嘉彦エッセイ


第112話(2013年10月掲載)


          



『水の威力』


 今月は一転して、大きなお水と小さなお水のお話をしてみましょう。


   大きなお水:今年は集中豪雨や突風(竜巻)が何度も襲ってきました。
特に台風18号は極め付き、豊橋に上陸した時には朝鮮半島まで暴風圏が届いていたほど大型で、
特別警報が初めて発令された台風。各地に水害の傷跡を残しました。

日本有数の観光地、京都嵐山の、桂川にかかる渡月橋に氾濫寸前の水がかかり、
周囲の観光施設が水浸しになっているニュースは繰り返し放送されていた。


各地の被害は死者7名行方不明2名床下浸水・・・・更にこの台風が連れてきた竜巻が10個で家屋の被害もずいぶん出た。

   私の住む相模原の淵野辺地区には河川がなく、あっても東京都の境にある境川。
江の島まで注いでいるが、当地からは2Kmほど離れ標高も20m位異なることから、
子供のころから水害に対する不安は乏しかった。それにしても心配するほどよく振り、風も激しかった。
それでも我家の被害は雨傘の損傷2本で済んだ。



   昭和34年(1959年)9月26日~27日、台風15号が潮岬に上陸し、同じように日本を縦断した。
27日は私の15歳の誕生日の日だ。今回の18号と15号(後に伊勢湾台風と呼ばれた)の台風の規模を比較する資料がないが、
いずれも大きな台風で、どうやら風速は15号の方が大きかったようだが、雨は報道によると観測史上最高と
言っていたので18号の方が多くの水を日本列島に振り注いだのではないかと思う。

伊勢湾台風は、高潮も不幸にして同時刻になり、多くの河川が決壊・氾濫し、
なんと、3300人以上の死者・行方不明者が出た。
1カ月ほど後の修学旅行で京都に向かう列車から名古屋の街を見たが、水が上がってきた水位が町中で分かるほど、
町全体が水没した状態だったことを目の当たりにした記憶がある。


  台風の影響は水と風があるが、風はいつぞや弘前のリンゴが壊滅的にやられた記憶、
そうそう洞爺丸台風は風だったのか・・しかし被害の大きな要因は大半が水の力に負けての事だったと思う。

さて、この死者の比較をしてみて、今回の被害の状況が格段の差になっていることに驚いた
。これは伊勢湾台風の教訓や、その後の何度となく体感してきた台風や集中豪雨で、
都度・都度、治水対策を施してきた結果なのだと、思いついた。
ダム建設反対!の圧力にも負けず、敢行してきての事。素晴らしいことだ。
空前の大雨でも堤防決壊はわずか2か所だったし、その被害は伊勢湾の時に比べたら格段の差だった。
多くに治水対策費をつぎ込んだ結果なのだろうが、その費用は国債の発行などに見る国の借金として残ってはいるものの、
渡月橋の周囲のお土産屋さんや旅館は翌々日にはもう営業を再開した店が何件か見られた。
それは単に浸水による被害で済んだからなのだろう。河川の堤防決壊、濁流が家の土台から運び去っていく被害が
ほとんどなかったことが、被害を最小化したものとなったのであろう。



   更に大きな変化は、これも推測だが、今は下水道が完備して、多くの地方にまでその効果が行き届いてきている。
昔の洪水は下水道が整備されていないために、家庭でためていた糞尿がそのまま市中に流れだし、
水害と言うより糞害であったのでは、とも想像する。もちろん下水道完備でも、床上・床下浸水の水は決してきれいではなかろうが、
その昔に比べたらずいぶん違ったのであろう。だからこそ、ボートでお客を退避させた旅館が翌々日には開業できたのではと思う。
これも建設省・今の国土交通省や各都道府県の地道な治水・まちづくりの成果なのだと思う。

わが町の河川・境川はその昔(時代は鎌倉末期~南北朝の時代)、度々暴れ、大水が出て周囲の集落が流されたそうだ。
そこで当地の豪族、淵辺義博が、境川に潜む大蛇を、一刀の下に切り捨て、頭・胴・尻尾を三つの寺に祭って供養し、
それで水は出なくなったという伝説がある。淵辺義博亡き今日、国を治めるのはやはり政治と金なのだろう。


やはり、備えあれば憂いなしなのだろうか。借金も少しは我慢してコツコツ返していくことかと思った。

いずれにしても津波の水を含め、あの濁流の力はすざましく、水は怖いものと改めて肝に銘ずることには変わりはない。


一変して小さな水について語ってみよう。私は、ひと頃の様に200泊も家を空けていた頃から、
比較的自宅にいる機会が増え、自宅から仕事に行くことも多く、朝食後、食器を台所に運ぶように心がけ始めた。
数年前までは考えられない当たり前のことに気づいたのである。

我家は納豆を毎朝頂いている。その納豆をかき混ぜる食器、朝食は母を含め三人、三人のご飯の上に納豆を配膳すると、
食器が空く、ある時その食器を流しにもっていき、水を満タンに湛えておいたら、なんと10分もしないのに、その器の水を流したら、
あのねばねばがきれいに落ちでいることを発見。ねばねばのまま洗おうとすると大変なことだが、なんとサラリ。
それからはなるべく早く、食器を水につけるようになった。主婦の方は十分分かっておられることなのだろうが、
水の洗浄力とは凄いものだとつくづく感心させられた。洗浄力を持っているのだ。
上手く水を活用すると洗剤の使用量も少なくなることに気づいた。

ちょっと話が変わるが、我々日本人は「入浴」を好む。湯に浸かることで、体の隅々の汚れを浮かし・流してくれているのだ。
だから体臭まで流れて爽やかになる。入浴効果はまだまだあるが本題から外れすぎる。


元に戻って、そういえば、孫が泥遊びをしたのか、着ているものから靴下まで真っ黒になって帰ってくる。
家の中が真っ黒になるのを防ぐために、追いかけて身ぐるみ剥いで、手足を洗い、洗濯の済んだシャツなどを着せる。
その真っ黒ケを家内はいつもバケツに水を貼って浸けている。
いつもきれいに仕上がっている秘訣は、洗濯は勿論だが水の魔力によるものだったのだ。


このおっさん今気づいているよ。少し遅すぎないですか。



    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE