古代出雲王国の謎・旅行記 本文へジャンプ
 

[an error occurred while processing this directive]

2011年8月26日、数年ぶりに出雲大社にお参りしてきました(^^ゞ

火神岳、大山PAから 宍道湖、宍道PAから
出雲大社の大鳥居 正面の左、遷宮の案内
鳥居をくぐってすぐの参道 神話の杜のモニュメント
やわらかな光りの刺す参道 本殿、拝殿前の鳥居
海を光してよりくる神 迎える大国主の大神
上記のモニュメントの説明書
因幡の白兎の一場面のモニュメント
鳥居の銘文、右 同じく左
本殿屋根の天辺の勝男木(かつおぎ)の展示本殿 アップ
境内図1 境内図2
本殿前から工事中の本殿に被された建屋を仰ぎ見る。雲が湧き立つ。
急に思い立って、数年ぶりに出雲大社に参拝してきました。

車に乗るようになってからは、境内西側の駐車場から神楽殿の前を通り、西側の門からの参拝
というコースになっていましたが、今回は正面からの参拝です。

思い起こせば、正面からの参拝は高校生の頃、鉄道で親友と一緒に訪れて以来となります。

30年近く前のこととなります。その頃はこんなに何度も参拝するようになるとは思ってませんでした。

夏休みも終盤、しかも夕方ということで観光の参拝者はそれほど多くなく、ゆっくりと四柏手をうち、お参り、お願いをしてまいりました。

大遷宮の工事の完了後にも参拝したいと思いつつ、気分も新たになり日が傾きだした杵築の大社をあとにしました。

帰り道、旧国鉄、JR西日本の「大社駅」

とても趣き深い駅舎。
正面のアップ 駅内部、人形の駅員さんがいます
観光特急も停車してたため、長いホームです。 反対側には大国主とスセリ姫、なのかな?
金田一耕介が切符をかってそうな窓口 今にも置くから駅員さんが出てきそう。
旧国鉄(JR西日本)の「大社駅」です。

この駅舎は明治45年に開業、大正13年に改築された和風木造建築で大正ロマンを感じさせる歴史
ある建物です。現在は国指定重要文化財でもあります。

ここにも、高校生の頃にきたことがあります。

といっても本数が少なく、見学だけで使ったのは今も現役の一畑電鉄だったような。。。。

そうそう。思い出しました。

親友たち3人で出雲大社に行くときめて国鉄の切符を買ったのですが、山陰本線「出雲大社口駅」でおりて大変な目にあったのでした。出雲大社口という駅名から『降りるとすぐに出雲大社』を連想していたのですが、降りると何もないような田舎の駅。

駅を出て地元の人に出雲大社までの道を聞くと、とても歩いてなんていけないとの事、バスもないし10キロくらい離れてるからもう一度山陰本線に乗って出雲市駅まで行って大社線に乗り換えるか、一畑電鉄に乗り換えたほうがいいと。。。

それを聞いて愕然とする私。

しかし、一緒に行った親友は口が達者で、出雲大社口の駅に戻り駅員に向かって、

「こんなん詐欺みたいやから切符代を返せ」と。。。

しかし、駅員はこういうクレームになれているのか、

「タクシーを呼びましょうか」と一言。

聞くと、そういう間違いをする人が多く、タクシーを紹介しているとの事。

大社近辺周遊タクシーというのがこの駅から出ていて、出雲大社周辺から日御碕までの観光案内もしてくれるとのこと。泊まっていた旅館の最寄駅から出雲大社口駅の切符を返しても最寄り駅まで戻るしかないが、ここからタクシーに三人でのれば大社駅までの切符代三人分と大して代わらない値段で行けるということ。

ということで、タクシーに乗って出雲大社に行ったのでした。タクシーは確かに良心的価格で数千円で出雲大社から日御碕、出雲阿国の墓地などをまわってくれました。そういえば日御碕にも長い事行ってないなぁ。今度は日御碕まで足を伸ばしてみたいと思います。

帰りは、国鉄を儲けさせるのは「ごうがわく(はらがたつ)」ということで、一畑電鉄に乗り、出雲まで戻り
、宿へと帰ったのでした(^^ゞ

その後、この「出雲大社口駅」は「出雲神西駅」へと改名したそうです。

で、結局、私がこの駅を利用したことないまま、大社線は廃線になりました。

帰りに大社駅を使えばよかったとちょっと後悔しています(^^ゞ


さらにより道、国引きの社、長浜神社へ
長浜神社の案内板
国引き神話の紹介
長浜神社への参道、どこかで見たような雰囲気 鳥居
拝殿(神明造?) 本殿(大社造?)
拝殿前の鳥居 三輪鳥居?
境内から拝殿を臨む 豊臣秀吉由来の「弓掛の松」
由緒書 山門(随神門)
さらに詳しい由緒書
以前からずっと気になっていた「長浜神社」にも立ち寄りました。

