闘病記その2(2000年5月10日〜6月14日)




5月11日

いよいよ頭部動脈瘤をやっつけるための入院だ。

一年振りの病院のベッド

「おかえりなさい」

顔見知りの看護婦さんが遊びにきた。

こんなところに馴染みがいるのがなんとも悲しい。




5月12日

ベッドの上

自覚症状もなく

検査もほとんどない。

僕のまわりで時が止まっている。



病気になりそう・・・




5月13日

右隣で寝ている部品メーカーの専務さん。

脳梗塞で倒れて担ぎ込まれてきた。

点滴で回復した。


「いや〜、風呂に入っていたら突然左半身が動かなくなってね。

這いずって部屋に戻り、苦労して右手だけで

煙草を一本吸った。

気が着いたらここにいたよ」


こういう人はまず助かる。



5月14日

朝、目薬を差した。

発で入った。

なにか良い事がありそうな

一日のはじまり



5月15日


左隣のベッドで寝ているタクシーの運ちゃん。

僕より一足先に動脈瘤の手術を受けた。

検査の前に点滴の注射を受けている。

「これが一番痛てーんだよ」

僕もそう思う・・・。




脳血管造影検査。

網の目のようにひろがる

無数の血管。

千人の人がいれば

千種類の血管の繋がり方が

あるという。

人間という不思議な宇宙空間。



5月16日

バルーン・マタス・テスト

脳動脈瘤をクリップで止め、血流を遮断した際

脳神経に影響がないかを調べるために

カテーテルで血管の中に風船を入れて

患部の手前で膨らませ

一時的に血流を遮断してみる。

右の股からカテーテルを入れ

頭の手前まで

動脈の中を通す。


動脈の破裂を防ぐために

破裂しやすい風船を入れる。

素敵な発想だ。



5月17日

頭の中の血管が風船でプッと膨らむ。

血流遮断。

途端に起こる猛烈な頭痛。

異常が起きない事を調べるために

麻酔は使われない。

「はい!右手動かして!」

「今度は左手!」

動かなければ

The End

究極の旗上げゲーム。




検査後ICUに直行。

心配した同室の運ちゃんと

専務さんが覗きにきた。

「大丈夫かい?」

運ちゃんが心配そうに僕を覗き込む。

「上手くいっちゃいましたよ」

僕は答えた。

「じゃあ、いよいよ手術だ」

専務さんが悪戯っぽく笑った。

ふたりとも何故か嬉しそう。



5月19日

検査の成功により

手術日が5月25日に決まる。

日があるため、4日程家に帰ることになった。

若い看護婦さんが帰り際に一言。

「早く帰ってきてね」

こんなこと言われて嬉しくなかったのは

生まれて初めてだ。




5月23日

一時帰宅した三日間があっという間に過ぎた。


再入院前に

病院のすぐ側に出来た

ファミリーレストランで食事をする。

また暫く病院食の始まりだ。

3日間の脱走生活もこれで終り。

「さて行くか!」

480円のパスタを食べ終え

気合を入れて

僕は席を立った。




大部屋がいっぱいなので

ひとり部屋に入った。

ベットの上で思いきり手足を伸ばしてみる。

「う〜ん、なかなか・・・」

あぐらをかいて

窓から外の景色を眺める。


それからパチンと足のツメを切った。




「おーっ、お帰りー」

大部屋にいるタクシーの運ちゃんと専務さんが

病室に入って来た。

ニコニコ笑っている。

「俺たちふたりとも明日退院なんだ」

ふたりの鼻がちょっとだけ

上を向いている。



5月24日

昼少し前


トイレから戻ると

枕の上にポツンと和菓子がひとつ置いてあった。

隣の大部屋を覗くと

