過去のノート
2011・12

  偲ぶ余裕はなかった。
 謎の手のり文鳥サカは、人間にも文鳥にもフレンドリーだが、その風変わりな鳴き声のため、すべての文鳥に無視されてしまった。そこで、やむなくと言うより、真実は面白がって、飼い主が口笛でさえずりのアレンジを指南している。
 「ピィーヨーピィッ!ホッポコチーヨ・ホッポコチーヨ・ホッポコチーヨ・・・(エンドレス)」といった口笛を、おそろしく真面目に聞き入り、人差し指を甘がみしてくる、このすでにサカ坊と愛称で呼ばれる彼が、文鳥と友情なり愛情なりを育めるまでに更生するだろうか。まだ、未知数と言わざるを得ない。
 その点、完全無欠の非手のり文鳥タネの方は順調だった。すでに完全にイブとペアとなっているのだ。ただ、まだ産卵の兆候はなく、テーブルに降りてエサを食べることもなく、自分でカゴに帰ることも出来ない。我が家に溶け込むには、まだ時間がかかるだろう。
 より早く我が家にやってきたヨビは、テーブルに降りて来られない点でタネと同じだが、早々に産卵を始め、あのシンさんを、真面目な夫に変えてしまった。いや、変えてくれたと言うべきか・・・。
 もっとも、正確には、勝手に変わったのだ。シンさん、やたらと真面目に抱卵に勤しみ、結果、今までの生活とのギャップに身体的バランスが崩れたのか、パニック症候群のような引きつけ症状(「てんかん発作」)を起こすまでになった。
 この症状を持つメイは、同じお店でペアとして売られていた文鳥なので、おそらく両者は血縁関係にあり、そうした症状を起こしやすい一族の出身なのだろう。つまり、ノホホ〜ンと独身生活を続けたほうが、この症状を抑えることが出来ていたかもしれない。言ってみれば、ノーストレスのアッパラパ〜状態である。しかし、やる気満々に真面目な家庭生活を始めた彼を、否定するわけにもいかない。
 ただ、残念なことに、最初の卵はすべて無精卵であった。そして、早くも2回目の産卵周期に入ったヨビは、難産(卵づまり傾向)となってしまい、その後、産卵が停滞状態となってしまった。したがって、シンさん2世の誕生は遠のいている(跡継ぎのアトはいるけれど)。・・・まあ、気の済むように、頑張ってもらいたい。
 ノコリとトミ、マナツとクリ、この我が家生まれ同士の新カップルには、特に問題もなく順調だ。
 初回のノコリ・トミの卵は有精であったが、飼い主側の都合で孵化を見送り、現在2回目の抱卵中。順調に行けば、クリスマス前に孵化するものと思われる。
 孵化して、さらに育ってくれたら、我が家の14代目だ。とりあえず「ニチィ」という名前を用意して(二七・ニシチは十四。チーは中国語でもある)、誕生を待つことにする。
 産卵期で難産となり心配なのがイッツ。幸い、昼までに産卵したものの、その後様子がおかしくなり、無気力でボッーとしており、12月3日夜には、箱巣にいるのをつかみ出しても抵抗しないくらいで、驚かされた。
 その際は、エサを食べていないようなので、はちみつ水を2滴飲ませ、急変しないかと心配したが、翌朝にはエサを食べるようになり、ボンヤリした様子は残っているものの、徐々に正常になってきている。
 産卵は卒業してしまえば良いと思うのだが、飼い主が望んでもそうはならない。困ったものだ。

2011・11

 何ともめまぐるしい一ヶ月であった。
 基本的には、未婚のマナツ(♂)、トミ(♀)、クリ(♀)と、連れ合いを亡くしたノコリ(♂)とミナ(♀)の5羽で、自然にカップルになっていくのを待てば良いと思っていた。ところが、12日、マキの急死で事態が一変する。
 マキは、翼が垂れ動きが若干緩慢になるといった前兆があったものの、産卵前にはそういった状態になる体質の文鳥で、なおかつ毎晩遊び暮らしていたので、さほど重大に考えていなかった。従って、その遺体を発見した時は、意外であり、大いに驚かされた。そして、彼女の偉大さを、死後に思い知らされることになったのである。
 
