書体への誘い 8 鵞堂 <がどう>
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酔棋将棋駒個展の賞品!
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■「鵞堂書」の由来
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草書 行書 楷書 |
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『三體千字文』楷・行・草/小野鵞堂書(マール社)より抜粋 |
明治時代の仮名書道の大家であった小野鵞堂(1862〜1922年)は、静岡の出身で、東宮職御用係、女子学習院教授などを歴任した。手本類に関する著述や国定教科書を著したりと、その「鵞堂流」と称された独自の優美な書風は、当時からよく知られていた。
そのような著名な書家が、将棋の駒銘を書いたと考えるのは、ちょっと不自然な感じがする。他の駒銘、たとえば「菱湖」のように、「鵞堂」の駒銘も豊島龍山が字母帖に残しているので、同時代に近い龍山が駒銘にしたと考えたほうが自然な気がする。
実際の小野鵞堂が残した『三體千字文』が現在でも出版されているので、駒字となっているものをサンプルとしていくつか左に拾い出してみた。上から「玉」「将」「金」「歩」「兵」で、それぞれ右から楷書・行書・草書という3書体で構成されている。
下記にこの駒の「玉将」と「歩兵」の写真を掲載したので見比べてもらいたい。もちろんこれは、静山の駒字(龍山の書体に近い)が元だから、他の駒師の「鵞堂」とは細かい点や表現には違いはあるが、小野鵞堂そのものの字ではないことが見受けられるだろう。
それでも類推すれば、「鵞堂」という駒銘は、小野鵞堂の書の楷書と行書の入り交じったグレーゾーンに位置しているような気がしている。
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上写真の実際の「玉将」と「歩兵」は静山の柔らかみがある。それでも、小野鵞堂の楷書と行書の入り交じったところが見受けられる。 |