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中部ヨーロッパ特別 | ![]() |
中部ヨーロッパに旅行しましたので、この際に撮影した写真を紹介します。古木関連のテーマからは多少ずれますが、千年以上にわたって豊かな文化を築き,育んできた中欧の特徴的な風景と、街路樹や古木なども紹介したいと考えます。5月30日〜6月8日までの期間でしたので、ドイツの北部、ベルリンは多少寒く感じましたが、そこから南下しましたので、日本の気候とほぼ同じで、湿度の低い快適な気候のなかで旅行を楽しんで来ました。 中欧の山は丘程度のものが多く、森がいたるところに点在する風景が続き、都市部に入っても緑が多く、日本の都市とは格段の差があります。新緑の好シーズンで、菩提樹、アカシヤ(白い花が咲くにせアカシヤ)、マロニエ、スズカケ、オーク樫などの樹が大切に保護されており、素晴らしい景観を演出しております。これらの古木も各地の写真で紹介します。
中部ヨーロッパの歴史を語るとき、この広大な地域を650年にも及ぶ間、支配してきたハプスブルグ家を抜きにして語れないでしょう。 戦争よりも、結婚政策で、領土の拡大と家の繁栄を築いたハプスブルグ家は、オーストリアのウイーンを拠点に、近隣諸国(ドイツ、チェコ、ハンガリーなど、一時は神聖ローマ帝国全体)に絶大な勢力を及ぼしていた。フランスのルイ16世妃となり、フランス大革命で断頭台の露と消えたマリーアントワネットもその犠牲者のひとりであろう。
特に、このような不幸な事件は、フランツ・ヨーゼフ一世(1830−1916)の身辺で起こっている。まず、弟のメキシコ皇帝フェルディナンド・マクシミリアンが1867年に銃殺されており、続いて息子の皇太子ルドルフは、男爵令嬢との道ならぬ恋に落ちて、1889年にウイーンの森(マイヤーリンク)で、ピストル自殺を図って命を絶った。更に、最愛の妻であるエリザベート王妃(タイトルの右側の写真)は、1898年にスイスのジュネーブを旅行中に無政府主義者により暗殺された。 弟、息子、妻という近親者が相次いで他界するという最大の不幸を背負いながら、86歳の人生を全うしたことに拍手を送りたい思いである。
写真が多いので、中部ヨーロッパをを5地区に分け、各地区ごとにJavaScriptを使うことで、写真の移動・切り替えが早くなっております。
地域別に
〈1〉ベルリン・ポツダム、〈2〉ドレスデン・マイセン、〈3〉チェコ〈4〉オーストリア〈5〉ハンガリー
★下記の5地区より選んでご覧下さい★
参考のために、ヨーロッパ各国を色分けした地図を示します。参考にして下さい。
このハプスブルグ家の人たちの中でも、特筆すべきは、16人の子供を生んだ女帝マリア・テレジア(1717−1780)(タイトルの左側の写真)である。彼女の末娘がマリーアントワネット(1755−1793)である事はよく知られている。彼女とその息子ヨーゼフ2世の時代はハプスブルグ家の絶頂期であり、彼女も農奴改革などの改革に尽力したわけである。しかしながら、その後のハプスブルグ家は悲しい出来事が続き、1922年にお家断絶になるという運命が待っているとは、マリア・テレジアには知る由も無かったことである。
ハプスブルグ家の不幸な出来事を列挙すると次ぎのようである。
■マリー・アントワネット(1755−1793) フランス大革命で断頭台の露と消えた。
■フェルディナンド・マクシミリアン(1832−1867) メキシコ皇帝として銃殺された。
■ルドルフ(1858−1889) この皇太子は道ならぬ恋に落ち、ウイーンの森(マイヤーリンク)で30歳の若さで自殺。『うたかたの恋』として有名。(自殺の理由は別にあるという説もある。)
■エリザベート(1837−1898) 『シシイ』の愛称で絶世の美女といわれたが、スイス旅行中に無政府主義者に暗殺された。
■フランツ・フェルディナンド(1863−1914) 皇太子ルドルフの自殺により、王位継承権を得たがサラエボで暗殺された。これが第一次世界大戦の導火線となった。
マリーアントワネットが刑場に引き出される時の姿
に分けて中部ヨーロッパの歴史的風景、街路樹、独特の樹木をご紹介します。