 亡くなったマキはイブの愛妻であった。イブは我が家の11代目の正嫡だが、他の文鳥をサーフィンのボード扱いする乱暴者。つまり、基本はわがまま気まま好き勝手のおぼっちゃまだ。マキはその夫とうまく付き合っていた。さらに、マキには、彼女のことを一方的に慕うシンという変態文鳥もまとわりついていた。
 シンさん。真っ白で体格が良く、ぶ厚いアイリングと整ったクチバシはいつでも真っ赤かのピッカピカという、ビジュアル的には超をつけても良いくらいの二枚目だが、性格は三枚目以下で変態の文鳥。世の中実に面白く出来ていると実感させてくれる彼は、マキにまとわり付き、繁殖期には抱卵中の箱巣の中に押し入り、思い切り噛まれて「ギャ〜!」と逃げ出すのを日課にしていた。これは、世に言うところのM、マゾ、つまり苛まれることを喜んでいるのではないかと疑られよう。また、その「夜這い」行為にしても、彼の場合、生殖行為を目的にしていない。何しろまとわりついても、さえずるわけでも交尾を迫るわけでもなく、噛まれて逃げ出すような次第なので、単に添い寝したいだけだったとしか思えないのだ。・・・これは、やはり変態だろう。
 その変態紳士(性的にはプラトニックなので紳士かと・・・)が、その奇妙な愛情をぶつけるマドンナであったマキが、突然姿を消してしまったのだから、どのような方向に行動を起こすのか、飼い主は戦慄を覚えずにはいられなかった。だが、シンさんは問題を起こさなかった。本命を絞らず、手当たりしだいにメスにアタック(と言っても付きまとうだけ)はしたが、我が家のメスには白文鳥はモテず、まるで相手にされなかっただけにしても、少なくとも、ノコリとトミ、マナツとクリ、それぞれ徐々にカップルになりつつある若者たちの邪魔はしないでくれた。
 邪魔をしたのはイブだった。飼い主イチオシの白文鳥の独身ミナは、まるで相手にせず、実の孫であるトミを後妻にしようと誘惑を始めたのだ。そこで、飼い主の方は、後妻候補の文鳥探しを開始することになった。

 13日、みなとみらいのホームセンター。17日、京急線梅屋敷のペットショップ、川崎の百貨店、神奈川のガーデンセンター。18日、相鉄線天王町の金魚店、星川のホームセンター。20日、横須賀線武蔵小杉のペットショップ、東横線新丸子のペットショップ2軒、日吉のスーパー、そして地下鉄センター北の大型ペットショップで、ようやく1羽の桜文鳥(♀)を購入した。
 この店からはたびたび迎え入れているので、地名や店名にちなんだ名前を付けられず、急死したマキの代わりになって欲しいという願いを込めヨビと名付け、数日の隔離を経た24日に、イブと同居させた。ところが、我がままイブのお気に召さず失敗。夜の放鳥時に、メスならとりあえず誰でもナンパするシンが接近し、お店で多数入ったケージで展示され、白文鳥に対する偏見のないヨビに逃げられずに済んだ。それに気を良くして、誘い込もうとしたのか、見せびらかしたかっただけなのかはわからないが、シンさんはヨビに「流し目」をくれながら放鳥部屋の箱巣の周囲をウロウロし始めた。
 『デートどころか自己紹介も無しに、住宅展示場に女の子を誘ってどうするつもりなのか!』と飼い主は、ヒト事ながらやきもきしつつ見ていたが、26日になって、ヨビがシンさんの後を追って飛ぶようになったので、同居させた。

