本能寺の変・殺人事件その2

堂田「裏があるんですか?」

波子「この戦にも光秀の裏の活躍があったんだよ。光秀の手勢は三々五々に別れて甲斐入りしている。何かしらの隠密行動をとっていたんだろう

堂田「調略にからむ?」

波子「そうだろうな。そして調査だ。武田を完全に滅ぼした場合甲斐の庶民や国衆たちの動きの予測をするというね。信長は表の合戦部分は後継者信忠に手柄をたてさせるために指示を出していた。光秀ら重臣の工作も信忠らの活躍も予想以上に上手く行った」

堂田「その最中天海と光秀はであっていたと?」

波子「そうだろうね」

堂田「お互い潜行中か。記録は残らない。。ちょっと都合良過ぎやしませんか?」

波子「まあね。でも会ってたらこの時か、延暦寺が燃えたとき前後しか考えられないだろう?」

堂田「光秀は近江坂本に居城があるわけだし、延暦寺炎上後、僧侶たちがみんな延暦寺から離れたってことはないんじゃ?」

波子「光秀は、坂本でも僧侶と悶着を起こしているからね。本能寺の変直前に会ったんじゃないかな?それより前ってことは無いと思う」

堂田「でもねぇ。幾ら呪術で洗脳したって惚れ込んでたはずの主君を殺そうとしたりするかな?」

波子「光秀のターゲットは、信長じゃなかったんだよ」

堂田「えっ?『敵は本能寺にあり』だから信長でしょう?」

波子「そのセリフは江戸時代に作られた本や講談の中に出てくるセリフだろう。実際に光秀がそんなセリフを発したかどうかはわからないよ。光秀の、そして天海の本命は信忠だったんだよ。」

堂田「えっ?『敵は本能寺にあり』というセリフがなかったかもしれないと???それはショックです。

浪子「ショックだと?それは私が小学生だった頃、アルプスの少女ハイジのロッテンマイヤーさんとサザエさんのフネの声が同じだと気づいたときとどっちが大きなショックだい?

堂田「そんなショックはしりませんよ!!」

浪子「じゃあドラえもんののび太とヤッターマンのドロンジョとハイジのペーターの声が一緒だと気づいた時とならどうだ?ドラえもんといえばドラえもんのレギュラー声優が入れ替えされるらしい。このショックと比べてどうだ?

堂田「どうだと言われても。。。先生のショックの度合いなんて私にはわかりませんよ!」

浪子「そうだろう。同じように君のショックなど私にはわからないしわかりたいとも思わない。だから一々「ショックだ」なんて下らない主観的感想を取り混ぜてくれなくて結構だ。」

堂田「はいはい、わかりましたよ。けど信忠ならその頃明覚寺にいたんじゃ?本能寺にはいなかったんでしょう?」

波子「結果的にはそうだった。」

堂田「なんで直接、信忠を襲わなかったわけですか?」

波子「そんなことすると信長は逃げちゃうからね。まず信長を足止めしたかったんだ。」

堂田「信忠だって逃げたかもしれないじゃないですか?」

波子「逃げないという確信があったんだろうね。実際彼は逃げなかったどころかわずかな兵を引き連れて本能寺に向かおうとしていた。結局村井に留められて二条城に駆け込むんだけどね。光秀は信濃攻めの采配から信忠の性格を把握していたんだ。必要以上に勇猛果敢という性格をね。一方信長は逃げ足が速い。」

堂田「どっちにしても、信長親子を光秀は一網打尽にする気だったんじゃ?」

波子「信忠はともかく、信長を殺すつもりはなかった。信長に比叡山復興を約束させたかったんじゃないかと思ってるんだよ。おそらく信忠は信長以上にそれを認めなかったんだろう。直前の甲斐の仕置きでも寺を幾つか焼き討ちしているしね。しかもその中には禅宗の名僧快川紹喜までいた。『心頭滅却すれば火も自ずから涼し』の言葉を残した人だ。このときも僧侶150人が生きたまま寺に火をかけられ死んでいる。」

堂田「生きたままっすか!伊勢長島の惨劇を彷彿させますね。しかし「心頭滅却」の言葉がこのときに発せられたとはしりませんでしたよ。」

浪子「快川紹喜はね、光秀と同じく美濃の土岐氏を祖としている人物だ。勿論ほんとうにこの二人、とくに光秀が土岐の流れかどうかはわからないがね、『時は今』の連歌からも光秀本人はどうもそれを信じきっていたようだね。同祖の名僧の死も光秀に天海がかけた呪術をより深いものにしただろう。一種のトラウマにもなったんじゃないか。その最期の場面に光秀もいたらしいしね。信忠に対する嫌悪がより強くなった事件じゃないかと私は思っている。」

堂田「信忠の大活躍は信長の命を受けて、また信長の重臣たちを使ってのものが多いので、もう一つ彼の人となりがわからないのですが、なかなか凄いこともやってるんですね。」

浪子「信長の悪い部分も学んでたんだね。信忠という後継ぎはね。だから光秀は彼を除けようとした。もちろん、信長が光秀に対して行った処罰や譴責に対する嫌悪の情も光秀にはあったんだろけども、この事件で信長への嫌悪も信忠に対する嫌悪に摩り替わったんじゃないかな。」

堂田「まさか、そんなわけないでしょう。親の因果が子に報いじゃないんだから。。。」

浪子「黒田如水の隠居後の逸話を知ってるかね?」

堂田「如水って官兵衛のことですよね。関が原の後、息子の長政が活躍に対して「家康殿が自分の手を取って喜んでくれた」と報告したら、「その時お前の反対の手は何をしていたんだ?」って話ですか?」

浪子「違うよ、もっと後、黒田如水が昔からの家臣たちにわざと嫌われる事をして、それを注意してくれる息子の評判を上げたという説話があっただろ?」

堂田「あああ、はいはい。自分が家臣たちに嫌われることによって、逆に息子の人気が上がるようにしたという話ですね?」

浪子「そうだ。さすが歴史おたくだね。如水は人間の心理にも良く通じていたという逸話でもある。これと逆の作用が、快川紹喜らを殺戮した事件をきっかけに、信長・信忠・光秀の三者の中で起こったんじゃないかと思うんだ。だから光秀は信忠を除けようとした。」

