嘉彦エッセイ


第114話(2013年12月掲載)


          



『夢は活力の原動力』


 今年はなぜこんなに災害が多いのだろう。先月のこのコラムで“専門家”の問題点をケチョンケチョンに指摘したが、
多くの専門家に飯を食わせるために台風や地震が来ているのか‥いやいや、今月はこの話ではない。
災害に関係はあるが“専門家”は先月の話題として、今月はその被災者について感じたことからお話しを転がしてみたいと思います。

 伊豆大島での災害。自分が生まれ育った山の裾野。生まれる前から何代もここに住み、
裏の山の林になれ住んだ心も体も家族も一緒の本当の故郷。あの大雨で家も家族も失ってしまった被災者が、
涙を目に潤ませながら、「もう何も夢が無くなった。家が無くなり、帰るところもない。今まで住んでいたところに家は建てられない。
私はどこへ行けば良いのか・・・」その報道TVを見ながら、「そうだな、もう元の場所は怖くて建てられない、
安心できる場所を確保することは至難の業・・・このようなことを同情しながら思うと、私までその人と同じ気持ちで、
夢が無くなってきてしまった。
当事者に何の未来への希望を与えることができるだろうか、今の私には何もできない。
行政が早く避難できる住居を確保し、再建プログラムやいろいろなケアーを提供開始すれば、
まだ悲しみを少しは軽減できるのかもしれないが、また他力本願に頼りつつ、遅い対策に、被災者はますます夢を失い、
将来の絶望を確信していってしまうのを横目で見ている。

 同じく東日本大震災の被災者が、別のテーマではあったが、仮設住宅でのインタビューで、少し夢のある話をしてくれた。
多分2年と8カ月前には大島の被災者と同じ気持ちで絶望のどん底に落とされていたことと想像するも、
その年月の間に、嬉しいことに少し希望を見出していた。
仮設ではコミュニティができて、少しずつ助け合ったりして楽しみが出てきたそうだ。それから環境が少し整い、
いずれ元の街に帰ることの可能性も出てきたそうだ。まだまだ先のことに夢を馳せ目を輝かせて、その話をしていた。

 この二つの事例では、被災直後に何をしたら失望を最小化できるかは、すでにあの大地震から国家的に学んだはず。
大島の被災では救出作業に並行して被災者のケアーを開始すべきであるはずなのに、
現地では一生懸命おやりだと思うけど、縦割り行政、東北3県の教訓は伊豆大島には流れてきていなかったのであろうか、
1カ月たっても絶望から救い上げることができていない現実。

救出も最重要課題だが、心のケアーの対策は別の人が行うのだから並行してできない話ではない。
東北の災害の様に周囲全員が被災者になってしまえば話は別だが、大島ではお金もあり、
人もいる“東京都”がバックにいるのだし、首都東京からヘリコプターなら数10分の距離。
それを考えると、国も都も、大島町にも行政としての失策があったように思う。でも今日は、
実は行政の話よりも心の話をもう少し発展させて考えてみたいと思うのです。

 前例の被災者にとって、絶望は本当に絶望の世界に落とされての悲しみだと思うが、私自身この頃少し落ち込んでいるのです。
それでも先月までは、VE関連の大きなイベントの実行委員長と言う重責を担っていて、ここはああしよう、
あそこはこうしよう、と忙しくいろいろなことにそれぞれの担当委員と相談をしたりして、最良の選択肢を思考して、
実施に移そうとやってきた。
人間関係の難しいことにも心を痛めたが、夢があったし責任感に燃えていた。そして成功(と革新)に導けた。

その大仕事が終えたら自分の世界に戻り、この頃年を取ってきて、ひと頃に比べ幾分仕事も少なくなり、
その分時間が取れだしたのに、やりたいことが山ほどあったはずなのに、手が動かない。
義務の様になっている契約上の仕事(本業)は、その日が近づくにつれてワクワクするが、
どうもインターバルが有ったりすると落ち込みだす。

 大きなイベントも、本業のコンサルや講演も、取り組む時には常に夢をもって対処しているので活き活き(自分にも感じる)するが、
どうも他の事にはワクワク感がない。間もなくスキーシーズンだと言うのに・・・。

 原因が一つ分かった。身体だ。春先に肩の腱板の縫合手術で身体を動かすことをしばし怠ったら、
いろいろなところにガタが連鎖して、痛むは、動かないは、それでゴルフは遠慮するし…
どんどん負のスパイラルに落ち込んでいることに気が付いた。ここはもともとスポーツマンであることから、
治療より動かして可動範囲を広げようと毎朝動かすことに挑戦し始めたら、メタボにも効果が出始め、
間接や筋肉の痛みも随分和らぎ、雪のシーズンに大きな希望が出てきて、元気が出だした。


 さぁ問題は仕事の世界やその他の世界だ。仕事は相手があることで、少なくなったことも希望を低下させる要因だが、
まだまだあるのにだらしない!と自分に言い聞かせるも、なかなか奮起できない。
これは何だ、新しいことを創造していないことに気が付いた。そうだ、少し創造的な世界を取り戻そうと、
考え始めたら、ずいぶん気分が変わってきた。

私のエッセイは随分回数が増えて100回を超えている。そのうちの第5作目に「夢追い人」と言うエッセイがあるが、
ここでも、こんな一説がある。「一つのことを創造し始めると夢は限りなく広がり始め、浮き浮きとしてくるものである。」そうだこれだ、
そういえば、私は拙著にサインを求められると必ず書く言葉は「Value Engineerは夢追い人」仕事には
まだ創造の世界が終わることなく続いている。
仕事以外の自分で抱える課題は終わりがあるものもあるが、終わるまでにまだやることがある。
VEの大きなイベントも終わったが、まだ纏めがある、纏めが終わりではない。
次に託す纏めをすればある意味ではそれは次へのスタートだ!こう考えたら楽しみが出てきた。
終わった!良かった!で満足せず次の夢を語ってみよう。そうすれば来年のイベントは
我々の遺した夢をどう実現してくれているか関心も高まる。

通常の仕事は勿論今のままではいけない、
どこを深化させて企業さんに満足度を感じていただくか…ここにも夢が出てきた。


   夢を失った被災者の方々に少しでも激励の言葉を贈ろう。今の現象の中に、いろいろなこれからの事がある。
それぞれに、少しでもこうなったら良い、ああなって欲しいと夢を描いてみればどうなるだろうか。
大きなことを考えなくてよいのです。仮設住宅に入れたら、絵を飾ろう、絵はどこにあるか、絵なんかないと考えない。
そうだ!新聞に載っているきれいな写真がある、それをまず貼ろう、カレンダーのきれいな写真でも良い、絵でも良い。
身近な可能性から段々夢を膨らませればよい。景色の写真を見たら、そこに行く夢を作って見よう。いつ行けるかな、
絶対行くぞ‥こんな風に一つ一つ、夢に置き換えたら元気が出そうだね。

被災者だけでない。我々の生活の中にあるそれぞれの事象に、+夢 を加えたら活力になりそうな気がしますが、
あぁまた自分に言い聞かせてしまった。



    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE