チェコからバスでオーストリアの首都 ウイーンを訪問した。バスからの風景は、殆ど山らしい山は見当たらず、平坦な中欧の田園風景を楽しみながらの旅でした。ウイーンは豊潤な文化の香る都といわれ、
かってのハプスブルグ帝国の首都であり、『音楽の都』と言われた。マリヤ・テレジアの時代には、モーツアルトが活躍し、18世紀末には、ワルツ王シュトラウスがもてはやされた都である。
伝統ある国立オペラ座は世界3大オペラ劇場の一つであるので、オペラ・コンサートに酔うのは本場ウイーンが良いとされる。残念ながら、我々は、このオペラ座の外見だけで、内部見学が出来なかった。
このウイーンを語るとき、ハプスブルグ家を抜きにしては語れない。650年もの長きにわたって、このウイーンを支配してきた名門であるが、
前半の華々しい繁栄の歴史と後半の悲しい出来事が続出する歴史的事実は、いずれの時代も、栄枯盛衰がついて回る人の世の性のようなものを感じざるを得ない。悲しい不幸な出来事については、
『中欧ヨーロッパ特別』のトップページに記載したので、ここでは、この名家が残した遺産について触れる。 ウイーン市の北西側に広がる美しい丘陵地帯が『ウイーンの森』と言われる。ここへは、バスで半日観光として出かけた。オーストリア最古の修道院『ハイリンゲンクロイツ』の見学、 シューベルトが『菩提樹』を作曲した場所、更には、ルドルフ皇太子が、道ならぬ恋に落ちて、男爵令嬢と自殺を図ったマイヤーリンクなどを見学した。最後に、この森のレストランで、 ウインナーコーヒとザッハトルテのケーキをいただいた。 |
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中部ヨーロッパ特別 オーストリア・ウイーン編 |
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昔から聞きなれたシューベルトの『菩提樹』歌詞をご希望の方は下記をクリックして下さい。 |
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地図で訪問した位置関係を示します。 オーストリア共和国の首都ウイーンは13世紀から650年に及ぶハプスブルグ家の拠点であり、文化と歴史が漂う街である。 今回の訪問はここウイーンとその北西に広がる広大なウイーンの森に限った訪問であった。このウイーンはマリア・テレジア(1717−1780)とその息子ヨーゼフ二世(1741−1790)の時代に黄金期を向かえ、オペラに酔いワルツに舞うといわれる音楽の都となったのである。 |
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