堂田「そんな短絡的な!だいたい後継ぎの長男を殺されて『はい。そうですか延暦寺は復興させますよ。』なんて信長が言うとはおもえないですしねぇ。」

波子「光秀は信忠を殺した後、信忠の罪を公表し光秀そして天海の言う事を聞く後継者を信長に認めさせようとした。その後継者こそ信雄だよ。信忠とは一歳違い。一度、大きな敗戦をして酷く罵倒されるみたいだが、信長も浅井・朝倉との戦いで大負けしているしね。失敗の少ない信忠よりしぶといかもしれないよ。信雄に任すならと言う可能性は少しはあるだろう?信雄の直轄領は伊勢だろう。いいじゃないか天照大神もいらっしゃる所だしね。」

堂田「天照大神は関係ないでしょう。だいたいその「信雄に任す」って言わせるはずの信長だって殺しちゃってるわけだし。」

波子「信長を死にまで追い詰めたのは光秀にとって大きな誤算だった。でもねこれにも裏がある。」

堂田「というと?」

波子「斎藤利三。」


堂田「って春日の局の父親ですよね?」


波子「そうだ、流石よく知っているね。歴史オタクの面目躍如だ。」


堂田「そんなことより、斎藤利三が何の裏なんですか?」


波子「斎藤利三はね、信長を殺したかったんだ。光秀の信忠誅殺計画を知った彼は、本能寺に着くや否や光秀の命令が下る前に戦闘を開始した。信長を殺すためにね。」


堂田「ええっ?」


波子「利三は信長に自害を命じられている。殺されそうになっていたわけだ。それも本能寺の変の直前にだ。」


堂田「どうして?」


波子「斎藤利三はね、もと美濃の斎藤家の縁戚だ。そして美濃三人衆といわれる稲葉一鉄の配下になっている。」


堂田「それは知りませんでした。稲葉家は潰れたわけではないのにどうして光秀の家臣に?」


波子「きっかけはよくわからない。光秀の引き抜きか、利三が売り込んだのか?まあいずれにしても稲葉一鉄に仕える事を快く思ってなかったらしい。一説に彼の母親は光秀の妹だとされていて、伯父甥の関係だったから光秀に仕えたかったとも言われている。でもこれ違うんじゃないかと思うんだ。だって光秀は流浪していただろう?」


堂田「流浪してたって、名家の出は名家の出でしょう。出自は変わらないはずです。」


波子「光秀は土岐氏の末裔、利三はそれに名門美濃斎藤氏の末裔とはいえ、このころまでには縁は遠くなっていたはずたろう?」


堂田「それはわからないんじゃないですか?光秀の連歌にも『土岐は今』と読まれてひどく土岐氏を意識しているし、土岐氏の末裔を自称していた明智氏、それに使える斎藤氏という構図を復活させようという魂胆もあったのでは?」


波子「古流の名家の復活か。それくらいが本心なら信長だって光秀との主従関係を認めたはずだ。伊勢では神戸や北畠なんかにも家名を残させているからね。でも信長は稲葉一鉄からの斎藤利三返還要請に同意している。もちろん、光秀も家臣にしたいと願い出ていたはずだ。こちらは無視されている。その上、それに従わない利三に対して、信長は「自害」を命じた。」



堂田「自害をさせようとしたのですか?」


波子「そうだ。でもこの時は信長の側近であり、かつては斎藤家に仕えた猪子兵介のとりなしで自害は免れている。」


堂田「信長は光秀の家臣であり、甥である利三を殺そうとしてたってわけですね。でも、自害を命じたというのだって家臣の側から三行半を突きつけられた稲葉家の体面を守るための信長のポーズだったってことも考えられますよね?」


波子「君にしてはいいところに気がついたね。織田家の一部といってもいいほど信長に取り立てられた明智家、そして信長が大きくなるきっかけに寄与した美濃の名家稲葉家との間で起こった紛争を、信長は子飼いともいうべき明智の側に罰を与える形で解決しようとしたってことだね?」


堂田「そう、そうです。」


波子「当時の人たちもそう考えたんだろうね。信長ももちろんそのつもりだった。でもね。信長に睨まれた当人にとってはどうだろう?」


堂田「当人というと、斎藤利三?」


波子「そうだ。斎藤利三は『いつか、信長に殺される』と思ったろうね。」


堂田「そりゃ、そうかもしれませんが。。。」


波子「やられる前にやれ。ってところだろうね。利三はそのチャンスを伺っていた。」


堂田「まさか!陪臣の利三がいくらチャンスを待ったって無駄でしょう。自前で信長と戦えるほどの武力もなかっただろうし。。」

波子「それに利三にとって一番大きな政治的な問題である四国征伐が目前に迫っていた。四国への調略活動は光秀というか斎藤利三その人が担当者だ。」


堂田「四国調略?あ、確か光秀は長宗我部氏と縁戚なんでしたよね。」

波子「もっというと利三と長宗我部元親は義兄弟だ。」

堂田「あっそうか、、光秀と長宗我部の関係ばかり考えてました。確か利三の同母妹が長宗我部元親の正室・・。」

波子「長宗我部は光秀とも利三とも縁を結んでいるわけだよ。」

堂田「ちょっとやそっとの関係じゃないってことか」

波子「光秀が信長に睨まれてでも利三を離さなかったのは、利三が縁戚でしかも有能だったからというだけではない。四国との関係がおそらく彼と彼の軍団にとって当時の最重要課題だったのだろう。」

堂田「で、光秀の四国政策を全部取し切っていたのが斎藤利三だった」

波子「その通りだ。」

堂田「でもなぁ。。光秀は四国政策からはずされていたわけでしょう?」

波子「斎藤利三が光秀の配下となった時は、まだ光秀が四国を担当していた。光秀は四国担当者となったから、もしくは四国を担当するために斎藤利三にヘッドハンティングをかけたんじゃないのかな。」

堂田「まさか・・・・」

波子「黒田官兵衛。かれも秀吉の播磨攻略で利三と同じ立場にたっている。」

堂田「播磨勢力と秀吉の間にたつ交渉窓口ではあったでしょうが。。彼の場合は軍師だから」

波子「そうだよ。利三も軍師だ。」

堂田「そうなんですか?三成に対しての島左近のような戦闘用の大物かと思っていました。」

波子「君はそもそも軍師の最高の役目って何か知ってるのかい?」

堂田「そりゃ諸葛孔明のように戦争のための作戦を立てるとか、軍の行動方針を立てるとか・・」

波子「ばかか、君は」

堂田「ええ?」

波子「軍師の最大の役目はそんなことじゃないんだよ。調略こそ最大最高の軍師の役目だ。いいかい?それが成功するか失敗するかは別にすると、方針や作戦なんてものは誰にでも立てられる。軍師と呼ばれるのには成功する作戦を執り行うってことだ。つまり戦わなくても勝つ情況を決戦前に調略で仕上げて置く事が最も大事な仕事なわけだ。諸葛亮が考えたとされる天下三分だって、考えるだけなら誰かが考えていたはずだ。成功しにくいであろう中勢力拮抗常態の播磨攻略には軍師が不可欠だ。竹中にできるのは、美濃勢を取り込んだことで一気に巨大化した織田軍団内部での調整、そして対策なんだ。赤松系の国人小勢力が割拠している播磨では竹中半兵衛にはそれができない。だから同じ赤松系黒田官兵衛が必要だったんだよ。」

堂田「うーんそう考えればそうかもしれませんね。」

波子「信長は結局、利三の明智入りを認めた。信長からみても四国との関係を築くのには光秀と利三が必要だと一時は判断したんだろう。だから許した。黒田官兵衛も同じだ。荒木村重の謀反の時に一度は官兵衛の子を殺せと命令したが結局許した。」

堂田「なるほど。細部は違うけど明智と羽柴は相似形のような気がしてきました」

波子「似ているんだろうね。というか本当の意味での子飼いの少なかった両者は同じような方策で軍団の力を増幅していった。」

堂田「軍師かぁ。でもその軍師がやるってことは成功間違いなしの軍事行動なんですよね。そうか!実際本能寺は成功しちゃったわけかぁ。」

波子「そうだ。もう一つの考えもある。光秀が四国政策を完全にあきらめる事としていたとしよう。そうすると一番の高給取り軍師でもある斎藤利三っていうのは、もはや不要でもある。利三は古くからの光秀の家臣じゃない。光秀に仕えてたった2年の新参者だ。だから利三は光秀にもう一度四国担当になってほしかったはずだ。自分の存在意義にも通じる仕事だろうからね。」

堂田「でも、光秀は丹波へ。。。」

波子「そう、その通りだ、利三は諦めるしかなかったかもしれない。でもね。チャンスはやってきてしまったんだよ。運命の扉からね。」


堂田「運命の扉ですか?」


波子「そうだ、この扉さえ開かなかったら利三は事を起こせなかった。扉を開いてくれたのは光秀だ。利三はこのチャンスをおそらく狙っていた。だから本能寺までの軍行旅程はつつがなく行えた。」


堂田「叡山復興の請願と信忠の排斥を狙った光秀の作戦に乗ったと・・・・。」


波子「光秀には四国担当者復帰の気持ちもあったろう。光秀の信長拘束命令に乗じ、利三は自らの野望を達そうとした。それが本能寺の変、信長の死だ。一番面食らったのは信長でも、本能寺の守備兵でもなかっただろうな。光秀が一番驚いたんじゃないだろうか。こうなってしまっては後戻りはできないからね。」


堂田「そんな馬鹿な!利三は主君光秀の下知を敢えて曲げて全軍に伝えたと?」


波子「そうだろう。言ったもの勝ちだよ。どうせ一般の兵たちは、光秀ら幹部が本能寺を囲もうとしたり、攻めようとしていたことは直前までは知らなかったろう。「敵は本能寺にあり」と号令した人物が本当にいたとしたらそれは光秀じゃない。斎藤利三だよ。」


堂田「そりゃ、下っ端の中から抜け駆けしてチクル輩も出るかもしれませんからねぇ。極一部の幹部しか知らなかったのは間違いないでしょう。」


波子「そして重臣たちにも緘口令が布かれていた。という事は、『途中で作戦の確認ができない』ということになる。」


堂田「まあ確かに進軍中にそんなこと確認してたら情報は漏れてしまうかもしれませんねぇ」


波子「斎藤利三以外は「信長を殺す」ということは誰も知らなかったんだよ。光秀さえも軍を動かすということしか承知してなかった。」


堂田「でも、そんな事ってありえるのかな?


波子「あり得るよ。現場で起こった混乱や命令無視や失敗、そして何よりやってしまった事を周囲に納得させる力、それらをひっくるめて後でうまく纏めるのが政治家の力量なんだよ。光秀には政治家としての力量がなかったのさ。けれど斎藤利三の眼にはその政治力と胆力が光秀にはあるように見えていたんだろうね。」


堂田「織田家随一の将軍なのに。。。」


波子「軍略と政略は違うのさ。」


堂田「じゃあ光秀は、どうしたらよかったのですか?」


波子「信長が死んでしまったことで、光秀の『信忠を排斥して信雄を立て叡山を復興するという計画』は水泡に帰したわけだ。それに許可を出すべき信長が死んでしまったわけだからね。その失敗を取り返そうとして改めて信雄の人となりを考えてみた。信雄が天下の仕置きをするよりも、自分が行う方がよいと思ったんだろうなぁ。光秀と信雄の個人の実績だけを比べた場合にかぎっては、これは間違いではないだろう。また信長に代わってその天下の仕置きの許可を出す立場にある朝廷の受けも自分の方が良いと判断したんだろう。」


