日本各地の古木・巨木・珍種を訪ねた記録です。

《第 3 部》

〈訪問いただき有難うございます。 ゆっくりご覧下さい。〉



室生寺とその近隣の古木を紹介しす

室生寺とその近隣地区へ桜見物に出かけたときに出会った古木を紹介します。

まず、三重県 美杉村の名勝三多気の桜は、三多気蔵王権現、金峰山寺、真福院の御神木として約1,080年の歴史があるそうです。参道に約2,000本の桜が植えられております。 真福院の手洗い鉢の傍に、樹齢千年以上と伝わる『大欅』が二本の大杉とともに古色蒼然とした雰囲気の中に鎮座しておりますので、写真で紹介します。

次に、美杉村から奈良県側に入って、室生寺に参詣しました。この室生寺は奥深い山と渓谷に囲まれた里にあり、奈良時代の末期、 この聖なる地で、皇太子山辺親王(後の桓武天皇)の病気平癒の祈願が興福寺の高僧によって行われ、卓効があったことから、勅命により国家のために創建されたのが室生寺である。 以来室生寺は山林修行の道場として、また法相、真言、天台など、各宗兼学の寺院として独特の仏教文化を形成するとともに、平安前期を中心とした数多くの優れた仏教美術を継承している。 (以上は真言宗 室生寺派 大本山 室生寺パンフレットより引用)奈良時代末期からの歴史がある室生寺には国宝、重文級の建造物とともに、杉の古木(千年以上の古木と推定される) が至るところに散在して、古い歴史ある寺院の風格を保っているので、この一部を写真で紹介します。

続いて、この山深い室生寺には、東西南北に四門の寺院が配備され、この内部を聖域として、昔はここから奥深い室生寺に入ったようです。 四門の一つである仏隆寺には、千年桜として有名な山桜があります。バスが入れないので、片道2Kmの山道を歩いて到着した。 桜の開花には10日ほど早く、まだつぼみ状態であったが、奈良県下で、最大、最古の桜とされ、千年の古木であるので、写真で紹介します。

最後に、榛原市近隣(大宇陀町)にある『又兵衛桜』で有名な、枝垂れ桜を見学した。当地には、大阪冬の陣、夏の陣で活躍した豪傑、 後藤又兵衛の墓がある。彼は豊臣方に組し、敗退したが、再挙兵の夢捨て難く、逃れて当地に僧となって隠れ住んだと伝えられる。この枝垂れ桜が残っている場所も後藤家の屋敷跡である。  訪問した時は、正に満開の時期で、見事な枝ぶりを堪能することが出来たので、写真で紹介します。ライトアップされた姿は幽玄の世界だそうです。樹齢については約300年と言われている。

   
樹齢千年以上の大欅、名勝三多気の桜並木(上り坂が続く)を登りつめたところにある真福院の手前に鎮座この大欅(右端)に隣り合わせて、2本の大杉があり、これらの間を通って真福院に至る。

   
室生寺の玄関。ここは女人高野とも呼ばれる。厳しく女人を禁制してきた高野山に対し、女性の参詣を許したことから『女人高野』として親しまれている。三宝杉と名図けられた3本の杉古木が旅人を歓迎してくれます。
 
杉古木の奥に見える五重塔は室生山中 最古の建築物として国宝に指定されている。総高16.1mは屋外に立つ五重塔として、最小のものです。平安時代初頭の建立と云われる。平成十年の台風で大きな損傷を蒙ったが、平成十二年に修復、落慶した。 五重塔から奥へ、奥の院 御影堂へ向かう道中の古木です。
   
室生寺の四門の一つである仏隆寺の千年桜(山桜)、奈良県の天然記念物に指定された県下で最大、最古の桜とされる。花はつぼみ状態で、あと10日ほどで開花との時期に訪問した。根囲7.7mで、根株から2mのところで大小11本に分岐し、分岐枝の最大のものは幹囲1.2mで四方に枝を広げ、樹勢は衰えていない。
   
満開の枝垂れ桜、別名 又兵衛桜(奈良県 大宇陀町)。同じく又兵衛桜、樹齢は約300年と言われている。ここでは紹介出来ないが、ライトアップに浮かんだ姿は幽玄の世界である。


