過去のノート
2004・12
 ホームページの内容をまとめた飼育本のようなものを、PDF形式で公開しました(「案内」)。
 メールアドレスと勘違いしてホームページのアドレス(URL)を変えてしまいました。以前このプロバイダではメールアドレスを変えるとURLも変わるようになっていたので、その点が変更されたものとプロバイダからの新サービス案内メールを見て早合点してしまったのです(なお現在はメールアドレスのみの変更も可能となってる)。すぐに誤解に気がついたので、撤回出来ないか問い合わせたところ、システム上それはかなわないとの返答でした(24日夜)。それでも移動案内は表示される、もしくは表示できるものと思い込んでいたところ、そのサービスがないという事が変更後に判明し(25日午前中)、まったくのお手上げ状態となりました。とりあえずリンク先サイト様には変更の連絡をし、検索サイトにも変更届をしましたが、見失われて困った方には、この場でお詫び申し上げます。
 ところで、『団地』『BBS』『写真展』『文鳥屋』『鎌倉時代史』はそれぞれデータの置かれている場所(サーバ)が違います。つまりURLも別なので、どれか一つが移動しても、他からリンクをたどれます。特に『BBS』のURLは「buncho.org」だけという優れものです。bunchoは文鳥、orgは組合ですから、日本語にすると文鳥組合という意味です。

 3日のガツに続き13日、ついにブレイが不帰の鳥となった。これで我が家の「第2世代」は居なくなってしまった。
 ブレイは昨年の10月に腫瘍が発覚してからも、メシマコブ・アガリクスなど入り湯漬けエサを放鳥時に食べる以外、積極的な治療はしてこなかった。それは高齢と腫瘍の部位(首)と性格から、飼い主として判断してのことだが、今年8月の腫瘍破裂も乗り越え、数日前までは元気でいてくれた。亡くなる一週間くらい前から少し衰えが見え、再び成長した腫瘍の破裂に危機感をもったが、破裂はせず、徐々に衰弱して最期を迎えた。
 彼は1997年6月に我が家にやって来たが、当初から1995年秋生まれのヘイスケよりおとなびており、同年齢、もしくはより年齢は上だったと考えているので、推定年齢は9歳となる。
 当初からあつかましく、人間にも先住の文鳥にも、初日から遠慮のない無礼者で、爪を切る時は必ず指をかんだ。亡くなる数時間前は手の中で静かにしていたが、それはブレイ自身気に食わなかったのかもしれない。つぼ巣に帰すと、お尻をこちらに向けた姿勢をとって冷たくなっていた。最期まで自分らしさを保ったものと思いたい。
 これで、一時代が去って行った観がある。

 一時代の終焉は、新たな時代の幕開けでなくてはならない。去り行く生命があれば、生まれいずる生命もあるだろう。いや、現にある。むしろ、増やさぬために努力しているではないか。
 もともと今シーズンはモレの卵を一つだけ孵化させようと考えていた。もちろんうまくいくとは限らないので、場合によっては来シーズンに予定するゲンとオッキによる8代目計画を繰り上げる事になるかもしれないし、グリとセーヤに有精卵があったらそちらを優先させようとも目論んでいた。いずれにせよ鳥カゴ11台を我が家の限界線としたいので、もはや余地は1台分しかなかったのだ。ところが、相次いだ不幸で事情は変わってくる。
 
 クル、ソウ、オマケ、カン、♀3羽、♂1羽の4羽が一羽暮らし。鳥カゴの数を減らせば、それだけ新しい生命を受け入れる余地も生まれる・・・。組み合わせを考えてみる。
 カンは婿を迎える可能性があるので対象外。オマケにとっては、今やクルだけが我が家でメスと認める唯一の存在だから、同居すれば喜ぶに違いないが、二度も2歳年上の女房に先立たれ、また同じ歳のメスと同居というのはどうだろう(実の祖母だが、血縁関係はこの際眼中にない)。第一、クルの寿命を縮めそうで避けたいところだ。一方先んじて一羽暮らしをしているソウは、怪しいさえずりもどきをしているが、同居鳥がいれば気が紛れるかもしれない。オマケと同居すれば、互いに血の雨が降りそうだが(実の母子)、ブレイを争った過去はあるもののメス同士のクルとなら同居は可能ではなかろうか。
 そこで、クルとソウを同居させてみた。特にケンカはしない。何とかなりそうだ・・・ったのだが、文鳥たちの思惑は飼い主とは別のところにあった。放鳥時間、カゴのつぼ巣の中からクルが甘え声でオスを誘う。オマケが大喜びで入り浸る。ソウはソウで夜な夜なシマ(父違いの妹の夫)と遊びまわり、帰宅拒否症となる。「お義母さんとの同居は嫌だ!」と言っているようだ(ソウの亡父ガブはクルの息子)。

 はなはだ不本意ながら、クルとオマケの同居を許し、ソウを一羽暮らしに戻した。仕方がない。しかしこれで一件落着と思っていたら、翌朝意外なところに騒動が飛び火してしまった。昨晩オマケを放り込んだ右棚3階左のカゴの右隣に住むノロが、イライラして妻のナツを追っかけてはつついているのだ。
 オマケはナツの事など眼中にないし、ナツもオマケなど気にも留めていないはずだから、ノロの行動は解せない・・・。そのような様子は微塵もなかったが、実はノロはオマケにライバル心を持っていたのかと想像する。考えてみれば、ノロは手乗り水浴びをするオマケの水しぶきで水浴びしたつもりになったり、指と遊びたい時に手首にいるオマケが邪魔だったり、わりあいこの両者には接点があり、ノロはオマケにコンプレックスを持っているのかもしれない・・・。
 理由はともかく、ナツがかわいそうなのでクル・オマケのカゴをオマケの元いた位置(左棚2階右)に移動する。隣はモレとシマだが(棚と棚の間は目隠し板がある)これは問題ないだろう。ついでに右棚3階左には一羽暮らしのソウを移動させる。以前ソウのさえずりもどきのせいで隣のグリ・セーユ(右棚2階左)の夫婦喧嘩となったことがあり(正確には嫉妬した妻セーユが隣を気にする夫グリを追い掛け回した)、その再現を未然に防ごうと考えたのだ(朝見て怪しかったら仕切り板を設置する予定だった)。
 夜になってナツが脚を痛そうにしているので見ると、裂傷を負っていた。朝カゴの移動が終わると、ノロは手のひらを返すようにナツの毛づくろいをして機嫌を取っていたが、すでにケガをしていたようだ。幸い軽傷で大事無かったが、予想外の反応もあるので気をつけないといけない。

 話は前後するが、上旬にオッキとセーユが同じ日取りで産卵していた。セーユの卵で有精卵だったことは一度もなく、このままでは育雛の経験はないことになる。せっかく産卵し抱卵するので機会は与えたいとガツを失った中で考え、セーユにオッキの産んだ卵を3個托した。
 ブレイも亡くなり、新たな生命の誕生が待ち焦がれる20日に検卵したところ、セーユの温める卵のうち、オッキの産んだ2個だけが有精卵だった(残りの1個は割れていた)。2個のうち1個を残し擬卵と取り替える。もしうまくいかなかったら、「握り文鳥」から巣篭もり文鳥に変わってしまったオッキの次の産卵に期待すれば良いだろうと考えたのだ。
 セーユの抱卵はオッキよりも真剣さに欠け、巣篭もりする様子も無く、放鳥中も出たり入ったり落ち着きがない。孵化させられるのか半信半疑だったが、予定日に一日遅れた29日に孵化した。8代目だ。
 以前セーユはゴンと同居した際に、ヒナを育てられなかったことが一度あったので、期待せずにいたが、案外まじめに育雛に取り組みだし、少々の物音では外に飛び出してこなくなった。何とかうまくやってくれそうだ。

 さらに、抱卵3週間弱で孵化をあきらめたモレが、擬卵を蹴散らして2回目の産卵を始め、前回の反省を踏まえたようで、はじめから巣篭もりしている。11月末に検卵し、有精卵を1個だけ残し擬卵と取り替える。この卵は12月8日前後に孵化予定だ。
 モレは完全巣篭もりで、放鳥時間に顔も出さないくらいだから、孵化する確率が高い。そしておそらく育雛もうまいだろう。年末年始は賑々しくなりそうだ。