堂田「信雄の天下よりは光秀の天下の方が上だったと?」


波子「いや、『光秀の方が上』っていうのはあくまでも個人のそれまでの実績の話だよ。でも天下云々になってくるとこれは大きな間違いになってくる。」


堂田「というと?」


波子「そもそも、光秀が兵を都にむけたとき、光秀は信忠の代わりに信雄を立てようとしていたのであって、信長の代わりに自分が立とうしたんではなかった。光秀は『織田の天下』のうちで光秀のやりたいことをやろうとして立ったはずだ。」

堂田「聞きました。黒幕のうちに信雄がいる。って話でしたよね。」

波子「光秀が犯罪者斎藤利三を庇おうとする意識が、光秀の判断力を大きく狂わせたんだろうね。もともと彼にも野望もあったろうし、そういうものも光秀がある意味開き直ってしまった原因の一つでもあるんだろう。そして歴史的に黒幕になるべきはずの信雄の登場場面がなくなっちゃったんだよ。」

堂田「なるほど、信雄は黒幕、いや主役になり損ねたわけですね。でもこの場合は傀儡のような気も・・・。」

波子「信雄が傀儡なんてとんでもない。光秀が兵を使って主君を脅すという行為をするためには織田家の内部でそれを教唆し、事後に光秀の立場を守る人物が必要だし、その人物こそがここまで派手な兵を使っての脅しまがいの諫言の原案を出したのだろう。光秀は、信長の死によって当初の計画が狂ったにせよ、天下人には予定通り信雄を立てるべきだったんだよ。斎藤利三を信長殺しの罪で処分してね。」

堂田「信雄をですか。。。」

波子「出損なった信雄は結果として光秀を牽制してしまうことになる。鈴鹿峠でとまってしまうんだ。信雄が光秀の傀儡でしかないのなら、光秀に早々と合流したはずだ。」

堂田「信雄はそんな近くにいたんですか!」


波子「そうだよ。信雄は光秀が京に招きいれてくれるのを鈴鹿峠で待ってたはずだ。天下人になってしまえば伊勢の混乱なんて後回しでいいはずだからね。信雄が牽制にまわってしまったおかげで、近隣の光秀と近しい関係にあった織田諸将はなおさら身動きがとれない。たとえ光秀に合流したくても大義名分にかけるからね。いくら下克上の時代とはいえ織田に反旗を翻すのと織田を利用とするのでは、周囲から見ての安心感が違う。みんな織田によって成り立ってるわけだからね。光秀の採った動きは織田家中枢に、というだけでなく、自分たちを含む織田政権全部に反旗を翻したと彼らの目には映ったのだろう。」


堂田「主君を殺したわけですからね。」



波子「主君を殺したという道義的な事は、大名たちが今後の身の振り方を考えるのに関して、つまり光秀に味方するかしないか決定することについては大した問題じゃないんだ。信長を殺したということは直接的に織田政権そのものを否定する事にはつながらない。織田家の人間である信雄を担ぎきれなかったということが織田政権を否定する事に繋がるんだ。織田政権を否定すること織田政権によって成り立っている近隣諸将にとっては自らの本領安堵の否定にも繋がる。自分の権益を守ってくれる人間にこそ忠誠心を尽くすんだ。戦国時代の忠誠心と江戸時代の忠誠心とは違う段階なんだ。」


堂田「うーん。でも秀吉は「信長の敵討」という名目で動いたじゃないですか?これなんか忠臣蔵の忠誠心を彷彿とさせますが。で結局この動きが天下人に繋がるわけだし。」


波子「それこそ、織田政権の政策を続けるという意思表示だよね。それに秀吉が天下人になれた直接の原因は清洲会議だよ。山崎の合戦ではない。もちろん清洲会議の主導権を握るために山崎の合戦の勝利は大きく影響しただろうがね。これだけでは秀吉の未来が約束されたわけではないんだ。秀吉は清洲会議で信雄でも信孝でもない信忠の嫡男の後見人になることによって織田家の中での執権のような立場を得ることができたわけだ。」


堂田「そうですね。織田信長を頂点とした天下の中では秀吉と勝家は同格。でも織田家中という私的部分では勝家の方が格上なんでしょうね。」


浪子「山崎の合戦の勝利だけでこの会議の取りまわしに失敗していたら秀吉の時代はこなかったかもしれない。光秀が利三に主君・信長殺害の罪をかぶせて処分し、信雄を迎え入れていたら、清洲会議からぬ安土会議が開かれて、秀吉のように織田家の主導権を握ることもできたかもしれない。」


堂田「まさか!利三の責任は光秀の責任でもあるわけじゃないですか!」


波子「信雄さえ擁立できていれば信雄が共犯になるんだよ。そう単純な話じゃなくなってくるはずだ。」


堂田「それはそうかもしれませんが、信雄だって北畠の家名をついで形式上は織田家から出ているわけだし・・・。」


波子「結局、この時代の大名たちの最大の関心事項は「自分の領地がどうなるか」なんだよ。主君がどうこうというのはもっと後の時代になってからの話だ。信長だって美濃制圧は道三の娘婿という立場、そして入京時には足利将軍家を補佐するという立場を利用して、その後の天下布武の動きを始めたあたりから積極的に天皇家を利用している。旧来秩序も、既得権益も取り合えずは保護しますよ、というポーズだ。政治の基本姿勢だよ。光秀にはこれがかけているというか、このあたりが全く見えてこないわけだ。書状による本領安堵なんて役に立たないのは足利将軍が直前に知らしめてくれてるからね。これだけじゃあ、細川氏らが、光秀の突発的勝利の尻馬に乗るという賭けに出るにはまだまだ足らないんだよ。」