 つまり、何の解決にもなっていない。イブは相変わらず孫娘に入れあげたままなのだ。その間、ノコリとトミを同居させて、イブをあきらめさせようとしたが無駄であった。そこで、ペットショップ巡り再開。
 29日、蒔田の鳥獣店、横浜橋のペットショップ、石川町の小鳥屋さん。どうにも手応えがないので、イブとミナを同居させてみたが、うまくいくはずも無くケンカ別れ(イブが徹底的に無視し、一晩無視され続けたミナがキレた)。
 そうこうする内に、トミが産卵を始めた。抱卵するようになればイブとの付き合いも薄れると思い、慌ててイブの相手は見つけることもないと思い始めた5日、「発見」したのであった。数週間前に冷やかし、桜文鳥の成鳥が手薄であったお店に、新たに入荷があるかと、みなとみらいのホームセンター、続いて京急神奈川のガーデンセンターへ行き、あまり期待していなかったそのお店に、桜文鳥のペアを見出したのである。
 ペアで9千円と値札がつけられたカゴにいる2羽の桜文鳥。上段の細すぎる止まり木の右に小ぶりながら頭が丸く濃い色合いに白斑が適度に入り、胸のぼかしも美しい文鳥。一方、カゴの底の左奥に、頭に筆毛の生えた少々眠たげな文鳥。こちらは、換羽中だが、ほとんど白い差毛のない桜文鳥になりそうだ。どちらも、容姿的な問題はない。イブの好みは濃い桜文鳥らしいので、その点どちらもヨビより適合しているはずだ。どちらがメスで、どちらがオスかはわからないが・・・。カゴの中で一番離れた場所に位置どるなど、文鳥の夫婦では有り得ないので、仲が悪く、夫婦、番(つがい)という意味でのペアではないのだろうのだろう。つまり、割高を覚悟してメスだけ購入しても、仲を引き裂いたと罪悪感を感じずに済む・・・、が、ミナと夫婦に出来るオスも欲しい。
 で、ペアで購入することにした。店員を呼び購入する旨を伝え、念のためどちらがオスか尋ねたところ、「輪っかのある方がオス」とのことであった。外見の良い方が、片脚に茶色い脚輪をしている。となれば、この茶色脚輪が、少々鈍く換羽中のメスを虐待しているのだろう。と考えていたら、店員は小鳥用の小さなボール箱に2羽を一緒に押し込んでいた。それは狭すぎるし、仲が悪い場合は危険だろう。別々に入れるように依頼しよう思ったが、家まで一時間とはかからず、その間揺られて落ち着かず、ケンカも出来まいと思い直して黙っていた。
 それがいけなかった。店を出て、駅に向かう途中で、威嚇鳴きが聞こえ、ボール箱内がバッタバッタと大騒ぎになってしまった。一方的に攻撃しているのだ。おそらく『脚輪』の方が。足を止めると攻撃が止む。歩くと始まる。・・・どうやら、振動で体が触れると怒るようだ。これでは、『換羽中』が家まで五体満足でいられるか心配であり、また、謎の音を出す小箱を持って電車に乗るのも剣呑なので、タクシーを拾って帰ったのであった。

 店の名前にちなんで、『換羽中』をサカ、『脚輪』をタネと名付けたが、メスのはずのサカは、その日の内に、カナリアか何か文鳥とは違う生き物を思わせるさえずりを始めた。彼は人間が好きなようで、指をかじる。一方のタネは寡黙で、人間が近づくと逃げる。
 その後もタネはさえずらなかったので、ややこしいことにならずに済んだ。どういった前歴なのかは知らないが、せっかく手乗りと思われる面白いさえずりをするサカを、店に返せるわけがない。わけがないが、オスと言われた方がオスで、メスと言われた方もオスだったとして、オスと言われて買ったオスを返すのは、メスの方が割高な常識に照らして、疑われもしようし、事実であっても交渉しにくい(タネをメスに替えろと言うためには、サカがオスであると店側に確認させなければなるまい)。
 ともあれ、オスとメスなら問題なし。9日に放鳥したところ、サカが完全な手乗りであることがわかり、タネの方は早速イブと仲良しになり、即座に同居するようになった。まずは、めでたしめでたしだ。

 これで、この数ヶ月亡くなった、カナ、デコ、スミ、マキを落ち着いて偲ぶことができよう・・・か?