2004・11
 表紙をいじりました。といってもいろいろ画像や技を使うと、かえって閲覧しにくくなるので、結局原型そのままで自分が便利なように「地図」などのサイトへのリンクをこっそり置き、題字などを改良するだけにしました。また、ちょっと見ると誤字の見つかる「文鳥の系譜」を少し校正して縦書きのPDF形式化しました。これは夏に書いた飼育本もどきを公開する準備でもあります。
 さらに白文鳥ぴっぴ君の記念碑となるHP『
ぴっぴのいる空間』と、パワフルに一族繁栄中のHP『文鳥夫婦の回顧録』とリンクいたしました。一方リンク切れ状態の続いているHP『関空快速の部屋』とHP『ヤンキー文鳥ヤフミ』を旧リンクのページに移しました。
 また今更手遅れの感がありますが、迷惑メール対策としてメールアドレスをそのまま載せるのをやめ、フォーム式に変えました。

 初旬、涼しくなってきたので、少し気が早いが保温の心配を始めた。
 今年も20Wの保温電球をつけて、鳥カゴを置くスチールラックごとビニールで囲い温室化する予定だが(実施はおそらく12月)、現状のままでは不都合が起きる。2台あるラックの新しい方は幅が狭く(80cm)、カゴとカゴの間に保温電球を設置するスペースがないのだ。
 ホームセンターでは幅90cm奥行き45cmの『室内温室』が売られていたが、これでは奥行き40cmの家具の上に設置するのが剣呑となる。実はこの家具、非常に安っぽい板で出来ているので(中空)湾曲してしまい、先頃上板を182cm×40cmの集成材に取り替えたばかりだ。この時板を幅45cmのものにしておけば良かったと多少後悔するが、後の祭りであった。
 使用しているアイリスオーヤマの『メタル室内温室』には、幅約90cmのタイプもあるが、高さが170cmもあり、値段も高い(約12000円)。昨年もともとあった幅90cm高さ150cm奥行き35cm程のスチールラックにも、『メタル室内温室』用のビニールカバー(別売りだと約3000円)をしたが、こちらも同じようにすれば良いと考え、 適当なサイズのスチールラックを探す。ところがなかなか見つからず(奥行き45cmが多い)、結局カタログ通販で高さ150cm幅90cm奥行き36cmのものを注文した。
 頼んだのは初旬だったが、納期は下旬となった。何ともとろくさいが、値段(約5000円)のわりに、物はしっかりしていた。早速ラックの入れ替え作業をし、間隔が出来るので不要と思われるカゴとカゴの間仕切り板をはずす(見えるとセーヤVSゴン、オマケVSシマが起きる。正確にはオマケとセーヤの父娘が騒ぐ)。セーヤだけが落ち着かずそわそわしているが、これは慣れてもらいたいところだ。

 保温に関連してゲンとオッキの同居を始める。保温器3つで済ませるためには(図のオレンジ色が設置予定箇所)、現在の鳥カゴ11台体制では難しいという理由であった(保温器は4つあるが、ひとつは緊急用)。つまり、この2羽の繁殖は促進する気が無いので、箱巣は入れず、大き目のカゴにつぼ巣2個を設置する。
 ゲンとオッキは人間がカゴの前を通るたび、前網に飛びついて指の取り合いのケンカをしているが、隣カゴで生活していた幼馴染の似たもの同士なので(いわゆる「握り文鳥」)、同居となっても違和感は特にないようだ。隣カゴのカンは自分だけ一羽で不満そうだが、これは当分我慢してもらおうと思う。

 一方、少しは期待しているモレ・シマのカップルは、10月初旬に箱巣を入れると急激に親密となり、モレは15日から産卵を開始した(初卵はカゴ底で割れていた)。母(ナツ)に似て小さい卵で安産タイプらしいモレは、その後8個産み、23日から抱卵を始めた。しかし抱卵を始めるのが少し遅かったのか、慣れぬ事で抱卵初日の放鳥時、自分のカゴに帰れなかったのが災いしたのか(右往左往し、私が帰そうとすると逃げた)、月末に確認したところ、残念ながらすべて無精卵だった。
 夫のシマは無自覚に遊びほうけているが、24日からモレは放鳥時に遊びに出てこず巣篭もりをし、やがて少し出てきた場合も、私の送迎を受ける(カゴの近くで待ち、手に乗って帰る)ように習慣化されるように変っている。これなら、抱卵間隔が開く事もないから、次の産卵からは期待出来そうだ。

 さて、最近のオスは巣作りが下手な気がする。我が家のオマケは天才だが、あとがいけない。せっかく用意した巣草を散乱させてばかりで、巣作りが出来ていない。他の巣材ならどうかと、試しに梱包用の麻ヒモを15cm以下程度に切り、煮沸消毒してから与えてみた。すると、我が家生まれでは唯一巣作りべたのグリが珍しく興味を持って運んでいる。しかし麻ヒモは両端を縛らないとすぐにほぐれてしまい(文鳥が巣の中でほぐす )、また柔らかいのでそれだけでは巣作りは難しいようだ。
 ある程度太さがあり、硬さがあれば良いのだろうと考え、安心して与えられるものを気にかけていると、ウサギ用に20cm程度に切りそろえられた無農薬稲ワラというのがあった。早速与えてみると、シマは喜んだが、硬すぎるようで、箱巣に持ち込めない。そこで次にやはりウサギ用の牧草(チモシー)を買ってきた。ヒナの敷材に使うもののロングタイプだ。ウサギの食用なので安全だろうし、香りが良いのも魅力だ。適当な長さのものを選んで与えてみると、グリ、シマ、クラが喜んで運んでいる。ノロはのろのろ運び、キタは何だかわからなかったらしいが、しばらくすると運んだようだ。これで慣れてくれば、巣草も扱えるようになるかもしれない(営巣状況の図)。
 面白いもので、昔つぼ巣を解体した後の稲ワラを、あの何でも運び込む初代のヘイスケに与えた時、あまり興味を示さなかった。今オマケも麻ヒモや牧草をとりあえず運んでいるが、巣草のほうが好きらしい。この辺でも好みが分かれるようだ。

 11月3日朝、最近少し体が重そうだったガツが、箱巣から出て調子が悪い様子をしていた。保温や点滴を施すなどしたが、抱卵中は人間の手を極端に警戒する個性の持ち主なので、抵抗してかえって悪化しかねない。夜の放鳥時、ようやく箱巣の中で眠るガツを保温室(ハムスターケージを改良したもの)に移したが、すでに呼吸困難に近く(それでも触られるのを嫌う)、夜11時、敷きワラの上で冷たくなっていた。
 来月で7歳になるはずだったが、何ともあっけない。少し調子が悪そうな状態から、半日で心臓衰弱のようになっていく経過が、父のヘイスケや姉のチビの最期を思い出させる。
 ・・・これでオマケは、再度年上の女房に先立たれたことになる。ゴマ塩文鳥にしか興味がない文鳥だから、一羽暮らししてもらうしかなさそうだ。

2004・10

 『文鳥問題』で止まり木について考察してみました。また『文鳥たちの狂宴』を最近の様子に変えました。さらに早起き文鳥君たちの活躍が楽しめるHP「めざまし文鳥」とリンクいたしました。
 ついでに、リンク切れとなっている「
文鳥のいる家」と閉鎖案内のある「きーさぶ日記」とのリンクを解除しました。また復活する事がありましたら、ご連絡いただければ幸いです。ホームページは継続させるのが案外難しいです。

 あまり産卵をさせたくないので、個人的に残暑は望むところだったが、8月末に少し涼しくなったため繁殖ムードが漂い、9月4日からセーユが産卵を始めた。
 しかしまた暑くなったためか、いつも多産のセーユには珍しく産卵数は4個に止まった。グリとセーユの卵は有精卵であったことがなく、また放鳥時間も遊んでいる時間の方が長いくらいなので、期待はしていなかった。そして案の定すべて無精卵であった。
 そのほかの文鳥たちは下旬になっても産卵を始めなかったが、時間の問題といった雰囲気であったので、25日、「ナツ・ノロ」、「グリ・セーユ」、「ゴン・キタ」、「セーヤ・クラ」、「ガツ・オマケ」の5つのカゴをつぼ巣から箱巣に切り替える。夜の放鳥時間中に行なうので、帰る時に騒然となる。つぼ巣が無く変なものがあると言うのだ。毎年見ているのに…。
 しかし今年から箱巣を横向きに設置したため、慣れるのが早かったようだ。こうすると上段の止まり木の延長上に箱巣の入口がくるので、出入りが楽そうだ。設置の翌朝巣草を与えると、せっせと巣作りをはじめた。

 同居を続けているモレとシマ、モレに季節外れの小換羽が始まるなど不安要因もあったが、ゆっくり着実に仲は良くなっていた。ところが10月はじめシマがモレを追い掛け回すのを目撃する。どうも上段のつぼ巣を独占しようとしているようだ。
 他の文鳥に与えるついでに、シマにも巣草を少し与えたが、彼はそれをしっかりつぼ巣に運んでいた。自分だけでつくった我が家を、なぜモレが利用するのか、そんな気分になったに相違ない。
 そこで、そのつぼ巣を箱巣と替えてしまう。独占欲が無くなれば問題ないはずだ。効果は一時的である可能性が高く、やはり問題はモレのほうの未成熟にありそうだから、しばらく別居させた方が良いのかもしれない。 などと考えていたが、案外仲良く箱巣に入っている。きっかけになったかもしれない。

 最年長のブレイとクルのカゴは箱巣に替えていない。腫瘍もちのブレイに巣作りは酷であり、もうすぐ7歳になるクルが産卵をするのもあまり感心しないからだ。
 しかしブレイの調子は完全に戻り、放鳥時間も隙あらばメスに色目を使い(最年少のオッキにまで!)、他のオスたち(特にゲン)に邪魔されている。調子の悪い時は、かえって迷惑そうにしていたソウのアプローチに対して も、毛づくろいで答えるなど本性を現している。
 腫瘍がまた不気味に大きくなっているのだが、自覚は特に無いようで、万一のために底網の上に敷いてある新聞紙を引きちぎろうとするなど、不摂生を続けている。
 この際、好きなようにしていただこう。

以下、工作関係

 以前から気にはなっていたが手をつけなかったことの一つに、カゴの落下防止対策がある。下手にすると掃除などで手間が多くなりそうなのでそのままにしていたのだが、関東大震災の起こった『防災の日』が過ぎてから 、浅間山は噴火する、紀伊半島沖では連続地震、地震のほうは横浜市も震度3程度にゆれ、夜半のことだったので文鳥も何事かと鳴くものもあり(人間が姿を見せ一瞬明かりをつけると落ち着いた。きっとゆらしたのは人間だと納得したのだろう)、不安になってきた。
 鳥カゴの置いてある
スチール棚は、ゆれが激しくなれば、鳥カゴが落下する危険が大きい。落下を防ぐにはスチール棚の側面にロープでも渡せば良いが、固定してしまうとカゴを取り出すのに不便だし、取り外せるようにするの難しそうだ。そこで、棚とカゴを鎖でつなぎ、接合部にナスカンを使用することで着脱可能に しようと考えた。
 材料をホームセンターで買ってくる。ナスカン約80円、鎖1m約150円、キーリング2個約55円、鎖は15、16cmの長さしか必要ないので、一ヶ所の材料費は120円以下で済む。錆びないようにすべてをステンレス製のものにすると、数倍の費用が必要となるが、もし錆びたら考える事に して、鉄製で我慢する。何しろ11台あるのだ。
 加工、取り付けは簡単だった。実際の効果のほどはわからないが、確かにナスカンをはずさない限り鳥カゴを引っ張り出す事は出来なくなった。

 さらに今年から箱巣を横向きに設置するため、止まり木に関係なく固定できるように金具を取り付けた。といっても、穴をあけ、径4mmのネジを内から入れ、『ワッシャー』をはさんで蝶型ボルトとめるだけだ(蝶型ボルトは鉄だと1個8円、ステンレスだと60円くらいする。なお箱巣の中にいるのは自作の石塑人形ブンペ君)。
 いちおう、背面と側面の2箇所で固定した。設置する際少々面倒だが、文鳥たちには好評のようだ。

 

左上・・・以前施した加工
左下・下・・・今回施した加工

 調子に乗ってもうひとつ工作をした。他カゴ底部と引き出しの接合部から水漏れが激しいので(水浴びが好きな文鳥たちのカゴ)、ベニヤ止め用のプラスチック棒でふさいでみ たのだ。
 以前平面のプラスチックで覆ってみたが、幅が細かったためかさしたる効果をあげなかった。今回ホームセンターで見つけたものは断面が三角形をしており、水が効率よく引き出しに流れ落ちる事が期待 出来そうだ(HOEIがそういった目的のものを作っているらしいが、はじめから全カゴ種でやれと言いたい)。これにより底網が1cmほど持ち上がるので、敷いてある新聞紙を引っ張り出すのも難しくなる。水浸しになったり、ゴミがはさまりやすい(青菜をたくさん食べるため)5台ほどの改修を順次おこなった(セメダインが完全に乾いてから使用するため一挙には出来ない)。
 水漏れにはなかなか効果的のようだ。問題は加工部分がどの程度汚れてしまうかだろう。

2004・9
 『文鳥問題』で 文鳥のお守りについて(23)と近親交配について(24)考察してみました。 また、HP「PON'S HOUSE」とリンクいたしました。

 8月上旬、ひどい暑さの中を東海道線を西に向かう。左手に広がる相模灘は穏やかにきらめいている。何回かトンネルを通り過ぎると、そこは伊豆、静岡県東部にやってきた。ペットショップを経巡るために来たわけではないが、当然それも行動予定にはいっている。事実上それが目的といわれても仕方がない かもしれない。
 三島市の駅から三島大社へ向かって歩いていく。途中に鳥屋と称すべきペットショップがあり、いまだにお目にかかったことのない体格と顔の大きさ持つ桜文鳥が、恐ろしく年季の入った狭いカゴにいた。 感嘆しながらも先を急ぎ、小鳥屋さんと称すべきペットショップに向かった。
 その店先には、2羽の桜文鳥の入った鳥カゴが並べられていた。一方は胸のぼかしが大きすぎるものの、私の好みの顔つきをした文鳥だった。目元が涼しいようで愛嬌がある。見た目はオス、しばらく見ていると、さえずりそうな様子を見せる。目的は小柄なモレの婿候補なので、冗談のように顔の大きな文鳥よりこちらのほうが良さそうだ。用事を済ませてから、再び訪れることにする。

 そして再び店先に立つ。右手には紙袋。途中のローカル駅で電車を待ちながら、カバンの中に折りたたんでおいたプラスチック製マスカゴを 取り出し、組み立て、中には用意してあったエサと、1枚ティッシュペーパーを入れた上からミネラルウォーターを満たした容器 をしつらえたものが、その紙袋の中に入っている。準備は万端なのだ。
 しかし、万一メスであった場合、往復3000円超の旅をして返すつもりはないので、しっかりさえずるのを確認してから購入することにする。ところが、水浴びなどしていてなかなかさえずらない。眼中にないほうの文鳥ばかりがよくさえずり、お目当ての文鳥は一瞬のどを鳴らしそうになるだけだ。
 店頭にも店内にもドバトが好き放題に闊歩する中を、軽く20分ほど観察を続ける。さすがにしびれを切らし、巨顔の方に縁があるのかと考え始めた頃、ようやくしっかりさえずっ てくれた。即座に近所の知り合い連中2、3人と世間話に興じているお店のおじさんを呼び出し、件の桜文鳥を指定し、これに入れるようにマスカゴを渡す。
 「いつも噛まれるんだよ…」
 つかみ出された桜文鳥は、気の良さそうなおじさんの指をかみ締めている。
 「逃がすなよ〜!」
 知り合い連中が、私の心中を代弁するような冷やかしを言う。確かに危なっかしい手つきだが、当然のように黙って見ている。鳥好きらしい知り合いの一人が、しきりにプラスチック製のマスカゴに感心して、「ウチにもあるよ」と お店のおじさんに売り物を見せられたりしている。
 3800円。「オスかメスかわかんのよ?」「わかんねえよなあ」などという会話を背に聞きながら駅に急ぐ。

 三島で買ったら、名前はシマだ。我が家にやって来たシマは、かなり大柄で性格はおっとりというか物怖じしない。人間の手には乗らないが、それほど恐れる様子はない。初日からつぼ巣を喜び、翌日にはブランコに乗った。放鳥にもすぐに慣れた 。一番驚いたのは、外付け水浴び器を取り付けた日から使用したことだ。このようなものは生まれてはじめて見るはずだが、よほど水浴びが好きなようだ。
 中旬になってから、モレと同居させる。モレに寄って行ってさえずったり、つぼ巣に誘ったり気を引こうと努力しているが、モレはまったく相手にしない。というより、意味がわからないようだ。なぜエサを食べる横に来て邪魔をするのか、自分のつぼ巣を 占拠してしまうのか、何とも不満なようだ。しばらく時間がかかりそうだ。