堂田「細川氏らが光秀の扇動に動かなかったのは、信長への忠誠心があったからではないと?」


波子「当然だよ。そんなものがあったとしたら、細川はすぐさま近江に攻めあがってるだろう。自分たちか信じられる形での将来の保証が光秀から得られなかっただけだ。それが得られていれば細川も洞ヶ峠で風見鶏を演じたという有難くない伝説をつくられた親父も当然、光秀に呼応してたに違いないよ。彼らを安堵させるには程遠い状態だったんだよ。光秀はね。そして何より信長が本当に死んだのかということについて、光秀からのリークではない確かな情報ももっていなかったのかもしれない。現代では「一生懸命」とかいうが本来は「一所懸命」だからね。武士っていうのは「一所」つまり土地や権益に命を懸けているんだ。」


堂田「じゃあ信孝の立場は?」


浪子「信孝はだめだ。光秀が動く以上、資格がない。」


堂田「資料とかみると、信雄とは同格っぽいし、信雄より有能っぽいですが。。。」


浪子「『ぽい』だけだよ。明らかに、信忠と信雄の生駒氏の娘の同母兄弟をその他の兄弟の上に置いてる。それに能力なんてわからないだろう?信雄と同程度か少し上くらいの能力なら余計に登場する価値はないしね。信雄だけでなく、信忠や柴田、丹羽、羽柴より有能でないと無理だろう。実績は信雄とトントンだろうしね。」


堂田「実績では似たようなもんかなぁ。」


浪子「それに彼は身内にたいしてかなりのコンプレックスをもっているよね。本能寺の変の後のどさくさにまぎれ、従兄弟で光秀の義理の息子である織田信澄まで殺している。義理の息子だから光秀と通じているんだろうという疑いをかけたようだが、こういう時に本心がでるからね。兄弟、従兄弟など織田家中の第二世代からはひときわ浮いた存在だったんじゃないか?宣教師には三兄弟の中で特に人気があったらしいから、キリスト教にも近かっただろうからね。キリスト教から距離をとりたくなってきていた光秀の仲間には無理だろう。何より四国対策を横取りした形になった当人だ」


堂田「四国関連もあって光秀、利三とはそりが合わない可能性が高いかぁ。キリスト教に近いんなら、叡山復興など積極的に行いそうにもないですしね。信忠の天下に反対して取り替えるんだから、信孝では駄目か。」


浪子「信孝が信雄より有能っぽいのは、大きな失敗を、この時点ではまだしてないからだろ?それに信孝は信雄より有能だったのではないかと感じる事にこそ『怨霊思想』の影響が見受けられる。信孝は秀吉への恨みを辞世にするほど秀吉を恨んでいたしね。太田牛一や後世の講談、小説の作者の判官贔屓があったんじゃなんいか?」


堂田「動きにくかった畿内周辺の武将とはちがって秀吉の場合はどうかな。どういうつもりで大返しをしたんでしょうね。」


波子「秀吉は信長あっての自分、織田家あっての羽柴家っていうのを光秀よりも深く自覚してたんだろうね。信長に花を持たせようとして、一人でも楽々できる西播磨平定そして備中高松城攻めにも信長の出馬を願ったとか言われてるが、違うんだろう。本心から信長に出てきてもらわねばならないと思い込んでたから呼んだのだろう。それに何より、光秀に畿内を完全に抑えられたら四方に敵という構図になる。これだけはどうしても避けたかったんだろう。どうしても畿内に戻りたかったはずだ。また、仮に光秀にあんなに短い合戦だけで勝てなかったとしても畿内に自分の軍を展開させる名分は立つ。」


堂田「とにかく、中央の政争に絡みたかった?」


波子「政争に絡みたいというより、自分の直属軍を中央に入れたかったんだろう。精度の高い情報を自分で収集するためにもね。そしてそれがそのまま発言権にも繋がるだろうからね。それが思わぬ効果を読んだ。さっき君は秀吉は信長の敵討ちをしたといっていたが、秀吉だって信長が死んだとは大返しを始めた時点では思ってなかったかもしれない。『信長が逃げて生き伸びている』という可能性を考慮すれば、とりあえず簡単には光秀側につくわけにはいかない。これは秀吉だけでなく信長の死を直接確認していない全ての大名、武将にも言えることだ。」


堂田「信長がまだ生きている可能性があると武将たちは思っていたということですか?」


波子「微妙に違うよ。生きている事も視野に入れて次の行動を起こすきっかけを待っていた。ということだ。何しろ戦国時代には、NHKも朝日新聞もないんだからね。情報は自分の身内を使って確認しなくてはいけない。でも京も安土も混乱している。本当の意味での確認なんて、光秀に呼応した少数の武将しか取っていなかったに違いない。」


堂田「なるほど。万が一生きていたりしたら大事になりますよね。」


波子「そうだ。その点、秀吉は中途半端に離れていたことで、畿内に向かっての軍事行動を早く起こさなくては何もかもが立ち遅れるという立場にあったから、備中や姫路あたりに居着いて情報収集と確認だけをしている場合ではなかったわけだ。情報収集するにも直接畿内に入らなくては精度の高い情報は得られなかっただろうしね。」


堂田「なるほど秀吉は信長が死んでいても生きていてもとりあえず畿内に自分の軍を入れる必要があったというわけか。もともと畿内にいる武将たちは逆に錯綜する情報の収集と確認に追われて軍を動かしにくかった。と言いたいわけですか?」


波子「そうだよ。本能寺の変が起こった直後、秀吉はとりあえず畿内に行く必要があって軍を畿内に入れるまでは畿内に入るという選択肢しかなかった。すでに畿内にいる連中は場合によっては光秀につかなくてはならなくなるかもしれないという選択肢をもっていたわけだ。だから逆に迂闊には動けない。それに畿内では本能寺の変については早くから広まっていただろうから、雑兵や一般の兵たちが光秀軍来襲の前に逃げ出したりしてただろうからね。爆心地にいたせいで逆に内部統制がとりにくかったりしたんだろうね。信長の甥の津田信澄は光秀の婿だということから従兄弟の信孝に殺されている。彼らは同じ大阪城に居たからね。細川忠興だって大阪城に詰めてたら同じ運命だったかもしれないよ。そうなってたら忠興の親父さんだって光秀に早々と寝返ってたかもしれない。とにかく畿内は混乱していた。」


堂田「うーん。なるほど。情報が早すぎるというのも、逆に判断を鈍らせるのですね。現在、インターネットを利用した情報の発信者が増えたおかげでかえって適正な情報を得られないとか言われていますがそれと似たような状況だったのかな・・・。情報の氾濫か。。。ところで秀吉は何時の時点で信長の死の確信を得たんでしょうね?」


波子「高松城から姫路に戻る間だろうな。だから高松城にいたころには半信半疑だったんだろう。毛利が気づいたのがその直後だろうけども、邪魔をしてこなかったのが秀吉の幸運だろう。秀吉は大急ぎで姫路に戻ったわりには姫路で丸一日休息している。」


堂田「毛利は元就の遺言を守って動かなかったんですよね。」


波子「もちろんそういう理由もあるだろうが、主な理由が元就の遺言というのはちょっと違うだろうなあ。」


堂田「じゃあ、やっぱり毛利には追撃する余力がなかった?」


波子「そんなことはないだろう。毛利は、いや小早川隆景は追撃して邪魔するより、秀吉に早く畿内に戻ってほしかったんじゃないか?」


堂田「へ?」


波子「だって、山崎の合戦、いや、この時点では対明智戦争だな。それがたった一週間でけりがつくとは思ってなかっただけだろう。畿内の混乱に秀吉軍が加わることによってますます畿内が混乱すると踏んだんじゃないかな?その隙に中国地方の地固めができる。天下を争うのはまだ先だと思ってたんじゃないか?混乱に拍車をかけるために秀吉軍に援助までしてる節がある。」


堂田「それがあれよあれよという間に秀吉軍の大勝利ってわけか。」


波子「毛利は秀吉勝利の報を聞いて方向を統一した。秀吉の天下に寄与するとね。信長には抵抗してたのに秀吉には協力したわけだ。」


堂田「信長が怖かった?」


浪子「それは否定しない。叡山焼き討ち一向一揆の皆殺しだとか、信長という政治家は自身の恐怖プロデュースっていうかプロパガンダも上手だったからね。この『信長に逆らうと大変な目にあわすぞ』という宣伝活動には光秀も大いにかかわっていただろう。秀吉の方が与しやすしと、小早川らは判断したのだろうね。でもね、それだけじゃない。トップの性格的怖さなんて事は問題じゃないね。毛利は相手が怖いとかいうよりも、信長という恐怖の大魔王が生きていたなら徹底抗戦したんじゃないかと思うよ。毛利家首脳が当初見せていた反織田という姿勢の中には一向宗弾圧に対する抗議の姿勢を配下の臣民たちに見せておく必要があったからだ。」


堂田「へ??臣民たちに?」


浪子「そう、毛利領内の一向門徒をまとめる必要があったのだ。勿論毛利家首脳たちの信仰心も多少は影響してるだろうがね。」


堂田「毛利にも一向宗問題?」


浪子「毛利はね。織田家のような独裁体制ではない。中国地方一帯の中小の勢力が一番実力のある毛利家を旗頭に一まとまりになっているにすぎない。一枚岩ではないんだ。だからある程度配下に対しての人気取りが必要になってくる。つまりだ。毛利家は一向宗を優遇しなくては安定を得られなかったのだ。」


堂田「毛利家といえば、西は九州、東は播磨、南は瀬戸内、北は隠岐まで最大11ヶ国を支配した大大名じゃないですか!それが、一向宗を頼らなくてはならないほど一枚岩ではない?」


浪子「そうだ。特にお膝元の安芸の国への対策だ。吉川、小早川への養子なども全て安芸の国の中小の勢力を懐柔するためという側面を持っている。」


堂田「でも、毛利家って一向宗を支援したのはあくまで畿内から攻め込まれないためだけの対策でそんなに一向宗に肩入れしてたと思えないけど・・・・」


浪子「畿内対策ってどういう意味?」


堂田「つまりですね。伸長著しい織田勢力を疲弊させるために本願寺に肩入れしただけ。。。。。。」


浪子「ああああ、なんてこったい君は歴史が好きかもしれないが、現代人すぎるね。」


堂田「そりゃ現代人ですから。。」


浪子「いいかい、織田勢力なんてものは、当時の人たち、特に織田家と係わり合いをもたない人間たちにとってはまだまだ台風みたいなもんだ。つまり吹けば飛ぶ。実際、信長が死んで飛んじゃったわけだしね。まだまだ磐石でもなければ安定なんてとてもじゃないがしていない。いわば「ぽっと出」だ。そんなぽっと出を牽制するためだけに無理をして本願寺の支援なんてする必要はないだろう?」


堂田「ぽっと出はないでしょう。なんたって当時の首都をはじめ日本の主要都市はみんな織田の勢力下にあるわけだし・・・。」


浪子「いや、『ぽっと出』だよ。織田信長が天下に覇を唱えてからまだ10年も経っていない。織田勢力下ならともかく、織田勢力と関係の無い地域はまだまだ室町時代いやこれは言い過ぎが、まだまだ戦国時代なわけだ。織田政権下、もしくは織田政権支配地域と隣接してない地域から見ると織田信長なんて何時こけるかはわからない。彼らからみれば三好長慶や松永久秀に取って代わっただけなんだよ。安国寺だけが信長政権が揺らいでくるのを予見してたわけじゃないんだ。寧ろ当時の常識からみて急成長していきなり天下人のように振舞うようなものが転ばない方が珍しいわけだ。」


堂田「そんな馬鹿な。なんといっても天下統一の土台を固めたんですよ?」


浪子「だから君はだめなんだ。それはね、豊臣秀吉が織田信長の臣下で、徳川家康が織田信長の弟分だったという認識があるからそう見えるだけなんだよ。当時の人々はね、まだ太閤検地も経験してなければ、日光東照宮も建立も見聞きしてないんだよ。」