2011・10

 10月6日午前11時過ぎ、スミが飼い主の手の中で亡くなった。
 この死は容態の推移から、数日前からはっきりと、それ以前からでも薄々は予想されたものであった。しかし、それにしてもまだ若く、残念なことであった。
 7月に下腹部が膨れて飛行困難になってしまったので、動物病院へ行き、穿刺して腹水を抜いてもらったが、その後も完全復調には至らなかった。幸い腹水は再発しなかったものの、抗生剤の投与が終わってから一時呼吸器症状が現れ、それが止んだ後も、ごくゆっくりではあったが衰弱傾向で、ミカンなどに異常なくらいの食欲を示していたものの、クチバシの色は冴えず、体も膨らまし加減となっていた。また、時折、調子を崩した文鳥に特徴的な、カゴの底の隅で光の指す方向にむいてじっとしている様子が見られた
(何故そうするのかはわからないが、高い場所にいるほうが安全なため、休む時はなるべく上方に移るのが自然なので、異常な行動と言える)
 飼い主の目には、腹水は派生的な症状に過ぎず、根本的には何らかの内臓疾患を抱えた状態に見えたが、病院には行かなかった。行っても変わらないと素人判断したためばかりではなく、腹水治療の際の様子から、通院には向かないタイプと見なしたためだ。スミは非手乗りながら、飼い主に捕獲されても甘噛み以上のことはせず、点滴投薬する際も噛まないおとなしい文鳥なのに、飼い主以上に小鳥扱いが巧みな獣医さん
(私の判断では完全無欠の名医)に対して、思い切り噛み付いていた。飼い主が劇的な回復を期待していないにもかかわらず、スミや獣医さんに痛い思いをさせることもないだろう。
 衰弱しつつの異常食欲状態、これは経験に則すなら、「必死の闘病」を意味するケースであり、その目で見れば凄絶ではあったが、小柄で基本的に愛嬌のある文鳥だったので、どこかユーモラスであった。それでも、2、3日前には目つきが気だるそうなものに変わっていたので、事態は切迫しているようには思われた。従って、前夜の放鳥ではまだ飛び回ることができていたものの、カゴの隅で片翼を広げ加減で、今しも痙攣を起こしているかのような姿を見出しても、驚きはなかった。
 最期に食べないまでも感じ取らせてやろうと温州ミカンをむいている間に、脚を伸ばすようにして亡くなってしまったのは
(この姿勢になることが多い)、少々心残りとなった。また、そもそも非手乗りなので、取り出さず放っておいた方が良かったのかもしれない。・・・それも出来まい。ともあれ、合掌。

 飼い主に多少の感傷はあっても、文鳥にはない。否、正確にはあるのだが、我が家のように新しい伴侶候補がいるような環境では、感傷を覚えている暇などないと言った方が正しいかもしれない。つまり、伴侶を失って元気がなくなるのは、当たり前だが慣れ親しんだ伴侶がいないからで、新たな伴侶候補がいれば、それにアタックするのが健常な生き物のあり方なのだと思う。
 ノコリも、こうしたポジティブシンキングの文鳥の例外ではなかった。その日の夜の放鳥時には、ガールハントを始めたのであった。
 ノコリの後妻候補は多い。若くて未婚のトミとクリ。同じ年頃で未婚のケコ。隣カゴの年上文鳥ミナ。4羽もいる。このような恵まれた状態など、前代未聞だ。飼い主の予想では、既にボーイフレンドのいるクリと文鳥に興味のないケコは候補除外、スミが桜文鳥だったので、白文鳥のミナに惹かれる可能性が低いとして、名前もスミと似ているトミが本命であった。これなら、あまり波風が立たない
(トミを愛ジンと見なしているアトだけが泣くことになる)
 ところが、スミの生前にはノコリに興味を示す様子が見られたトミなのに、スミの死の翌日ノコリを襲った。つつき、脚をかじり、追い掛け回しと、散々な為されように、ノコリの方が完全に怖気付いてしまい、この両者のカップリングは困難なものになった。
 このトミの奇っ怪な行動に対し、「永遠のライバル」クリの方は、魔性であった。ノコリの実子マナツをボーイフレンドとしながら、マナツを横に置きつつ臆面もなく、ノコリに接近するようになったのだ。まさに二股、両天秤状態である。

 面白くもあり、困りものでもあり、今後どうなることか、いよいよわからない。

2011・9

 猛暑が案外デコには幸いだったのか、暑い中、わりに元気になり、エサ箱によじ登り食べ、また、夜の放鳥時間になると、「送迎バス」(飼い主の手のひら)を待つようになった。一方のカナは相変わらず気が強く、ヨレヨレながら、放鳥時は張り切って飛び出してきて、他の文鳥たちと互角以上に張り合っていた。
 そして、27日。夜の放鳥時間が半分ほど経過しても、デコが姿を現さない。ついにその日が来たかと、下段のつぼ巣に手を入れると、動かない物体があった。取り出し、死後硬直が進んだ亡骸の目を閉じ、キッチンペーパーに軽く包み、とりあえず放鳥中にすべきことだけを片付けることにした。デコ・カナの鳥カゴを流し場に持ち出し、上下を分離し、下段のつぼ巣を脇に置き、鳥カゴの底部と底網を水洗いしようとしたのだ。
 数十秒後、突然何かが床に落ちた。ネズミ色をした小物体。脇に置いた下段のつぼ巣に、つまり「デコ」の亡骸の奥に「カナ」がいた?狐につままれた気持ちになりつつ、床の文鳥に近づくと、床の上をちょこまかと逃げていく。!、なぜカナが飛べないのか??追いかけつつ、亡くなったのはカナで、逃げているのがデコだと気づく。デコは妻の骸の奥で熟睡していたのだろう。これは有り得そうなことであった。
 有り得ないのはカナの方で、全く近づかなかった下段のつぼ巣の中で何故亡くなることになったのかわからない。とりあえず、下段のエサ箱で食事中に誤嚥したか心臓発作が起きたか、何らかの急変があり、慌てて手近のつぼ巣に入り込み、そのまま絶命したものと想像したが、真相は不明だ。
 体のバランスが崩れてヨレヨレ状態ではあったものの、前夜まで元気に遊んでいたので、想定外の事態であった。合掌。

 妻に先立たれた老衰状態のデコ。すっかり気落ちするかと思ったが、すでに半ば家庭内別居状態だったためか、妻の不在を深刻に受け止めることはなかった。行動に特に変化はなく、放鳥時間に連れ出すと一直線でカナリアシードを食べに行き、水を飲み、飼い主の手の中でうつらうつら眠る。
 そうした行動の中で、手の中にいる時間が長くなったり、動きが鈍くなったり、微妙に良くなったり悪くなったりを反復しながら、全体的には衰弱の一途だったので、亡骸をデコと錯覚するようなことにもなったのだが、そのゆっくりした衰弱は、カナの死後も続いていた。
 9月になるとさらに顕著となり、5日には手の中で感じられる心音も微弱となり
(触ると冷たく感じられる)、翌朝には亡くなっているだろうと思われた。しかし、その予想は外れ、翌6日には鼓動も強くなり、わりに元気に振舞ってくれた。このまま、しばらく持ち直すかと、期待したが、7日には動くのもままならない危篤状態となり、8日朝に亡くなっていた。朝起きて、エサを食べようと巣から這い出でたところで鼓動が止まってしまった、といった様子であった。合掌。

