毎日25Km、そして家で朝晩合計15km、毎日40Km走ったらしっかり学校のエースになった。
高校駅伝神奈川予選で花の1区を任されて、神奈川工業の記録では最も早い30位だったか、ゴールして失神した。

これは私にとっての勝利の記録だ。

    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE