古代出雲王国の謎・旅行記 本文へジャンプ
 

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出雲神庭荒神谷遺跡公園2006/03/01

荒神谷遺跡と博物館

駐車場の出口には銅鐸が並んでいる(^^ゞ その前には荒神谷遺跡公園の入り口
遺跡への通路の入り口にある看板 左の写真の看板を少し離れて。。。
遺跡博物館全景。とても綺麗な建物です。 遺跡の直前にある国宝の石碑
発掘前の遺跡の風景そっくりな場所 ここは遺跡の手前、向かって右にある蓮の池(水田?)
荒神谷遺跡に行ってきた。

ここにはずいぶん前に行ったきり来ていなかったのだが、昨年10月にオープンしたという
「荒神谷博物館」に行きたいというのもあってひさしぶりに行ってきた。
前回行ったときは「公園」というのが主であったが、今回行くと様変わりしていて、
「遺跡を中心とした公園ゾーン」に整備されていた。前回より道も何もかも綺麗になっている。

ちなみに前回訪れた時は、今回とは違う入り口から入っている。

今回の入り口(北口)は当時は裏口のような扱いで、今回博物館になっている位置には
プレハブ形式の資料室がぽつんとあっただけだった。

ここで出雲古代史ブームに先鞭を付けた上に現在でも古代出雲ブームの主役であり続ける
神庭荒神谷遺跡について簡単におさらいをしておこう。

荒神谷遺跡が発見されたのは1983年(昭和58年)、出雲広域農道(現「出雲ロマン街道)建設
に先駆けて行われた埋蔵文化財調査がその発端だった。調査員が田んぼの畦でひろった須恵器
の欠片がその後の大発見へとつながるのだ。この場所は神庭西谷という場所だ。

この現場の南には「三宝荒神」(日本で発生したした信仰で一般には仏教の守護神とされる。)が
祀られており、それにちなんで「神庭荒神谷遺跡」と名称が付けられることになった。

荒神と出雲神。うーん。興味がそそられる話だ。

まず1983年に欠片が発見されたすぐ近くにある急斜面から整然と四列に並べられた総計358本
もの同型の銅剣が、ついで1985年、すぐその横七メートルの地点から銅鐸6個と銅矛16本が発見
された。

ここ一箇所で、それまで日本全土から発見された総数を超える大量の銅剣の発掘されと、すぐそば
から発見された、これも大量の銅矛と銅鐸は、古代出雲の研究だけでなく、日本列島の古代史研究
全体に強烈な刺激を与えたのである。

今もなお、この大量の青銅器の埋納の理由については諸説があり、定説らしきものさえ成立していない・

まさに「古代出雲王国の謎」そのものだといえる遺跡である。


神庭荒神谷遺跡の風景

これが最初に発見された土器片 遺跡を入り口側の下から写す
こちらは正面下からの一枚 遺跡にある説明掲示板
掲示板その2 発見時の様子が写された写真
同じく掲示板の一部 望遠で、展望台から一枚
もう一枚 展望台の上から左が銅剣、右が銅鐸と銅矛
望遠で銅剣を撮影 掲示板がもう一つ
銅剣側から一枚 銅矛・銅鐸側から一枚
帰り際、もういちど正面から 日本最多の青銅器出土地の碑
遺跡博物館の遠景 遺跡博物館正面入り口
荒神谷遺跡は、出土時点での状態のレプリカを遺跡においてくれているので、どういう状態で
埋まっていたか解りやすくなっている。以前に訪れたときはレプリカの目の前まで行けたのだが
今回は綱が張っていて立ち入り禁止になっていた。いたずらするやつがいるのかな?

遺跡博物館では、発見から国宝指定までの経緯を10分間にまとめられた映画が鑑賞することが
できる。その映画の最初、上から四段目の左の写真そっくりな「木々が生い茂る単なる山肌」から
銅剣が埋まっているのを確認した場面が観られる。まさか、こんなどこでもあるような里山の中から。。
という驚きが感じられる。

常設展示では荒神谷遺跡から出た遺物の一部、そして金色に輝くレプリカも素晴らしい。

青銅器というと、どうしてもあの青錆びたブロンズの色を思い浮かべるが、精巧に作られた金色の
レプリカを見ると、当時、この輝きに魅せられたであろう古代の人々の気持ちに少し近づけるような
気もする。まあ、気がするだけなのだろうが。

特別展として、出雲平野の主要遺跡からの遺物が展示されていた。縄文、弥生、古墳とそれ以降
という四つの区分に分けられた展示だったが、こちらは時間がなく、じっくりとは見ることができな
かったのが残念だ。

気になったのは「蛇行剣」。同じく斐川町内にある「結古墳群」から出土したこの鉄剣は三国志の
張飛の得物の「蛇矛」を想像させるが、古墳から出土している点から見ても祭祀用の剣なのだろう。

「蛇行剣」というネーミングから古代出雲の蛇信仰などを思い起こさせるが、よくよく考えてみれば
この剣が蛇行を意識して作られたものなのか、はたまた雷を意識して作られたのかは不明では
ないかと思う。

この剣についてはほとんど知識がなかったので余計に気になった。今回、初公開という代物だ。

蛇行剣自体は列島のほぼ全域から出土しているものらしい。九州と畿内からかなりの数が出ている
らしく山陰地方ではここ斐川の結古墳群と安来市の五反田遺跡、倉吉市の頭根後谷六号墳から、
出土している。この3本が同時公開されているのだ。

今回の訪問は閉園十分前というスケジュールだったので、じっくりと見物することはできなかった。

後から考えれば、常設展はいつでも見ることができるわけだから、特別展の方をじっくり見たら
よかったと少し後悔している(^^ゞ



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