 11日夜、恐れていた事態が現実になる。ブレイの腫瘍が破裂したのだ。
 夜の放鳥時間、出てきたブレイは血まみれになっていた。こうなったら終わりと覚悟していたところだが、少しよろめきつつも案外普通に行動している。カゴに戻すために捕まえると、いつものように飼い主様の指を容赦なく噛む。
 傷を消毒したかったが、あいにく消毒液がなくなっていた。とりあえず買いに行く。近所の薬屋は閉まっていたので、少し遠いチェーン店で『マキロン』を買って帰る。道すがら、無駄になるかもしれないと不吉な思いにゆれていたが、ブレイは無事、また噛まれながら、4分の1ほどに小さくなった腫瘍にマキロンをかける。マキロンはなめたりすると問題 があるが、この際そんなことは言っていられない。
 普通の生活は難しいと考え、バリアフリー化する。といっても大したことではなく、引き出し部分を逆さにして底上げした上に新聞紙を敷き、巣がけ器で下にもつぼ巣を 設置して、エサ入れを平たいものに変えるだけだ。ブレイを下のつぼ巣に押し込む。
 生命力がけた外れなのだろう。ブレイは傷口もふさがり、毛並みも良くなり(数日後お湯で血のりを落とし、血が固まっている傷周辺の羽毛と軽い排泄困難を起こす総排泄口周辺の羽毛を切った)、活動的とは言えないながら、それなりに元気にしている。上段のつぼ巣が良いらしいので、つぼ巣と止まり木の段差を小さくし(止まり木を 左右斜めに渡し、つぼ巣を止まり木の上ではなく少し沈みこませる)、上段にも水飲み器を設置した。
 また少しずつ腫瘍が大きくなっていて、今後も不安な状態が続くが、ブレイには好きにしてもらいたいところだ。

 8月下旬、真夏日の連続から開放されると、途端に繁殖ムードが漂い始めた。今年は暑いので、産卵も遅くなると予想していたが、あまりに暑すぎたので、少し涼しくなっただけでも反応しているのかも知れない。困ったことだ。
 クラが途中ブランコをかじり振り回しつつ、セーヤにさえずっている。グリは相変わらずブランコのサーフィン乗りをしながらさえずりダンスをして、止まり木のセーユをうっとりさせている。止まり木でさえずりダンスをしたオマケは、ブランコのガツ に交尾をしようとして、ずっこけている。ついでにオマケの底敷き新聞紙の引きちぎり行動も激しくなった。これはいつ産卵を始めても不思議は無いと判断し、アワ玉を与え始める。
 そんな中、
「キューウィ、ギュッ・キューキューキュキュキュキュ…」といった、甘え声を発展させたような未亡鳥ソウのさえずりもどき が、段々うまくなってきている。何を考えているのか判然としないが、この鳴き声を聞いてソウの姿を見ると、隣カゴのグリが落ち着かなくなり、それを見て嫉妬するらしいセーユに追い掛け回される事態にも発展している。夫婦の危機だ。とりあえずボードで目隠しをする。夫婦喧嘩は静まった。
 ソウは、先立った夫に似ているゲンに相手にされず、腫瘍のブレイに付きまとうが、体力が低下していてのんびりしたいブレイには 煙たがられる始末。どうするかと思えばさえずりの練習をはじめ、なぜか最近はメスのガツにも付きまと いだした。オスが駄目ならメスなのか…。シマにさえずられても逃げ出す。誰でも良いというわけではない。
 もうすぐ6歳になるソウが、繁殖シーズンの台風の目になるかもしれない。

2004・8
 『文鳥の系譜』に昨年来の動向を書き足しました。『文鳥問題』で体内時計と季節リズムについて考察してみました。

 暑いこと以外は平穏といって良い。熱帯で進化した文鳥は、暑さには比較的強く、30℃程度なら特に問題ない。しかし、7月21日の暑さはかつてないものだった。
 朝の7時前には、朝日の直射で鳥カゴ周辺は大変な高温となっていて(すでに窓は開いているが直射日光を浴びる温度計は40℃)、文鳥たちは口開けて「ヒャー・ヒャー」いっている。特に高齢のブレイはしんどそうだ。
 危険を感じたので、外に打ち水、窓は全開、いい湯加減になっている水を取り替え、ついでに冷却材(買い物とかでもらうやつ)をカゴの上に数ヶ所設置する。
 我が家の場合、9時くらいになると日陰に入るはずなので問題なくなるが、最高気温35℃超が予想される日には(そんな日はもう無いかも知れないが)、前日の晩から日よけをしておいたほうが良さそうだ。

 数ヶ月前から、欲しかったものにウソ鈴というのがある。ウソという小鳥を模した亀戸天神のお守りだが、その外見は桜文鳥に近いのだ。これがあれば「災いもウソになる」という実にありがたい駄洒落も、文鳥のお守りにふさわしいように思われる。
 しかし、亀戸なんて行ったことがない。親戚がいる文京区・台東区の谷根千(谷中・根津・千駄木)や上野なら多少わかるが、それより東となると浅草に行った記憶すらない。まして「川向こう」(隅田川の東側)はまったく不案内だ。これは一度、人が少ない平日を選んでに行かねばなるまい。と考えていたら、7月末にその機会がやって来た。
 電車とバスの時刻表を調べ、事前準備は完璧。何しろ『東京1DAYきっぷ』なら、1200円くらいで、京急(京浜急行)の最寄り駅からの往復に加え、都営バス都営地下鉄一日乗り放題なのだ。これは最大限権利を行使し、周辺のペットショップを冷やかしてまわらない手はない。そして、もし気に入ったオス桜文鳥がいたら、なぜか孤独なモレの婿候補として横浜まで連れて来てしまおうではないか!

 かくして、都営浅草線直通の特急で約1時間、押上に到着する。A2出口の目の前にあるバス停から、都バス『上26』系統に乗り亀戸天神前で下車。
 受験シーズンには混雑するであろうこの神社も、真夏の平日の午前中ときたら、いい加減閑散としている。公園代わりに遊んでいる幼児とその母親、木陰でたたずむ下町のおっちゃん数人がいるだけだ。
 賽銭箱にお金を放り込み、とりあえず頭が少し良くなることを道真さんに願ってから、お守り売り場に行く。探すまでもない。目の前に文鳥がいた。ウソなんて嘘だ。目の周りを赤く塗ったら完璧に文鳥姿の『鷽鈴』の見本。顔色の悪い装束姿の兄ちゃんに、3つくれと言いながら、横にウソ型の小さなお守りがあるのに気づく。こちらはあまりかわいくないが、財布につけるには適当だ。それとウソ鈴2つに訂正する。600円×2+700円で1900円なり。

 これでもう満足だが、せっかくなので亀戸駅方面に少し歩き、チェーン展開するペットショップの「小動物専門」店を見に行く。シナモンとシルバーが混合で6、7羽、雌雄の別なく手ぜまなカゴに入れられ売られている。シナモン5500円ちょっと、シルバー7500円ちょっと。「生後4ヶ月くらい」とあるので、おおかた手乗りくずれだろう。外見的には特に見るべきものは無いが、家に持ち帰って良いエサを与えたら、たぶん3日で見違えるものと思える。しかし、私が探すのはあくまでも桜文鳥だ。
 
都バス『上26』系統で浅草3丁目で下車。千束通りを歩いて5丁目に向かい、少し脇道に入ると、まさに大昔の「鳥屋」が姿を現す。店頭には十分にさび付いたカゴが一面に張り付き、おもにセキセイインコが騒いでいる。白羽の多い桜も2、3羽丸まっている。店内にもいるかもしれないが、カゴの中が感心出来ない状態なので、万一「掃きだめに鶴」がいても買う気にならない。回れ右。いちおう浅草寺の観音さんにお参りしてから、都バス『都08』系統で押上に戻る。
 今度は都バス『門33』系統で十間橋下車。十間橋通りを東武線の踏切まで歩くと、そこに小鳥兼園芸屋さんがあった。小鳥の生体が割合豊富で、文鳥も白と桜が数羽、店の内外に一羽ずつカゴに収まっている。エサはムキ餌だが底は取り替えたばかりの新聞紙で気持ちが良い。これ以上ないくらい風通しの良いお店自体には好感を持ったが、売られている白(オス4000円となっていた)は整っているものの、桜は横浜まで連れてくるほどの魅力はなかった(換羽中で白羽が多い)。
 暑さにかなり参って来たので、都バス『門33』系統で涼みつつのんびり門前仲町へ。下車して、永代通りを深川不動・富岡八幡方面に歩いていくと、ペットショップがある。せま苦しい店内の奥に小鳥のコーナーがあるものの、これがかなり汚い。なぜか通路に掃除機などが置かれ、カゴに近づけないのだが、あまり近づきたくもない。遠目に元気の良さそうな桜が6、7羽押し込まれたカゴが見えるが、この店で買う気にはならないので、回れ右。著名な神社仏閣の素通りもどうかと思い、いちおう八幡さんとお不動さんに挨拶しておく。

 まだ2時くらいだったが、上野の問屋街や神田の古本街に行く程の元気は残っていなかったので、都営大江戸線に乗り大門経由で帰る。結局ウソのお守りを買ったものの、あとの成果は東京の神社仏閣めぐりを少ししただけに終わった。しかし、個人的にはウソ鈴を鳴らしながら大変満足している。
 モレの婿は、8月はじめに少し遠出する予定があるので、その時縁があればで良いだろう。孤独のほうが好きでないとは限らないし・・・。

2004・7
 『文鳥問題』で栄養摂取と日光浴について考察してみました。

 今月は爪切り強化月間とした。本当は換羽中は避けたかったのだが、予想以上に伸びるのが早い。換羽期には理屈としてタンパク質が必要なはずと思い、良く見ていると、放鳥時に食べられる例のマリービスケットを、換羽中の者ほど食べているように見て取れたのだ(煮干はそれほどでもない)。ビスケットよりアワ玉のほうが安心出来るので、週に1回くらい入れてみたが、その効果なのかもしれない。余計なところに余波が及んでしまった…。
 自慢ではないが、文鳥の爪切りはうまいほうだと思う。少なくともそれ自体に苦手意識はない。万一出血しても、鼻歌まじりにお線香で止血出来る。しかし、カゴから文鳥たちをつかまえるのは憂鬱なことこの上ない。とんでもなくパニックになり、捕まると「ギュゲエエ〜!」などと、ヘビに噛まれてもあげないような断末魔の叫びをされては、犯罪者になったような気分になる。第一、そんな叫びを聞いた他の文鳥はさらに大騒ぎだ。とてもではないが、一度に出来ないので段階的に実施していく。
 ガツ、ソウ、セーヤ、ゴン、モレ、「ウチの子」のメスは皆もってのほかにうるさい。断末魔だ。「ウチの子」のメスでもクルはまだ静か、「ヨソの子」のメスであるセーユやナツもおとなしく感じる(ガツたちよりは)。「ヨソの子」のオスのノロやキタもいい子だ。やはり、男の子はおとなしいと言いたいところだが、「ヨソの子」の巨頭であるブレイは、雄叫びこそあげないが、昔から噛みまくる。どんな姿勢でも噛む。絶対に噛む。腫瘍病みでもその点はまったく変わらない。なお、そういったいらない所ばかり遺伝している「ウチの子」のオマケも噛む。
 ようやく一カ月がかりで12羽、ほっと息をつくと、爪の伸びやすいソウやガツ、ブレイはまた長くなっている。伸びるのが遅いグリみたいだと楽なのだが…。

 ブレイは脚が曲がっているので、特別爪が伸びやすい。爪が擦れないのだ。切るたびに噛むので、すでに痛いとも思わなくなったが、6月も下旬となると、一段と腫瘍が大きくなり、つかまえて保定するのを避けたいくらいになった。一所懸命アワ玉を食べているようだが、腫瘍が栄養を持っていってしまうようだ。放鳥時に、メシマコブ、アガリクスなど入り湯づけエサも食べているが、まあ効果はないと言える。
 案外元気に行動できているのが救いで、最近は未亡鳥のソウに頼られるなど、案外もてている。若い時のように、ギラギラしなくなってかえって女性うけは良くなったのかもしれない。
 台所で他の文鳥をけん制しながらする手のひら水浴びに限界を感じたようで、やって来なくなったが、そのかわり、オッキたち若者むけに用意したテーブル上の小判型水浴び容器で頭浴びをするのが日課となった。
 相変わらず手のひらを嫌がるが、手の甲を出すと乗ってきて、手首の辺りでのんびりしている。口笛には過敏に反応し、ヘイスケ流とブレイ流の口笛には感極まってつついてくる。・・・まあ、その日その日を楽しく過ごしてもらいたい。

 先月設置した頭上遊園地は、1カ月たたないうちに腕白ゲンが一番乗りし、その後オッキ、カン、モレと入場を果たし、4羽の遊び場となった(おとなは今のところセーヤが一度ブランコの試し乗りに来ただけ)。
 楽しく遊ぶはずだが、心から楽しめないのが1羽いた。モレだ。
 彼女のあこがれだったオマケおじさんは換羽で見る影もない姿、宿敵のオッキにはフライングアタックを受け劣勢、ちょっと興味のあるゲンには邪険にされる。・・・こんな思春期の日常にぐれたのだろうか。6月末に2度目の徹底的帰宅拒否行動を起こした。
 不良娘も1羽なら良いのだが、モレが帰らないと言い出すと、「私も、私も」の手合いが何羽もいる。カン・ゲン・オッキだ。とりあえず鳥カゴ方面に追い立ててみたら、神経過敏なモレは、途方もなく無茶な飛行を始め、狭いところに落ち込み、バッタバッタとやりだした。仕方がないので、主犯のいぬ間に3羽を帰宅させ、狭いところから自力で這い出て来るのを待つ。
 やがて、そこら中にぶつかりつつ出てきたが、他の文鳥たちのカゴの裏に回って、素直に帰宅する気はなさそうだ。おいでと手を出したら、また手の届かない危険地帯へ飛んでいってバッタバッタとしている。…腹立たしいし、危険だ。決意した飼い主はハサミを用意して、這い出てくるのを待つ。この調子で何度もやっていれば、そのうち大事故間違いなしだ。事故の悲惨より日常が多少かわいそうな方がましなのだ。
 ようやく這い出てきたモレは、またカゴの裏に捕まっている。手を出すと逃げ出すのは疑いないので、暗くしてカゴごと引っ張り出し、放鳥部屋へ一気に追いやる。飛び出し、カーテンレールにとまったのを確認し、電気を消して捕獲。外側の風切りを無常に切って(すでに間引いてあるのに、恐ろしい飛翔能力を示しているのだ)、カゴに放り込む。
 翌日、風切り羽の外側が3枚もなければ、しばらくモレの青春は灰色の度を増すに相違ないと思ったが、飛翔力はさほど低下せず、頭上遊園地で遊んでいる。あの状態で、普通に飛べると言うのは、たいしたものだ。

〔余禄〕
 今月は横須賀線HT駅にある、関西系のペットチェーン店を冷やかした。グッズは安くないが、それなりに衛生的なお店だ。めずらしく桜と白と3羽ずつ、大き目のカゴに入っていた。若鳥3150円と書いてあり、白文鳥は背中に薄っすら灰色が残っている。これは手乗りヒナの売れ残りに違いない。と思いつつ、ガラス越しに観察する。すると1羽、何とも好みの桜文鳥がいるではないか。例えてみれば、我が家のセーユの顔を3分の2の大きさにして、体格も一回り小さくした感じだ。ようするに、個人的には完璧な容姿だ。
 現在メスが多いので、オスなら買ってしまおうと思いながら観察を続ける。見た目の印象はメスなのだが・・・。こういった多数入ったカゴを観察するのは面白い。文鳥たちの性格や相互関係が、しぐさでわかってくるのだ。注目の桜は好奇心が強く、なつっこい性格のようだが、残念なことにさえずらない。一方、その桜と仲良し関係にあるらしい白文鳥と桜文鳥が1羽ずついて、それが両方ともさえずった。男の子と仲良くする正常な文鳥の女の子の行動を、そこに見出さないわけにはいかない。さえずったオス桜も悪くはないが、常に抑制の方向にある我が家の飼育数のベクトルを覆すほどではなかった。

2004・6
 『文鳥問題』で飼育スタイルについて、さらに細かい類型を考えました。

 5月上旬、予定通り箱巣からつぼ巣に切り替える。つぼ巣にはあらかじめ電気コード(電話配線用)を通して、念のため日干ししてある。電気コードだと着脱が簡単だ。カゴの上段隅の横軸を上下にはさむようにして捻るだけ。こうすると適当に角度もできるのでちょうど良い。
 取り付けは簡単だが、取り外した箱巣の掃除は面倒だ。たわしで水洗いし、日干し、底に敷く『ワラジー』も同様にして、さらに真空パックしておく。
 ついでに、カンとゲンの姉弟を別居させる。将来的に夫婦にすることは出来ないので、これは早いほうが良いだろう。別居といっても、カゴは隣同士であるため、さほど不平も無いようだ。カンは案外、巣を独占したりする横暴な弟と離れ、のんびり出来てうれしいのかもしれない。

 5月中旬、数年ぶりにアオダイショウが襲来する。家人が何か騒いでいるので様子を見に行くと、何とヘビが鳥カゴの置かれたメタルラックに巻きつき、中階のカゴの中に頭を潜り込まして白い文鳥をくわえているではないか!被害者はグリだ。
 考える前に、カゴに手を入れ、グリをくわえたヘビの頭を押さえる。グリは尻尾をくわえられているだけで、体は無傷のようだ。ビックリして動けないのだろう。ヘビの頭をねじり、尾羽ごと引き抜く。ちょうど換羽に入るところだったようで、尾羽は簡単に抜けた。グリ解放の後、ヘビを頭からズルズルとカゴの外に引き出す。ヘビは腕に巻きつくなど最後の抵抗を試みるが、再犯されては困るので、慈悲をかけるわけにはいかない。
 カゴの隙間から入り込める小ヘビ、留守中に侵入されていたら大変なことになっている。背筋に冷たいものを感じつつ、以前ふさいだはずの侵入路を点検する。特に異常は無い。アオダイショウという昼行性のヘビは、木登りもうまく、昔の家では天井裏に巣くっていたりしたと言うから、入り込もうと思えばいくらでも侵入路はあるのかもしれない。しかし、鳥の声を聞いてやって来たとすれば、侵入路も近いはずだ。
 ひとつだけ怪しい箇所を見つける。配水管に隙間があったのだ。ここから侵入し風呂場から這い出したのかもしれない。とりあえずその隙間をふさぐ。文鳥に犠牲者を出すわけにはいかないが、毎度ヘビに犠牲者を出すのも心苦しい。

 推定侵入路を封鎖し、とりあえず一安心していたら、夜に衝撃が待っていた。放鳥のためカゴの開閉口を洗濯バサミで止めていると、ガブが仰向けに冷たくなっているのを発見したのだ。
 まだ5歳半だった。確かに数日来少し行動が鈍くなっていたし、飛んだ後に動悸も激しかったのだが、換羽の最中だったので、その影響と考えていた。去年亡くなった父親のサムは発作の末だったところから推測すると、心臓に問題があったのかもしれない。数ヶ月前に、夫婦で逃げ回るので風切り羽を間引いたのも、心臓に負担をかけてしまったかもしれない。おかしくなっていた時にヘビ騒動、隣カゴの弟グリが目の前で食べられそうになったショックも、影響したのかもしれない。要因がさまざまに重なった結果だろうか。何とも、残念なことであった。

 夫のガブに先立たれ、気落ちするかと思われたソウだが、案外元気そうだ。相変わらず女王様気取りで、方々でケンカ沙汰を起こしている。ところが味方をしてくれる夫がいないので、とりあえず人間の腕に乗ってきたりする。毎年ガブの換羽が終わってから、ソウの換羽が始まり、ハゲハゲの妻を横目に、ガブが浮気に走る光景が見られたが、今年からそれも思い出となった。
 しかし、換羽は思い出ではなく現実だった。思い出に浸る前に、掃除をしなければならない。ブレイとクルから始まった換羽は、ヒナ換羽を終えたばかりの4羽の若鳥(正確にはゲンはヒナ換羽中)をのぞいた13羽で展開しはじめ、否が応にも羽毛を散乱させている。桜が舞う季節が過ぎれば、羽毛が舞う季節で、気がつけば夏となるのだろう。

 5月下旬、頭上の物置場所で文鳥たちがくつろぐようになって久しい。フンの掃除を楽にするため板を置いたら、警戒して近づかなくなった。せっかくなので、なぜか理不尽に置いてある先代の電気ポットを片付ける。以前から片付けたかったのだが、文鳥たちの溜まり場となっていたので、なかなか実行できなかったのだ。
 しかし、何も無いのもさびしく思えたので、廃材と安い木材(ラワン材とヒノキの外皮付板)を使って、遊び場を作って設置する。スピード重視のやっつけ仕事。行き当たりばったりの工作だが、意図としては、上のヒノキ外皮板で年寄りがくつろぎ、下のブランコを若いものが遊ぶといったものだった。わざわざ割り箸のような材料で、枝のたわむ感じをねらったりもしている(自然木の枝が高かったため次善策)。なお、完成したものは当然のようにゆがんでいた…。
 案の定、保守的な文鳥たちにとっては、怪しいものが出現しただけなので、警戒して寄り付かない。いつ、誰がはじめに近づき、ブランコに乗ってくれるのか、楽しみだ。

2004・5
 鳥の総合コミュニティサイトをめざす『bird』とリンクさせていただきました。
 『文鳥問題』で動物由来感染症(ズーノシス)をとりあげました。また、参加者の分布が視覚的に表示できるゲストブックを設置しました。ご参加いただけるとありがたいです。また、どこに何を書いたかわからなくなってきたので、サイト内検索が出来るようにしました。

 オッキのヒナ換羽が終了した。色柄くっきりの桜文鳥で、胸のぼかしは少ない。そのぼかしは、小さな花びらが三つ横に並んだようで、一見月の輪状に見える。性格は極端な甘えん坊で人間にベタベタ、頭やほおをなでられるのが好きだが、当然のように皮膚をかじり、つねる。食欲は旺盛で、体重は標準(26g)だが体格は立派だ。
 結局ぐぜることは無かったが、手の中にもぐりこんでは、何やらグチュグチュ言い、口笛を吹いてやれば非常に甲高い大きな鳴き声を出して興味を示す。おしなべて、やかましい。テーブルの上に置いた容器のみで水浴びをし、散々濡れそぼった挙句、わざわざ人間の肩の上に這い上がり飛び散らせる。カンやゲン、さらにモレといった先輩鳥に追い払われても、まったく気にせず、油断をすればそれらの尻尾を引っ張る。実に今後も楽しみな逸材と言えよう。

 他の逸材たちは、とりあえず平穏無事に経過していったが、そろそろ飼育上の衣替えの季節になってきた。4月末、換羽の季節も近い。ガブ・オマケ・セーヤの直系三代はクチバシの周りがずいぶんはげている。彼らはそういった前触れから換羽が始まる体質なのだ。また、一足早くブレイとクルのカップルは羽が抜け始めてもいる。ブレイは腫瘍があるのに、換羽は大変だと思うのだが、こればかりはどうしようもない。
 とりあえず温室ビニールシートを取り外し、つぼ巣の用意を始める。我が家では、繁殖期は箱巣、夏期はつぼ巣が通例だが、鳥カゴが10台もあると、切り替えはそれほど簡単ではない。第一に10個近くのつぼ巣を用意しなければいけない。ところが、10個のつぼ巣を店頭に並べている小売店はまず存在しないので、買いだめが必要となってくる。あちらこちらと、気がつくと買っていく。実際の取替えは、産卵の状況を見ながら5月に行うことになるだろう。
 換羽となれば繁殖が終わることになるので、メスの産卵障害を気にせずに済むようになる。したがって、夏は個人的に案外気楽な季節のはず。しかし、ここ数年夏の温湿度対策に苦慮している。特に窓を開けることが出来ない夜間の湿度が気になって仕方がない。文鳥は熱帯原産の動物なので、高温多湿にはかなり耐性がありそうだが、日本の真夏の夜の蒸し暑さは悪夢だ。さらに、我が家の鳥カゴは、浴室に近いところにある。
 今年は『ルームドライヤー』というもの(写真)を導入することにした。除湿機だが、水分は屋外に排気するので手間いらず、換気も出来、室外機もいらない。騒音も、最大で50db未満…、よくわからないが、とりあえず許容範囲のようだ。通販で購入する。
 他の工事のために呼んだ電気屋さんに、ダクトを通す穴開けだけ頼み(作業中、文鳥たちは大騒ぎとなったのは言うまでも無い)、設置は自分で行う。わりに簡単に出来た。
 さて、これで悩みは解消するだろうか。

2004・4
 文鳥らしい連続写真が楽しい『きーさぶ日記』と、祭りと鉄道と文鳥を愛する『関空快速の部屋』と、文鳥君たちの今後の展開に目が離せない『ヤンキー文鳥ヤフミ』、3つのホームページとリンクさせていただきました。
 web容量が5倍になったので、『住民たち』のそれぞれの写真館に新しい写真を加え、BBS以外のほとんどのページを同じサーバに移しました。また、『文鳥の系譜』を書き足しました。

