嘉彦エッセイ


第116話(2014年02月掲載)


          



『米かお米か』


 昨年末、流行語大賞に「お・も・て・な・し」が選ばれた4語の一つに選ばれた。
一般的に流行語大賞は何かをもじって流行った言葉が選ばれるが、
日本人の心を表す言葉として選ばれたものと私は推定するが、ただ単に歓待するだけでなく、
日本人には「心」で歓待するとの一つの表現がおもてなしなのであろう。


この言葉は東京五輪招致のスピーチで滝川クリステルがフランス語でスピーチした時に使われた言葉だ。
強調するためにも字間に・を挟んだものと思われる。


フランス語での彼女のスピーチの「お・も・て・な・し」の説明はすぐに日本語訳され『それは見返りを求めないホスピタリティの精神、
それは先祖代々受け継がれながら、現代日本の最先端文化にも深く根付いています。
「おもてなし」という言葉は、日本人がいかに互いに助け合い、お迎えするお客さまのことを大切にするかを示しています。』と
話されたそうです。素晴らしい言葉が、世界を駆け巡った訳です。


日本人は言葉でいろいろ言わんとする意を異なる敬語や装飾語をつけて表現するが、人の呼び方を例にしても、
ご機嫌を取る時、親しく呼ぶとき古式の場など様々である。
欧米人は、目上の人にも、高位の立場の人にも相手のファーストネームで平気で声をかける。
ある時、TVのニュースに登場したクリントン大統領を側近が「Bill!」と呼び付けるかのように呼んでいたのを聞いて驚いたことがあったが、
Bill
の正式なファーストネームは、「William」だ。大統領でもそれが略称の「Bill」になってしまう。
でも日本人にはなじめない文化のような気がする。


言葉とは難しいもので、単語の使い方、敬語の使い方で、女性らしい会話になったり、指導者らしい話になったり、
それぞれに立場を象徴するものだ。


NHKのニュースでは、犯罪者らしいと“その女は・・”と言い、通常ですと“その女性”は、と言ったり、
ではその女は犯罪者と確定したのか、なかなか難しいところの言葉の境目で、
話題によってはTVを観ている視聴者には異なった印象が残るものだ。

私も言葉があまりきれいな方ではなく、また言葉使いが決してうまい方ではないが、
先日楽天の星野監督の優勝インタビューを聴いていて少々、
“この野郎!”と不快感を感じたことがある。


インタビューの最後に彼は「ありがとう!」と結んだ。このように活字で書くと何も違和感がないが、
語る雰囲気はお礼を言う状況のはずなのに、敬語と言うのかありがとうの後に
“ございました”がなく、
本当に感謝しているのだろうか、
雰囲気も高飛車、イントネーションも高飛車、
前段で語っていた東北の人たちへの感謝の中身と結びがあまりにも異なって嫌気がさした。
選手認可っていうなら全く問題はないが、彼は実はいつも「ございました」は使わない。
アナウンサーのインタビューでも「ありがとう!」だ。アナウンサーとの一対一の会話かも知れないが、
インタビューするアナウンサーは視聴者の代表で、視聴者には私の様に彼よりも年長者も沢山いる。
単なる風船を球場で放つ応援者もいれば、地域でファンを集め、球団を上げて応援を仕掛けている人や
ボランティアの球団支援者もいる。そう威張っている方々にもこれでいいのかと思うのです。


WBC監督候補になって、選手から総スカンを食ったことがあったが、彼の醸し出す雰囲気が、
本音を表してしまっているから、選手は好かなかったのであろう。
原監督や栗山監督の少しへりくだった会話には必ず「ございました」が付いている。言葉は自分の意思を伝える道具。
たった一言付け加えるだけで、相手に真意が伝わる。またその一言がないことで、
逆に威張っているように聞こえて逆効果になってしまうこともある。
これが
「お・も・て・な・し」の日本人の美しい言葉なのだと思う。



もっと身近なところできれいに聞こえる言葉について思うことがある。
これもTVの話でもあるし、日常の会話の話でもあるが、国家の財政の転換に「コメの減反政策の見直し」があり、
度々
“お米”の問題が登場する。と、こんなことを書くと、難しい話と思いきや、身近な易しい話です。

私は今“お米”と書いたが、小さい時からお米の大切さ、“ご飯”の大事さを教えられてきて、
お茶碗にご飯粒が一つ残っても、「もったいない、大事にしなさい」、と教えられてきた。
「コメの減反政策…」の“コメ”は決しておかしくはないが、大事にしなければいけないもの、
子供の教育で教えられたことなどは“お米” にしても決しておかしくはない気がするがいかがだろうか。



我々の生活の中で敬語に関連する言葉で沢山気になる単語がある。
日常使うお医者さんは、身近にお世話になっている
“お医者さん”のはず。でも「あそこの医者は・・」と語ると、
その瞬間から“ヤブ医者”を指すように聞こえる。こちらは何とか治してくれと願って、選んでいったのに、
そう簡単に治らないことも確かにある。でもやっぱり“お医者さん”であろうと思う。
ここには言葉の頭にも終わりにも敬語が付いている。(言葉の世界ではこういうのを何と言うのか浅学の私には不詳であるが・・・)
そのくらい重要な存在が、今日まで“お医者さん”と呼んできたのであろう。
それを「医者」とはけしからん!が私の主張だ。久保寺さんは久保寺先生だ!・・・たとえ治りが遅くとも。


若い娘(こ)がこの頃電車の中で、平気で“化粧”をしている。不思議なことにまつげをカールしたりする作業では、
必ずと言ってよいほど“エェ~”と言う大声を発しているのではと思うほど口を開けて作業をしている。
奥歯の金歯が見えるほど・・・誰のための化粧か分からないが、
少なくも電車の向かいにいる人(私)が対象ではないのは確かで、醜態は気にしないのだろう。
でもこれって、家でやってくるものと思うが・・そう、そう、話を戻して「
化粧」―「お化粧」。
私はこれも子供のころから
“お化粧”の言葉になじんできた。
でも、スキーに団体で行ったりすると若い(?)娘も何人も参加してくれているが、会話が“化粧”なんだよね。
ちょっと、お嬢さん(?)!と言いたい。せっかく親からいただいたさっきまでのスッピンを気に食わず、
化けさせてくれるこの作業、あなたにとって重要な、命の次に大事な作業ではないのか。
化けて漸くモテたり、声をかけてもらえるのだから、せめて“お化粧”と言ったらどうかと思う。
“お”を付る心があったら、お化粧しなくてもスッピンの美しさが認められて、美しさが醸し出して、
いろいろな人が寄ってくるのではなかろうか。美しさは塗ったくるより心から湧き出るものだ。

まず何にでも“お”を付けることをお勧めしますよ。お米、お化粧、お寿司、お財布(お金が溜まりますよ)
旨いはおいしい=変換したら美味しいになった。美しい味と言っている。
お手紙=綺麗だね、願いはお願い=これも綺麗だね、ご利益がありそうだ。
お薬(きっと、おを付けたら早く治る)、お布団(ぬくもりが増すでしょう)言葉探しで
来月までかかってしまうかもしれないからこの辺で。

 

”をつけて綺麗になったり、美しく響いたり、上品になるのに私も気づき直しました。
どうやら
気になったら”をつけておくことが無難なようだ。そして心から言うことが大事なんだよね。



    (株)VPM技術研究所 所長 佐藤嘉彦 CVS-Life, FSAVE