 キューのように、妻に先立たれるや後妻を娶る文鳥もいれば(それも2度!)、夫婦で相前後してなくなってしまうこともある。実にいろいろで、計りがたい。
 腹水の再発が心配なスミ、てんかん症状があり引きこもっているメイ、とりあえずこの2羽の健康が心配なところで、特につぼ巣から箱巣へ切り替えた後は、十分に気を付けたい。

2011・8

 中旬、スミの下腹部が膨れているので、昨年同様に真夏に産卵するものと思っていたら、一週間ほど状態が変わらず、巣に卵は見当たらず、20日になって、けだるい様子が深刻になってきたように感じられたので、動物病院に連れていった。
 当日は台風の影響で断続的な土砂降りという、小鳥にとっては絶好の通院日よりで
(犬猫を大雨の日に連れ回すのは難しいが、小さな入れ物に入れて運べる小鳥は、比較的に容易。従って、動物病院は空いている)、予想以上の静けさで、待合にも診察室にも誰もいなかった。
 奥から出てきた獣医さんが、スミをつかみ出す。その指を、スミが強烈に噛んでいるが、さすが千軍万馬の歴戦のつわものは、文鳥ごときの抵抗には微動だにせず、ポンポンに膨れた下腹部を診て、腹水とされ、穿刺して注射器などで吸引していった。おかげで、スミのお腹はスッキリしたが、再発の危険が大きく、また、朝夕2回5滴ずつ抗生剤を飲ませる必要が生じてしまった。
 その後、翌々日には傷もふさがり、元気も戻ってきたが、一週間ほど経ち、抗生剤をやめた頃に、呼吸器症状が現れ、それが2日ほどで止み、何となくお腹がまた膨らんできつつあり、また色艶も冴えないが、食欲は旺盛でわりあい元気に動き回る、といった状態が続いている。

 夏の暑さが体に合うのか、半身不随とでも表現すべきカナが好調で、毎日の放鳥も欠かさず自主的に出てくるようになった。
 その夫のデコは、まだ6歳未満なのにはっきりしすぎるくらいに老化し、ヨボヨボとしか歩けず、気分の良い日と悪い日を循環させつつ、全体的にはゆっくりゆっくり悪化してきている。少し前まで出来ていたことが、出来なくなってきているのだ。
 完全なバリアフリー化を図りたいのだが、ボンヤリしているくせに繊細なので、大幅な改変が実行しにくい。どうしたものか、いろいろ考えねばならない。

 いろいろで、成り行き次第だが、今年の繁殖期は孵化を目指さず、現状維持を目標にしていこうかと思う。
 

2011・7

  換羽が続くものの、比較的に平穏な日が続いたが、月末になって、マナツとクリが恋仲になるという椿事が出来した。
 それまでお互い気にもしなかったのに、ある日
(25日)に飼い主の左肩でにらみ合い、そのまま恋におちてしまったのだ。詳しくは、マナツがクリを排除しようとして威嚇したのに対し、巨体で気の強いクリが一歩も引かず胸を反り返してにじり寄り、互いに引かずクチバシとクチバシで牽制し合いつつにらみ合いになり・・・、マナツの目付きが突如変わって、クチバシを飼い主の方に擦り付けるようにする「羞恥のポーズ」を始め、それにクリが喜び、一緒に飛び回り始めた、のである。
 かくして、マナツをめぐって熟女のミナと小娘のクリが対立する三角関係となってしまった。この関係は、予断を許さない。
 一方、気の多いトミは、どうせ気が多いなら「マナツと付き合え!」、との飼い主の強い勧めだけは無視し、現在イブ、ノコリ、ポン、ラックなどに色目を使い、そしてアトから求愛を受けている。祖父のイブは現在女房のマキが換羽中で浮気心が働いているらしく、またアトは、妻が引きこもっているので、放鳥時間に浮気しようという魂胆だ。どちらもろくなものではなく、まったく予断を許さない。
 どのようにすれば、健全なカップリングが可能なのか、解決方法が思いつかないでいる。悩み多き夏、そして秋は目前だ。困ったことになってきそうで、・・・楽しみだ。

