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ある晴れた春の日の廣峯神社の風景2005/04/16

広峯山に登った。桜がきれいに咲いていた。 鳥居から少し登ったところに門
石段途中の国指定の重要文化財の案内板 立派な拝殿。拝殿前が狭いので全景入らず。
拝殿奥の本殿を向かって右脇から臨む 拝殿に向かって左にある摂社。
祇園発祥の地。。。。。 11月の御柱祭りで神様が降臨する聖なる場所
急に思い立って、妻子と広峰山にいってきた。
自衛隊姫路駐屯地の東側の道を車で登っていくと、まず白国神社がありさらに山頂をめざして
曲がりくねった山道を走るとハイランドビラ姫路という宿泊施設があり、それを横目に少し登ると
広峰神社の鳥居が現れる。

この山は紅葉で有名だが、桜もかなり綺麗だった。

車で行けるのは鳥居まで。ここから徒歩で少し山道を行く。

江戸時代から変わらないという参道を数分行くと途中にイザナギイザナミを祀った社があり、
さらに歩くと石段の上に随神門と呼ばれる門が現れる。

この参道は自然林の中を通るかたちになっているので、野生の草花をデジタルカメラで
撮影しながら歩いている集団とも何組か行き会った。

境内というか拝殿前の広前は思ったより小さいがその真ん中に
「御柱祭」の時に神のよりしろとなる場所が丸く区切られている。
(下段右の写真)

広峰神社の主祭神は言わずと知れた「牛頭天王」ことスサノヲの尊。
ここが祇園の元祖という。

創建は崇神天皇の御代とも言われ、神功皇后もこの山にスサノヲを祀り戦勝を祈願した
と伝えられ、歴史的には、吉備真備が733年(天平五年)にこの地に牛頭天王を祀り
社殿を営んだのがはじめとされる。

いずれにしても播磨平野においてこの山はまごうことなき神の山であることは確かだ。

平安時代には、全国的にみてもかなり有名で有力な神社だったようで、

「安芸なる厳島、備中なる吉備津宮、播磨に広峯」

と梁塵秘抄にも記されている。後、社家が鎌倉幕府の御家人となりさらにこの地で隆盛する。

広峯神社には古文書も多数残されており、播磨の歴史には欠かせない神社でもある。

しかし・・・・。

嫁さんは「神社見物なんてしたくない」と大ブーイング。そのため足早に参拝だけ。。

平日の昼間だというのに、参拝客なのかハイキングのついでなのかはしらないが
予想していた以上に見物客がいる。

細かいところまで見てきたかったのだが、妻子連れではそれは無理。

ということで、表面的にだけチェック。

本殿は室町時代から続く国指定の文化財、拝殿も江戸時代からのもので
こちらも国指定の文化財である。本殿は檜皮葺きで拝殿は瓦葺きだった。
拝殿、本殿とも横幅がかなり広い作りになっているので、全景が写真に写りきりませんでした。

拝殿の前にある休憩所から臨む景色は絶景であり、姫路平野が一望できる。
一望したい方は下記リンクをどうぞ。

下記リンクは「瀬戸の夜景」さんというホームページの一部です。

広峰山からの姫路の夜景
http://view.adam.ne.jp/setoy/pic/etc/himeji.html

この神社の本殿裏の壁に九つの小さなのぞき穴のようなものがあり、
それを「神秘の九穴」とか呼ばせている。

この穴から小声で神様に願い事をすれば神様が聞き届けてくれるという。

この九つの穴は占いでよく見る
「一白水星・二黒土星・三碧木星・四緑木星・五黄土星・
六白金星・七赤金星・八白土星・九紫火星」
という中国の民間信仰が源だとされる「九星」にちなんでいる。

吉備真備がこの地に牛頭天王を祀ったのも、疫病避けのためだともされる。

神社は生きている。

それを信仰する人々の願いによって時代とともに変化しているのだ。
「九つの穴」の理屈も、厄よけも祭神の選択も、結局は人々の願いの現れである。

もっと詳しく見てきたかったが反対派の意見に押され撤退。


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