専務さんのベットが綺麗に片付き

主の姿が消えていた。

病棟という小さな社会の

出会いと別れ。




「ホームページ見ましたよ」

回診の時、主治医の先生に言われた。

嬉しいような恥ずかしいような

複雑な気持ち。

とりあえず笑ってみた。

「ウヘヘヘヘ」



5月25日

手術当日。

朝、目薬をさす。

3滴さしても入らない。

「ゲッ!」




病棟の廊下に新聞紙を敷き

その上に椅子を置いて看護婦さんに剃髪してもらう。

生まれて初めての丸坊主。

まるで公開出家のようだ。

病室を出てきた患者さんが近づいて来て

遠慮がちに看護婦さんに聞いた。

「今日言えば、今日やってもらえるのかね?」

「あのねえ、床屋さんじゃないのよ」

看護婦さんが笑った。




「あなた今日頭開くんだから、もう少し緊張しなさいよ」

ベットの上でマンガを読んでいたら

ヘルパーさんに

つるつるになった頭を撫ぜられながら言われた。

「僕が緊張しても仕方がないし、どうせ眠っちゃうんだしね」

「まな板の上の鯉ってわけね」

「まな板の上の鯉じゃ死んじゃうじゃない」

「あっ、こりゃ失礼!」

そんな風にして

僕は手術当日の暖かな午前中を

過ごしていた。






午後2時、痛い注射を一本腕に打たれる。

ベットに寝たまま手術室へ廊下を移動する。

「がんばってね」

家族がベットを取り囲む。

ドラマのようなヒトコマ。

僕は軽く右手を挙げた。


そして手術室のドアがユックリと開いた。




手術スタッフがテキパキと準備を進めながら

盛んに僕のホームページの事を話している。

僕の気持ちを和ませてくれているようで

胸が温かくなってくる。

「ホームページにUPするためにも

手術の状況をよく覚えていないとね」

そんな無茶な・・・。




「麻酔を射れますよー」

いよいよ始まる。

「数を数えてみて下さい」

今まで4まで数えた人が最高だそうだ。

よし、記録更新だ。

僕は頭の中でカウントを開始した。

「・・・イ・・
・・・・・・」





ICUのベットの上。

看護婦さんの呼びかけに朦朧としたまま

目を覚ます。

聞くと夜の9時だそうだ。

6時間の手術だった。

身体中に管や線が繋がっている。

頭からも管が出ているらしい。

まるで修理中の鉄人28号のようだ。

「ばっちりだったわよ」

看護婦さんの優しい笑顔が

僕の顔の上にある。

僕はあいまいに笑い返した。


家族や看護婦さんが去ってから

ゆっくりと右の手指を動かしてみる。

OK!

次は左手。右足。そして左足。

何の異常もない。

最後に小さく口を開け、僕は声を出してみた。

「ガオーッ」

よし
大丈夫だ

頭と口も以前の僕のままだ。




耳の後ろから後頭部にメスを入れ

頭蓋骨の一部を切除して

動脈瘤の出来た

脳に繋がる右の血管をクリップで止め

再び閉じて30数針縫ったそうだ。

当然、僕はそんな事は何も覚えていない。

顔がアンパンマンのように腫れている。

夜、38.3度の熱が出た。



5月26日

頭に管が繋がっているため

身動きすることが出来ない。

しかし

手術は見事に成功したのだ。

この病院に2度も命を救ってもらった。

退院したら病院に足を向けて

眠れないな。




もう食事がでた。

アンパンマン、食パンを食う。



5月27日

身体中の管や線が全て取れた。

ICUからの脱出。

2日で一般病棟に戻る事ができた。

「俺ってけっこう強いジャン」




「歩行の許可も出ましたよ」

早い早い!

待ってました!この一言!