2011・6

 

5月の初めに暑い日が続き、文鳥たちも換羽期に突入、8日には『文鳥団地』の温室ビニールを撤去した。
 ハルに変化が起きたのは10日夜であった。血色が薄く眠たげで体が重い倦怠症状が現れたのだ。換羽前によく見られる状態なので、とりあえずそれと考えていたが、極端に悪化はしないものの回復もしない。羽をふくらませる姿勢は見られないものの、カゴの底で陽の射す方向に頭を向けて、うつらうつらしている姿は、衰弱傾向を示しているように思えた。
 13日朝、以前、内蔵炎で通院して処方された薬で急激に回復したヤッチのケースに習って、病院に連れていくことにする。通院の準備をし、午後になって小さなカゴにハルを入れ、そのカゴを買い物袋に入れ、上に黒いタオルを乗せて出発。カゴの中には、水と配合餌を設置してある
(水は少なめにしてティッシュペーパーを入れる)
 久々の病院は千客万来で、病院の前に犬、キャリーにウサギ、キャリーに子猫の3人が並び、中のせまーい待合にぎゅう詰め状態で何と6人もいる。・・・、この病院にしては混んでいる。「診療費が安いから、近所のガラクタ犬やガラクタ猫が来るのだ。犬医者などそこらじゅうにいるのに・・・」といつものように内心考えつつ、文句を言える筋合いではないので黙って並ぶ
(個人的には診療費は倍でも良い。鳥医者は選択の余地がほとんどない。値段よりも自宅からのアクセスと腕前が重要)。そして後ろには、ネコ?セキセイインコ・・・、と、どんどん並んでいく。緊急性がなければ遠慮したいところだが、止むを得ない。
 よく見ると病院の入口に貼り紙・・・、否、手紙が貼り付けてあった。内容は病院の入居する集合住宅の住人からの苦情で、順番を待つ患者の飼い主たちが、飲み食いしたものやら犬の糞やらを、自転車カゴに捨てていくといったもので、しっかり監視するように要求していた
(文字や文面からはあまり教養が感じられなかった)。そのような輩を見かけたら、私は殴ってやることにするが、この病院の獣医さんは忙しいので監視するのは無理だろう。そこで、手紙を貼り付けて注意を促し、なるべく外に並ばぬように、待合を思い切り無理して6人掛けにしたわけか・・・。
 それならそれで、ここに棚でも作ってこれをしまって・・・、などと待合にすし詰めになりながら考えて時間をつぶす。他の飼い主と話をする気はない。どうせろくなものでは無いと思っているからである。実際、毛並みの悪い犬やら捨て猫だの、さらには猫ケージに牧草を入れてウサギを連れ込むので、ボロボロ牧草まき散らすは、おっちゃんおばちゃんねえちゃんあんちゃん、よく見れば金髪の異国人までいる。とにかく、積極的に関わりを持ちたいとは到底思えない。いずれ下町の貧乏人か、水商売人の類が多いはずで、悪い人たちではないことが圧倒的だが、苦情を寄せられるようなのも紛れているのだ。すべて知らぬ顔を決め込むに限る
(私が何を抱えているかは診察室に入るまで誰にもわからない)
 1時間30分ほどの時間が流れ流れて、順番が回ってきた。「ご無沙汰しております。また文鳥でございます!」といったようなことを告げつつ診療室に入る。6歳の文鳥君、長らく待ったので豊富にフンをしており、そのフンで糞便検査を受ける
(いつものように無言で取って無言で顕微鏡をのぞいている)。特に何も言われなかったので、菌の類はいなかったようだ。次に捕まってお腹をかき分けられているので、飼い主も一緒にのぞきこみ、「・・・ああ、胆のう腫」といった見立てをした。一部が黒いのである。それも横ではなく縦に楕円形。
 しかし、それは素人判断に過ぎない。余計なことを言わずに、黙って獣医さんの説明を待つ。そして、肝臓に出血があるので胆のうの問題とは一概に言えないといったご説明を受けた。これでも、胆のう腫ではない可能性もあるのか、とわずかに気分が軽くなる。ただ、思い出されるのは、おそらく胆のう腫で亡くなったハルの前妻カンだ。確かに、何度かこういった感じになっていたではないか。『胆のう腫=文鳥にとっての不治の病→近い将来の別れを覚悟』はしておく。
 とにかくハルは朝昼晩に薬を5滴ずつ飲まされる身となった。水は栄養剤系の赤い液が1滴とタウリン粉末が耳かき5杯入ったものだけにするように言われたが、おそらく飲まないので、指示の2倍に希釈し、それでも飲まなかったので、ネクトンで代用し、面倒なのでやめてしまった
(あの赤い液。わずかに苦くかすかに甘く何となく鉄分臭い。慣れてしまえばどうということも無い程度だと思うのだが、やたら文鳥に嫌がられる。所詮、補助的な栄養剤的な役割なので、食欲が減退するくらいならこだわるべきではないと思っている。ただ、いらないと言うと、この病院の場合、さらに診療費が安くなり、儲けがどこにあるのかわからなくなるように思われ心苦しいので、出されたものは黙って受け取ることにしている。それ込みでも、今日の診療費1,900円なのだ・・・)。点滴だけは欠かさなかったが、2、3日すると元気になってきて、反抗するようになった。なかなか飲み込まず、飲んだと見せて、話した途端に首を振って吐き散らすのだ。