 平穏な日々が続いている。
 7代目のカンとゲンも、モレも、6代目のオッキも、元気に育っている。カンは完全におとなの姿となったし、モレも3月末にはほとんど換羽が終わっている。両者とも、白羽の少ないくっきり配色の桜文鳥で、特にカンは胸のボカシもなく、原種ともいえるくらいの姿となった。その色合い、さらに顔つきなどは父のクラに似ている。脚がガニ股でなかったら、スマートでよほど美しい文鳥だ。性格はたんぱくで、オッキなどに尻尾をかじられてもあまり怒らない。「女の子らしい」と言えば、それらしい。ただ、オスにさえずられるのが好きらしく、将来的に不安な面もなくはない。
 モレは姉(父違い)のソウに似ている。小柄で頭が小さく、わりに丸い印象の文鳥だ。クチバシの横、つまり頬とアゴの部分がくっきりと黒いので、正面から見るとひげが生えているようにも見える。すぐに驚いたり神経質な面と、オッキを目の敵にする嫉妬深さをもっている。これも「女の子らしい」と言えば、それらしい。隣カゴに住み、実は甥にあたるオマケ(オマケの母はソウ)に感心を持ってしまい、真似をしている気配がある。底の新聞紙を引きずり出し、引きちぎり、つぼ巣の中に運び込んで悦に入っている姿は、オマケそのものだ。
 美しくなっていく女の子たちに対して、さえずり練習に余念のない男の子、ゲンは、3月末になっても迷彩模様のままだ。行動は相変わらず落ち着きがなく、他の鳥が何かしているとすぐに首を突っ込む。慌てて飛んできて、ずっこける。何でも独り占めしたがり、まだ手の中にもぐり込んだりもする。「男の子らしい」と言えば、それらしい。

 問題はオッキ。この者がオスかメスかで、ペアリングなど今後の動きは大きく変わることになるのだ。そこで一ヶ月の間、注意深くその行動を見守ってきた。・・・しかしこれがわからない。
 最近考え出した一つの仮説によれば、オッキはオスだ。その仮説とは、「親鳥から給餌される際、静かだったのはメス、騒々しいのはオス」というもの。普通ヒナは複数羽いるのでわからないが、最近一羽孵化が定着している我が家では、鳴き声が大きいか小さいかわかるのだ。うるさかったオマケ・ゲンは♂、静かだったセーヤ・カンとわりあい静かだったモレは♀だった。とすると、相当騒々しかったオッキはオスに違いない。
 そのように考えて、見ていると、確かに落ち着きがなく甘えん坊で、ゲンに似たタイプ。水があるわけでもない手のひらの中で、水浴びをしたつもりになり、体をふるわせる(オッキは手のひら水浴びをしたことがないが、動く指の感触が水浴びを連想させるらしい)。スダレの裏にずっこけて落ちたこともある。…つまり「男の子らしい」性格が見てとれた。
 そこで、口笛でさえずりを教えようと試みつつ、ぐぜり出すのを待っていたが、生後2ヶ月半の3月末現在、ヒナ換羽は進行しているがぐぜりの兆候はない。
 仮説崩壊。こうなるとメスの可能性が高くなったと認めざるを得ない。もっとも、「〜らしい」というは、始めから信用していなかった。セーヤなど、その「男の子らしさ」のかたまりだったが、結局女の子で、母親になっているではないか。第一、母親のゴンについては2年間もオスだと思い込んでいたくらいだ。

 突然ぐぜり出したりせずオッキがメスなら、若い4羽はオス1羽に対し、メス3羽となってしまう。これでは2組の夫婦はできないが、案外そのほうが良いかもしれない。オッキは物怖じしない性格なので、暴れん坊のゲンとも何とかやっていけるだろう。カンとモレならメス同士で同居も可能だろう。
 片従姉妹の関係にあるゲンとオッキの子どもが生まれれば、ゴン系とオマケ系が統一できるし、両親に似れば性格面で多大の不安はあるものの、体格が立派で丈夫なヒナが予想できる。・・・とりあえず、そのような青写真を描いておこう。

2004・3
 ホームページに使える容量が、10Mから50Mに増えたようなので、写真館に新しい写真を追加していきたいと考えています。

 寒い季節だが、ゴンとキタの子オッキは順調に成長してくれた。孵化27日目で初飛行。36日目にはほぼひとり餌となった。一時30gに達し、大きくなりすぎるのではないかと、期待と不安を同時に覚えたものだが、自主規制が働いたらしく、27g程度におさまるようになった。将来的には大柄になりそうだが、常識はずれに巨大化することもないだろう。大きな安心と少しの落胆を覚える。
 オッキは、ひとり餌になった後も甘えん坊で、手を出せば飛んでグワグワ(大きくなるとキュッキュッ)と鳴きつつ飛んでくる。実にえらい。しかし、手の中は一ヶ月前までモレの場所だったので、モレの嫉妬をうけることになった。
 モレには嫌われたが、カゴが隣同士と言うこともあって、放鳥時もカン・ゲンには、心配したほどは追いかけられていない。当初、オッキの目の上の羽毛を「悪源太」のゲンがむしり取り、オッキが恐怖で固まった時は、将来を大いに心配したが、多少先輩に怒られても、物怖じしない神経の持ち主に成長してきているようだ。

 カンとモレはヒナ換羽が進行している。
 カンは3月までにほとんど終了、クチバシも赤くなり、白い差し毛がほとんどない文鳥となっている。相変わらずガニ股だが、毛づやが出てくると、はっきりした配色が美しい文鳥になってくれそうだ。
 モレのヒナ換羽は、なかなか早い展開を見せていて、2月末には頭の黒い部分がほとんど生えかわっている。こちらは、少し白い差し毛がありそうだ。あと一ヶ月で姿ががらりと変わるだろう。桜文鳥の変化は、いつ見ても楽しい。
 一方、カンの一日違いの弟であるゲン。さえずりの練習はがんばっているが、ヒナ換羽は進まず、依然として迷彩模様だ。カンとの対比が面白いので、しばらくそのままでいてくれても良いかと考える。

 モレは孵化2ヶ月半でも、ぐぜりの兆候が見られないので、少しメスの可能性が強まってきている。カンがメス、ゲンがオス、オッキはまだわからないが、何となくオスのような気が・・・。そうなると、カンとオッキ、ゲンとモレを将来的に夫婦にしたいところだが・・・。これについては、一波乱二波乱必至ではないかと思われる。先は読めない。

 おとなの文鳥たちにとって、真冬は心配な季節に違いないが、今年は平穏だった。
 ブレイの腫瘍は相変わらずで、さらに大きくなってきている。しかし、この頭大に赤く首筋にある腫瘍は、見るからに痛々しいが、ブレイ自身には気にならないようだ。今のところ行動に影響は見られない。このまま、何となく普通に行動できればありがたい。
 
 最近、GB社の鳥カゴを扱う店が、近所に無くなってきた。もう一回り大きい鳥カゴが個人的な理想だが、大きさが適当なもの(マルワなど)は、カゴの上部が開かないので、繁殖期に箱巣を使用する我が家にはむかないようだ。結局、GB社に取扱店を教えていただき、鳥カゴ3台と底網(アミスノコ)10枚を注文することにした。底網は錆びやすいので、一ヶ月に一回くらい取りかえつつ使用するつもりだ。

2004・2
文鳥その他で益々にぎやかな『きっかけは文鳥』、シナモン文鳥の生き生きした姿が必見の『あじわい文鳥』、将来にむけ気合いの入っている『文鳥命!桜の部屋!』、3つのホームページとリンクさせていただきました。

 検査漏れで誕生したナツとノロの子モレは、人間家族の入院のため、数日さし餌間隔が広くなるという不運にあいながらも、順調に成育していった。ただ、右脚の外指の先が欠落しているのが、数日経ってからわかった。先天的なものか、育雛中に剥落したものかわからない。
 ちょうど顔つきや態度が、初代のヘイスケのヒナの時に似ていると思っていたので、因縁話にしたくなった。ヘイスケは、自分の孫のクルの指、ちょうどモレに欠けている右脚外側の指をかじってしまい、結果的に再生不能にしてしまったことがあったのだ。モレが生まれ変わりなら、因果応報である。そのようなことを、信じる気もなく考えてみると、検査漏れでヘイスケの遺伝子を持たないモレに、非常に親近感がもてるから、ものは考えようと言うところだろう。
 夜遊び大好きのお気楽ナツと、のろまのノロ、という両親から生まれたモレには、当然天然ボケのキャラが期待されるところだったが、実際はまったく反対だった。餌づけ当初はなかなか口を開けなかったし、一人の人間から(私)から餌づけされたので、大きくなると他の人間を警戒する。やや神経質なのだ。しかし、そのように人見知りをしながら、育ての親である私に呼ばれると飛んでくるから、賢い!自分だけ特別だと思えるほど、飼主としてうれしいことはない。
 利発なモレは、孵化35日目にひとり餌となった。粟穂が大好きで、実にキレイに余すことなく食べる。お行儀がよい。やや小柄だが、頭が小さく均整のとれた体つきをしている。さらにどのように成長してくれるか、楽しみなところだ。