5月29日

夜、ベットに横になり備え付けのテレビでナイターを見ていたら

看護婦さんが検温にまわって来た。

ちょっと熱がある。

頭痛がするので薬を貰う事にした。

その時、マルチネス選手がホームランを打って

ジャイアンツが試合をひっくり返した。

「やったーーー!」

ジャイアンツ・ファンの看護婦さんが大喜びして

肩といわず胸といわず僕の身体をバシバシ叩く。

こういう病院の方が

患者が元気になるのが早い。



5月30日

夜中に頭が痛くて目が覚めた。

トイレに行って用を足し

手を洗う。

何気なく顔を上げて

僕は悲鳴をあげた。

鏡の中に、おでこと右目が異様に腫れた

怪物がいた。




面会に来た家族が僕の顔を見るなり

「わあっ」

と言って後ずさった。

「エレファントマンみたい!」




顔を拭くのにウェット・ティッシュを買ってきてくれと頼んだら

便座クリーナを買ってきた。

そんな家族と、僕は暮らしている。



5月31日

2日連続で変な夢を見た。

昨日は神奈川県知事と

産業廃棄物ゴミ処理場を視察する夢。

今日は『主婦の友』を小脇に抱えた

スーツ姿のオカマに

追い掛け回される夢。

目が覚めて無性に腹が立った。





僕が一年前に入院した時から

ずっと闘病生活を続けている患者さんがご家族と

七沢温泉にあるリハビリ病院に

診察に行った。

『七沢だと日向薬師からゆっくり登って大山だなぁ』

不謹慎な事をついつい考えてしまう僕。

途端に頭の傷がズキンと痛んだ。




午前中、頭のキズを3分の1だけ抜糸する。

処置が終って痛みが出ても

ギリギリまで我慢しようと心に決めたが

1時間でギブアップ。

ナースセンターに飛び込んで

痛み止めの薬を貰う。

僕のギリギリはずいぶん短い。



6月1日

朝の点滴が一本になる。

15分で終る小さな奴だ。

AM7:15。

これにて本日の僕のお勤めは

終了



6月2日

頭のキズを全て抜糸した。

点滴も終了。

顔の腫れも綺麗にひいた。

うれしいなっと。



6月3日

検査も無く、穏やかな病院の午後。

僕は外来待合室の長椅子に座りボンヤリと外を眺めていた。

病院の入口を飾る植え込みを

主治医の先生がセッセと弄っている。

買ってきたばかりらしい綺麗な花を

植え込みに置いては、ちょっと離れて眺め

腕組みをしてレイアウトを考えている。

植えては腕組みし

また抜いては腕組みし・・・。

小1時間そんな風に作業を続けた先生を

僕はガラス越しにずっと眺めていた。


「良い人なんだなあ」



6月5日

脳血管造影検査。

「卒業試験だよ」

先生が言う。

腕の動脈から造影剤を流し

脳に流れる血流の状態を調べる。

検査自体は大した事はないがその後が辛い。

穴を開けた腕の動脈の出血を止める為

腕を添え木でガッチリと固定し

血が止まるまで

そのまま一晩過ごさなければならないのだ。

腕の関節がキマッた形でとても辛い。

今夜は眠れない一夜を過ごす羽目になりそうだ。

卒業試験は何時だって厳しい。



6月6日

卒業試験の結果は問題なし。

いよいよ退院かと勇んだら

夜になって突然熱が出てしまった。

合格発表を見て大喜びした途端

転んで骨折したような気分。



6月7日

手術後、初めて頭を洗った。

生え始めた髪の毛のジョリジョリした感触。

そして後頭部の縫い後を恐々と洗う。


火中に栗を拾う』



6月9日

熱による停滞4日目。

登頂に成功しながら

悪天に閉じ込められて下山できない気分。

熱は上がったり下がったり。

夜は満天の星空なのに

朝、目を覚ますと猛吹雪になっている。

『いまだ下山せず』って感じ・・・



6月10日

ついに熱が下がった。

夜になっても上がらなかった。

「よっしゃあ」

ベットの上で小さくガッツポーズ。

いよいよ麓が見えてきた。



6月12日

退院の日が決まった。

14日の水曜日。

いよいよ復活の歩みがはじまる。



6月14日

退院
当日。

挨拶をすませ11時に病院を出た。

1年3ヶ月に及んだ

僕のクモ膜下出血闘病生活が幕を閉じた。

外の風は冷たく、そして優しかった。

病院の門を過ぎた所で

僕は振りかえり

病院に向ってもう一度

頭を下げた。

駐車場から

遠くそびえる丹沢連峰を眺めた。


それから家に向うタクシーに

ゆっくりと乗り込んだ・・・。




Te End




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