堂田「そりゃそうですが・・・・。」


浪子「ここまで言ってまだ解らないのかい?つまりだ。この後、織田政権を継ぐものが日本列島全域を支配下に治めるなんてまだこの段階じゃ夢物語なんだよ。信長の死一つで一気に瓦解する可能性もまだまだ高かったんだ。そういう認識が君の歴史認識からはひどく欠落しているよ。」


堂田「そんなモノですかね。当時の織田政権は。「ポット出の織田政権」うーんどうもイメージがわかない。」


浪子「例えば、中国大返しに入った秀吉を小早川が和議の約定を反故にして追撃して、姫路あたりで合戦になり秀吉を討ち取り、姫路城に居座ったとしよう。元々播州は毛利圏内だった。秀吉が進駐してきたからこそ小勢力独立状態が顕著になっただけだ。」


堂田「はぁ。バーチャル史論ですか。いいでしょう。お付き合いしましょう。播州といえば一向宗の強いところですね。」


浪子「そうだね。よく気がついた。瀬戸内の温暖な気候。収穫力の多い平地に盆地、これらは安芸の国に似ている。その播州は黒田官兵衛の手引きがあったとはいえ、毛利圏内だった播磨が秀吉軍が入った途端、散り散りバラバラの弱小勢力の集合体になってしまったわけだ。そしてあっという間に織田圏内に入ってしまう。」


堂田「そういえばそうですね。秀吉は三木攻めなど播磨討伐に苦労したとはいえ、抵抗は散発でした。」


浪子「そこへ小早川軍が居座ると、播州の旧勢力は一気に息を吹き返し毛利派に鞍替えだ。」


堂田「まあそうなりますかね。」


浪子「これで小早川は、山陽道一帯を支配することになる。そして畿内ににらみの聞く播磨にいすわり、安芸の毛利本家、吉川家と共に山陽道、瀬戸内、山陰道という一大経済地帯を占めることになる。まあ将来的の三家が疎遠になる可能性はあるがね。」


堂田「中の良い一族だから疎遠とまでは。。。」


浪子「隆景自身はそうだろう。でもね、隆景にも側近はいる。おそらく旧小早川三家の家臣や縁戚たちが小早川家の内部をしきっていたはずだ。吉川元春と小早川隆景が方針をめぐってよくやり合っている場面が毛利の歴史には良く出てくる。これもね、結局はどちらかが毛利家以外の立場に立って主張を代弁しているポーズを取ってるわけだ。内部崩壊の予防策としてね。自分たちの意見も取りいれて評定してくれているという事は家臣たちにも安心感を与えるはずだ。」


堂田「なるほど、播州大返しの追撃の件でも両者は対立してましたね。確か。。。」


浪子「さて、架空の戦国時代に話を戻そう。秀吉が去った播州に小早川軍が背後から襲いかかり毛利圏内としてしまう。本拠を奪われた秀吉はこの時点で大名じゃなくなるわけだから、天下統一なんてとても出来なくなる。同時に播州大返しも失敗だ。単なる摂津への退却になるわけだ。この場合、最も天下に近い単独勢力は毛利家になる。」


堂田「まさか?まだ織田政権がばらばらになるとは決まってないでしょう?明智も健在、柴田も健在なのだから。」


浪子「健在だからだよ。織田軍は戦に負けずに崩壊するんだ。多頭政治が過ぎてね。明智に旧織田軍の面々が従えないとしたら、織田勢力圏は分裂するしか道はないだろう?」



堂田「そう言われれば。秀吉と柴田も結局は戦ったわけだし。。。。」


浪子「毛利は播磨攻略の勢いに乗じて、摂津あたりを境界に明智と和議を結ぶ。明智としては、織田家内部を纏める戦いに臨まなくてはいけないから毛利攻めなんてもっての他だ。」


堂田「そうなりますかね。でも最初、毛利内部は疲弊してるって。。。」


浪子「疲弊してるよ。長期の戦や遠征しての戦争はとてもできないだろう。でも誰が、毛利と戦うって言うんだい?」


堂田「そういわわれれば・・・秀吉軍が崩壊したら毛利と戦う大名はいなくなりますね。」


浪子「そうなんだ。そうすると、毛利は時間的余裕が持てる。あと一年、中央を混乱させておけば、毛利軍は簡単に上洛できるって寸法だ。足利将軍も抱えていて大内家から奪いとった独自の皇室交渉ルートももってるからね。」


堂田「そうなってくると毛利の天下が見えてきたような。。」


浪子「そうだろう。毛利の天下になった場合、僕たちが歴史の時間に習う戦国時代の最も衝撃的な戦争は「信長の桶狭間の合戦」じゃあなくって、「元就の厳島の合戦」になってたはずだよ。織田家から出た秀吉、織田勢力の一部となっていた家康が天下をとったからこそ、桶狭間の合戦の歴史的意味が増大したわけだ。毛利の流れをくむ者が天下を統一したら桶狭間なんて川中島と同程度の認識だろうね。中央の歴史とは関係なくなってしまう。歴史なんてそんなものさ。」


堂田「勝者の視点からだけではだめだ、敗者の視点から。。。」


浪子「勝者の視点とか敗者の視点とは違うよ。勝者の視点から敗者の視点に視点を移すだけなら右から見ていた銅像を左から見るのと同じだ。結局右から見える視点を無視することになるからね。豊臣、徳川と天下の覇権が移ったという結果から歴史を紡ぎだすと自然とそうなるっていう意味さ。ところで、話を現実の安芸の国にもどそう。」