 一方、生後3ヶ月を迎えた7代目のカン・ゲンはヒナ換羽中で、ゲンはぐぜり続けている。個人的にはヘイスケ流(ウグイス的さえずり)を再興したいので、オスかメスかわからない時から、「ピー・ピピヨン」と口笛を聞かせ続けている。ところが甚だ遺憾なことに、ゲンの心をとらえることは出来なかった。彼はブレイのさえずりに心引かれ、日々ブレイにまとわりつくようになった。
 ブレイ流は飼主の意向に反して我が家の主流だ。我が家で生まれたオス3羽(グリ・ガブ・オマケ)はみなこの流派に属する。ぐぜり期間養子に出されていたオマケまで、ブレイ流だ。小さい時に脳裏に刻んでいたのだろうか、実にいまいましい程の影響力を有している。その魔力がゲンにも及んでしまったわけだ。
 不思議なことに、グリ・ガブ・オマケがさえずっても、ゲンは無視しているが、ブレイがさえずると喜んで聞きに行く。元祖のさえずりはひと味違うらしい。・・・それにしても、ブレイはオスにはもてる。さえずるとオスが群がり、メスは逃げる。
 ゲンはせいぜいブレイ流の奥義を究めてもらうことにして、まだ性別のわからないモレにヘイスケ流の口笛を聞かせることにした。

 さて、5代目ゴンと婿キタの温める一つの有精卵は、予定日の14日に孵化した。ゴンは以前セーユと同居していた際に、育雛放棄?したことがあったので、今回も育てるかどうか懐疑的だった。しかし、夫のキタがえらいのか、子育て上手の遺伝子が目覚めたのか、何の問題もなく育雛してくれた。
 そのヒナは、孵化10日も過ぎる頃になると、箱巣の中で妙に存在感をただよわせるようになった。今まで見てきたヒナの中でも、一番大きい印象・・・。前のモレが小柄だったので、その印象が残っているのかもしれないが、どうも箱巣が狭く見える。もっとも、父親のはずのキタは普通の体格だが、母のゴンは30gくらいある大柄な文鳥なので、母似なのだろうと考えつつ、孵化16日目、餌づけのためフゴに移す際に体重をはかると、27gが表示された。そのうは満腹状態だったが、それにしても孵化16日にして、成鳥の平均体重というのは立派だ。かなり大柄な文鳥になりそうだ。大きなヒナなので、名前はオッキにした。
 大きいオッキは、餌づけで食べる量も割増しで、順調に体重を増やしている(孵化21日目に30g)。口元の馬蹄形のパッキンは立派で、大きく口を開けて食べる。今のところ未消化便にも縁がない。さらに大きくなるかもしれない。大きくなりすぎると、脚元に不安が出てくるのではないかと少し不安を感じつつも、とりあえず、大きいことも良いことだと考えておくことにする。

 おとなの文鳥たちでは、相変わらずブレイの腫瘍は目立っているが、水浴びする、ケンカする、メスには言い寄る、オスにはつきまとわれる、と生活に変化はない。同居しているクルが、母親のチビに似てきて、行動が鈍いほうが、むしろ心配かもしれない。
 あとは、6代目のセーヤが卵詰まりのような症状を見せたのが、気がかりだ。どうも、産卵が重たい体質のようなので、もうしばらく注意が必要だろう。

2004・1

 2003年の師走はそれなりに忙しかったが、文鳥との生活では、7代目のカンとゲンを遊ばせながら、のんびり過ごすつもりだった。中旬にはゲンがグゼリを始め、ほぼオスと確定したので、何とか口笛のマネをさせようと、努力しなければならない、と勝手に決意していた。この「ピー・ピピヨン」と頭の中でヘイスケ流の口笛がくり返される能天気な状態に、ガツンと衝撃が襲ったのは15日の朝だった。
 エサを取りかえていると、どこかで「シイ・シイ」とか細い声が聞こえる。・・・もう間違いなく孵化したてのヒナの鳴き声だ。

 『そんなわけはない。卵は擬卵と取りかえたはずだ!』
 『まてよ、そう言えば2週間ほど箱巣をのぞいて検査をしていない・・・』
 『しかし、それは産卵が終わったからだろう!』

 頭の中で議論しても仕方がない。現実は現実だ。あっさり現実を受け入れて、誰の箱巣から声が漏れてくるのか耳を澄ます。・・・ナツとノロの箱巣からだった。少し安心する。もしブレイとクルの卵が孵化したら、超近親になってしまう。
 箱巣のふたを開けて確認する。また、ずいぶん小さな赤むけイモムシが一つ。他は擬卵だ。ナツは一週間以上かけて2個、それも小さな卵しか産まなかったので、産卵する気がないものと思っていたのだが、思い出したように産み足したようだ。油断のならない奴だ。
 生まれたものは仕方がない。あとは夜遊び鳥のナツと天然ボケ鳥のノロのお手並み拝見と覚悟を決める。

 7代目のカンとゲンは、それ程イタズラもせずに元気に遊び、甘えん坊のゲンも手のひらで眠ることがなくなったのはさびしいものの、水浴びをしたり、100円回転鏡まわしに挑戦したりして、楽しませてくれる。
 気がかりな最長老のブレイの腫瘍は大きくなっているものの、今のところ生活に支障はないらしく、相変わらずさえずり、怪しくメスに言い寄っている。カンとゲンの食べ残しの湯漬けエサが好きで、放鳥時間に食べるので、その中にメシマコブだとかアガリクスとかいう腫瘍に良いとされるキノコ粉末を少々混ぜてみる。何もしないのもしゃくだからしているだけ、気休めだが、ブレイ自身には悲壮感がないので、こちらも深く考えないことにしている。

 若者の生き生きした姿と、老骨の病んだ姿を見ながら、耳元に入るヒナの声は大きくなっていった。前夫ヘイスケの存命中は、育雛をかなり夫に頼っていたナツだったが、今度の夫は頼りないので、心を入れ替え頑張っているようだ。その頼りない夫のノロも、段々自覚が出てきたようで、それなりに手伝うようになっていった。「最近まで人間の指に射精していた奴が父親になるとは・・・」、飼主としては感慨深い。
 年末には、そのヒナを引き取らなければならなかったが、人間たちは、元旦に毎年恒例の用事があった。小さいうちに、フゴで移動するのは避けたい。孵化17日目になってしまうが、元旦に用事を済ましてから引き取ることにした。
 ところが結局、元旦は家族の者の発熱で用事はなくなり、午前中から引き取ることになった。ナツとノロには、さほど不満はなさそうだったが、ヒナ自身には予想通り不満があったようだ。すでに目がはっきり開き、羽も生えてきている彼は、「お前など親ではない」とはっきり意思表示をした。つまり口を開かない。
 仕方がないので、クチバシをこじ開けて強制給餌する。無理矢理は良い気分ではないが、有り難いことに、夜には少し口を開けてくれるようになった。名前は、検査漏れで生まれたので、『モレ』と呼ぶことにした。翌日からは餌づけにも慣れ、理知的な目でこちらを見ている。その様子に、初代のヘイスケのヒナ時代を思い出した。

 2日、ゴンとキタの7個の卵を検卵する。ゴンは正統な5代目で、性格はともかく、その外見の素晴らしさは『桜文鳥の極致』と、飼主が勝手に思っている文鳥なので、その子孫は出来れば残したい。・・・前回は全部無精卵だったが、今回は2個に血管を確認した。
 しかし、すでにカン・ゲン・モレ3羽の若手がいるので、残念だが1個は撤去する。果たして孵化するだろうか。孵化したところで、あのゴンとキタに育てられるだろうか。育ってくれたら、カン・ゲン、それにモレとどんな関係になるのだろう。いろいろ楽しみと言えば楽しみ、心配と言えば心配な、2004年になりそうだ。

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