今までに、何度かこの神社を探して近辺をうろついたのですが、
なかなか見つからず、あきらめていました。

国道9号線沿いに大きな看板が立っているのにも関わらず、今まで見つけられなかったのです。

どうして行きたかったというと、蚕の社と同型の鳥居があるという噂を聞いて、ぜひ見てみたいと思っていたのです。

しかし今までは近くまで行けるのですがどうしても入り口が見つからずがっかりの連続でした。
というのは、この神社は妙見信仰の聖地の一つでもあり、山の上にあるのです。
周辺をぐるぐるまわって探したのですが、途中で暗くなったり、道を間違えたりしてどうしてもたどり着けませんでした。

しかし今回、山陰自動車道の出雲ICから出雲大社へとむかう途中、「長浜神社」の看板を発見し、出雲大社の参拝の帰り道に立寄ることができました。これもお導きの一つなのか。

噂の鳥居は事実ではなく実際は三連の三輪鳥居でしたが、それにしても珍しい鳥居です。

ここで長浜神社の観光栞から簡単なプロフィールを。

創立は和銅三年より前。

上代は「出雲社」「出雲神社」と呼ばれ、近世には「妙見大明神」「妙見大社」と呼称される。
明治に入ってから、「長浜神社」となる。

ということで神門郡領域にはなりますが、式内社の出雲社、出雲神社の候補の一つでもあります。
一般的には出雲大社敷地内の『素鵞社』か、『鰐淵寺の諏訪社』かが候補になっています。
出雲の式内社については下記大三元さんのページを参照してください。

http://www.dai3gen.net/izm_jnja.htm#izumo


近世には「日本三大妙見」の一つとして信仰を集めたそうです。
※現在の三大妙見には列してないようですが、こういうのは諸説ありますからどうなのでしょう?

本殿は大社造を基本にした造り。拝殿は神明造を基本にしています。

観光の見所としては「弓掛の松」があります。

豊臣秀吉による朝鮮出兵の戦勝のための百日祈願が行われたのを由来としており、
今もスポーツなどの戦勝祈願や必勝祈願が盛んに行われている様子で、
境内には受験やスポーツの大会での必勝祈願の絵馬が沢山かかっていました。

かなりの遠方からも祈願者が参拝されているようでご利益のありそうな様子でした。

また、夫婦和合の象徴の「夫婦石」もあり、縁結びと子授けの祈願も多いとか。

主祭神は八束水臣津野命、配祀に布帝耳命淤美豆奴神

八束水臣津野命と淤美豆神とは同一とも考えられる(大三元さん出雲系譜参照)布帝耳命
はその妻。
この神社では、淤美豆神は八束水臣津野命と布帝耳命の御子神とされているようです。



うーん。一目の感想は「新しい」。境内には鎮守の杜の神社らしく、地区のお祭りや行事が
行われるスペースが儲けてあり、地元の信仰も篤そうな神社です。

新しいというのは、ここ最近、特に案内板をはじめとした境内の整備が進んでいるからです。
妙見さんらしく、随神門をみると神社というよりもお寺のような雰囲気もあります。

今にも続く妙見さんの一大霊場のようですから、神仏分離以前はお寺の要素が濃厚だったの
ではないかと思います。

江戸時代に再建されていてそれ以前のことは不明なのか?

長浜神社は出雲風土記の「薗之長濱」の記述からひっぱられた産物なのか?

いずれにしても、今も「戦勝」「必勝」の祈願の絶えないとても趣のある神社です。

最初の参道なのですが、雰囲気が加茂岩倉遺跡の道と雰囲気が似ていました。
山を切り開いているかたちになるので似ているのでしょうね。

近くにスセリ姫生誕地ともいわれる神西湖があるので9号線沿いのスセリ姫の看板は
とてもインパクトがあります。


[戻る]


〔古代出雲王国の謎トップへ〕


ホームページトップへ



春の和菓子
姫路青山銘菓
「桜小径」

筆者おすすめ
姫路名物 
「書写千年杉」

筆者おすすめ