堂田「安芸の国が疲弊していて、毛利の支配が揺らぎ下手をすれば混乱してしまうから「ぽっと出」の内部争いをほっといたという話でしたっけ?」


浪子「安芸の国がそうなる可能性があった。だから当然追いかけてもいいはずの秀吉を行かせた。あっという間にケリがつくとまでは予測してなかっただろうからね。当時最強といわれた甲斐武田軍団の大将も、まさか最強の自分たちが『ぽっと出』に負けるわけないと思ってたんだろうね。だからこそ織田が勝てたという側面もあるだろう。『ぽっと出』と思われているのが織田信長にとって弱みでもありまた強みでもあったわけだ。直接に損を与えなければ大勢力は文句を言ってこない、文句を言ってきても少々の勢力増強は周辺も許してくれるだろうという段階なんだ。だけど信長が直接支配する人間たちにそう思われるのはもっての他だ。だからこそ信長は新しい支配地とその周辺では恐怖を撒き散らさなくてはいけなかった。」


堂田「やっとわかりました。まだ織田の天下という認識は地方までは普及していない。ってことですね。じゃあなんだって毛利は危険を侵して本願字や一向一揆を支援したんだろう?」


浪子「ようやくそこに思いが至ったよううだね。」


堂田「で、どうしてなんです?」


浪子「鶏か君は、それはもう答えているはずだ。領国安芸の安定のためだ。」


堂田「どうして一向宗を支えるのが領国安定につながるんですか?」


浪子「安芸は門徒の多いところなんだよ。俗に「備前法華に安芸門徒」なんていう。」


堂田「それは知りませんでしたよ。加賀に大阪、長島は有名ですが。。。。」


浪子「それは全部、地域の支配者に反旗を翻して門徒による門徒のための政治が行われたところだ。同じように門徒の数の多い安芸ではそれは起こらなかったわけだ。どうしてか?」


堂田「毛利元就の門徒優遇の政策があったからと?」

浪子「そうだ。門徒の横の繋がりが安芸の国で爆発しなかったのは一重に元就の施策が功を奏したからだ。安定していたといっても安芸門徒も法灯を守る戦いをしたいという欲求は当然持っている。毛利家は安芸国内の門徒の意思を汲んで他地域の一向一揆支援や石山本願寺の支援に乗り出したわけだ。民主的だね。毛利家は。それに元就自身も一向宗だしね」


堂田「そうしなくてはいけないほど、中国地方の大大名の毛利の足元は不安定だった。ということなんですね。」


浪子「その通りだ。だが、本能寺の変の頃、つまり織田が毛利勢力圏内にちょっかいを出してきたとき、本願寺は織田に降伏している。降りかかる火の粉は払わねばならぬが、本願寺が降伏した今、積極的に打って出る理由もとくにない。何より打って出る損の方が大きいと毛利の首脳は判断したんだろう。秀吉は討ったが足元を安芸門徒にすくわれる、という方が毛利にとっては秀吉が織田路線に乗って天下を統一するなんてことより、中国地方にも一向一揆が起こるんじゃないか?という想像の方がリアルな想像だったんじゃないか、と思っている。」


堂田「それも一理あるかもしれませんね。実際、加賀では門徒国家が誕生してしまっているわけだし。」


浪子「そうだね。前例が既にあるわけだ。それを押して無理な兵の徴発なんてやるほど、毛利家にとって織田家は最重要事項ではなかったわけだ。秀吉との篭城戦で兵力も疲弊しているだろうしね。疲弊している『兵力』というと、何だか人間味がなくてイメージがわかないが、サービス残業と休日出勤をさせている状態が長く続いてるってことだ。こういう状況が長くつづくと、当然離反者が表れてくる。それが播磨や備前、但馬といった本拠から遠い地域ならまだいいが、安芸の周辺でそんなのが出たら一気に壊滅してしまう。」


堂田「毛利家にとっては織田軍団の脅威より、内部の人心掌握の方がまだまだ大事だった。。わけか。」


浪子「脅威は脅威だったんだろうけど、中国地方を中心とした11ヶ国に及ぶ領内安定の方が毛利家にとっては大事だったんだよ。中国地方の覇者としてみれば毛利自体大内、山名、尼子の後から急成長した『ぽっと出』」でもあるわけだしね。戦国大名の支配下を独立王国としてみると、毛利は織田家よりも古い体質つまり寄り合い所帯敵な雰囲気を持ちすぎてたわけだ。毛利だって中国地方の覇者としてもうすこし年輪を重ねていたら、織田軍に引けを取らない軍備ができたかもしれないがね。輝元の次の代くらいまで時間があればだけどね。」


堂田「支配下に対してまだ遠慮があった?」


浪子「そうだろうね。「国人」という在地勢力からのし上がったわけだし、同輩の中で頭が抜け出ているだけだ。名族とされてる小早川や吉川という看板も利用しなくてはまだまだ毛利家単独で中国地方全体を率いるっていうレベルじゃないわけだ。その点では織田勢力圏の方か国家として進み具合が早かったんだろう。実際そこで暮らしてる様々な階層の人間たちが、それぞれどう思っていたか?までは謎だけどね。」


堂田「元就は天下にかかわろうとしてはいけないとか遺言したらしいから、単に内向きで領土拡大とかに興味の無い集団だったでしょうしね。」


浪子「馬鹿か君は。そんな遺言、いつでも破棄できたはずだ。それをしなかったのはできない理由があった。それだけだよ。元就はね、良くも悪くも室町時代人なんだ。自分の政治のやり方ではこれ以上の勢力はまとめられないってことを解ってただけだよ。」


堂田「つまり、元就の考えが古いってことですか?」


浪子「古い、新しいの問題じゃないんだ。織田が新しくて毛利や武田が古いなんてのは我々が歴史の流れを知ってるからいえることだ。元就は身近で天下に乗り出そうとして元も子も無くして失敗した大内や尼子らの先達を沢山知っているから「天下に関わろうとするな」なんて事を言ったんじゃないかと思っている。つまり経験からの助言だね。」


警察官「あのう、お話が盛り上がっているところ悪いのですが。。。」

[an error occurred while processing this directive]
続く 



桜の和菓子
姫路杵屋青山銘菓
「桜小径」
姫路杵屋名物 
「書写千年杉」