京都・新熊野神社の大樟を紹介します。

新熊野神社(イマクマノ ジンジャ)は約830年前、当神社創建のみぎり、後白河上皇が紀州国 熊野から土砂、材木などをこの地に運び、熊野になぞらえて、その新宮、即ち新熊野神社を永暦元年(1160年)に創建された。その折、熊野より移植、国家鎮護と万民福祉をご誓願、お手植えされたのが現在の大樟である。又熊野の神々がご降臨になる『影向の大樟』ともいい、健康長寿、病魔退散 特に上皇が常にお腹を煩っておられたところから、『お腹の神様』として信仰され、人々から『大樟大権現』と尊崇されている。(以上、立て看板より)
京都の東山通りに面し、交通量が多く、排ガスの影響が懸念されるが、、樹勢は極めて旺盛で、見事な枝振りである。樹齢は約830年、胸高周囲6.6m、樹高22m、枝張り南北35m、東西25mあり、京都の市街地では随一の規模を誇っている。(京都市の天然記念物)

   
立て看板、説明文、『新熊野神社の大樟』直近からの幹部、幹周り6.6m、樹高22m

   
大樟前の拝所枝振りが見事である。南北35m、東西25mに及ぶ。

   
交通量が極めて多く、終日、排ガスに晒されても樹勢は極めて旺盛である。反対側からの遠景


青連院門跡の古木(クスノキ)を紹介します。


青連院門跡は天台宗比叡山延暦寺の京都五ケ室門跡の一つであり、皇室と関わり深く格式の高い寺院である。別名を粟田御所ともいわれ、江戸時代には後桜町上皇の仮御所となった。ご本尊は熾盛光如来といい、天台宗に伝わる密教の修法『熾盛光法』の本尊にあたる仏様で、鎮護国家や護国安穏、或いは宮中のご祈祷が頻繁に行われたと言われる。又国宝の『青不動明王ニ童子画像』は平安仏画の最高峰と云われている。

青連院門跡のある粟田口は、京都から東海道の出口にあたっており、昔東国へ旅立つ人は、ここにある十禅師宮に参拝して旅の平安を祈ったと云われている。東大路通より更に東の、東山の山麓に沿って、有名な神社仏閣、名所、公園などがあり、絶好の散策路である。例えば、清水寺、産寧坂、二年坂、霊山歴史館、高台寺、八坂神社、円山公園、知恩院、青連院、そして平安神宮へと続く経路である。

   
青連院門跡には、5本の大楠が京都市の天然記念物に登録されており、1本は境内に、残り4本は道沿いの築地の上に鎮座している。立て看板で、この大楠の説明がされているほどである。境内の大楠1本(No.5)がライトアップせれています。青連院が夜の特別拝観を実施するのは、ご本尊は光そのものであるという考えからだそうです。天に向かってサーチライトのような照明もありますが、これは熾盛光堂より天空へ広がる光をイメージしているようです。

   
門を出て直ぐの大楠(No.1)(北⇒南方向に撮影)同じ大楠(No.1)(門に向かって撮影)
 
神宮道の角にある大楠(No.2) 同じ大楠(No.2)
   
神宮道に沿った築地の上にある大楠(No.3)同じく神宮道に沿った築地の上にある大楠(No.4)



野間の大ケヤキを紹介します。この樹には、東南アジアの渡り鳥フクロウの仲間『アオバズク』が営巣し、 子育てをしますので、この大阪、いや、日本を代表する巨樹とともに、フクロウの仲間を写真で紹介します。このため写真が多くなりますので、別ファイルにまとめました。次をクリックして、お入り下さい。

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世界遺産・高野山を紹介します。それぞれの起源や内容を異にする『吉野・大峯』、『熊野三山』、『高野山』の三つの山岳霊場とそこに至る参詣道が『紀伊山地の霊場と参詣道』として、2004年7月に世界文化遺産に登録されました。。今回、この中の高野山を訪ねましたので、写真で紹介します。写真が多くなりますので、別ファイルにまとめました。次をクリックして、お入り下さい。

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