書体への誘い 8 鵞堂 <がどう>


鵞堂書島黄楊柾目盛り上げ駒
酔棋作(第107作)
植木宣隆氏所蔵

 


 


抽選で駒が当たった植木氏との対局(2002年)。年に1回ほどの対局だが、勝ったり負けたりといい勝負である。

酔棋将棋駒個展の賞品!

 この駒は、制作駒100組を記念して、1991年11月に行った私の個展『棋は鼎談なり―酔棋将棋駒展―』でアンケートの賞品抽選に当たった方に制作したものである。私自身も若かりしころ(?)を思い出し、この駒で指すと感慨深いものがある。その個展の模様を掲載した別項(近々アップする予定)も、ぜひご覧いただきたい。
 そのときに抽選に当たった(1992年1月制作引き渡し)幸運な方が植木氏で、私の仕事関係の方でもあり、年に1回ほど将棋を指す機会がある。左の写真は2002年の対局で、久しぶりに上記の駒での対局であった。このときの対局結果は、残念ながら私の惜敗となった。
 実際のこの書体は、金井静山が作ったものを元にしてある。下記で説明するように、実際の小野鵞堂の字と比べると、鋭さよりも静山の特徴である柔らかみが表現されている気がする。
 「駒アンケート」や本項をはじめとする「書体への誘い」でも紹介しているとおり、駒の書体にはかなりの数があるが、実際に人気のあるものは数書体に限られているといってもいいだろう。現在のアンケートどおりの結果とは必ずしも一致はしないが、一般的に人気のある書体としては「錦旗」「水無瀬」「菱湖(巻菱湖を含む)」「源兵衛清安」の4書体が通り相場である。次にくるのが、別項の「長録」であり、この「鵞堂」なのである。つまり、駒好きあるいは将棋好きが最初に所有する書体の駒ではないが、2組目か3組目には、欲しくなる魅力ある書体の一つといってよいかもしれない。


■「鵞堂書」の由来

  草書    行書    楷書
『三體千字文』楷・行・草/小野鵞堂書(マール社)より抜粋

 明治時代の仮名書道の大家であった小野鵞堂(1862〜1922年)は、静岡の出身で、東宮職御用係、女子学習院教授などを歴任した。手本類に関する著述や国定教科書を著したりと、その「鵞堂流」と称された独自の優美な書風は、当時からよく知られていた。
 そのような著名な書家が、将棋の駒銘を書いたと考えるのは、ちょっと不自然な感じがする。他の駒銘、たとえば「菱湖」のように、「鵞堂」の駒銘も豊島龍山が字母帖に残しているので、同時代に近い龍山が駒銘にしたと考えたほうが自然な気がする。
 実際の小野鵞堂が残した『三體千字文』が現在でも出版されているので、駒字となっているものをサンプルとしていくつか左に拾い出してみた。上から「玉」「将」「金」「歩」「兵」で、それぞれ右から楷書・行書・草書という3書体で構成されている。
 下記にこの駒の「玉将」と「歩兵」の写真を掲載したので見比べてもらいたい。もちろんこれは、静山の駒字(龍山の書体に近い)が元だから、他の駒師の「鵞堂」とは細かい点や表現には違いはあるが、小野鵞堂そのものの字ではないことが見受けられるだろう。
 それでも類推すれば、「鵞堂」という駒銘は、小野鵞堂の書の楷書と行書の入り交じったグレーゾーンに位置しているような気がしている。

上写真の実際の「玉将」と「歩兵」は静山の柔らかみがある。それでも、小野鵞堂の楷書と行書の入り交じったところが見受けられる。 

 

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駒の詩