 ・・・、血色が良くなり、「どこが病鳥なのだ!」と言いたくなる姿になったが、一週間後に見せるように言われていたので、20日暑くなり混みあう前にと考え、不信感いっぱいの目付きをしたハルを連れ、朝の9時前に出発する。
 今度は外に行列なし。診察中の犬
(黒柴)と待合にセキセイインコ(イエロー)と犬(マルチーズ)。しばらくして後ろに猫(サバトラ模様)、さらに犬(トイプードル)、子猫(アビシニアン)と並んでいったが、この程度は普通だろう。もちろん、すべての飼い主を無視。
 ハル、獣医さんがカゴに手を入れるや、悲鳴をあげて暴れ、捕獲後も絶叫する。『・・・ああ、本性現しているな』と感心して見ていると、「これだと薬やるのも大変でしょう?」と獣医さんが言うので、「元気になるとこうなんですよ。これは」と応えた。
 お腹は、うれしや、きれいになっていた。肝臓が少々目立っているが、先週その下に見られた黒いものがないと言う。打ち身による内出血だったのではないか、といった説明であった。安堵。
 点滴はもはや不要だが、赤い水とタウリンを継続するように言われる。もちろん、「そういったものは、ほとんど与えてませんでしたぁ」などと本当のことは言わないで、聞き流す。さらに一週間くらいしたらもう一度診せに来るようにとの声が聞こえたような気がしたので、露骨に嫌そうな顔で生返事をし、これも聞き流すことにしてしまう。ただ、このままだと「今日はお代はいりません」になりそうなので、タウリンが無いと言って、それを5包出してもらった。それで、800円だ・・・。

 その後、ハルはまた元気がなくなった。しかし、今度こそ換羽で、今現在順調に進行中だ。
 より心配なのはハルの息子デコで、こちらはまだ6歳にもならないのに老衰してしまった。飛べないどころか飛び跳ねることも出来ず、上段の止まり木にすら移れなくなってしまったのだ。お腹に異常はない。徐々に運動能力が低下しており、過去の例で考えれば、ゴンナ様の晩年を思わせる。
 ボケっとしているくせに、カゴのレイアウトの変更には敏感なので、心配したが、日中は下段に取り付けたツボ巣を住処とし、夜の放鳥開始時にエサ箱で待って、手に乗って上段のツボ巣に送ってやるのが日課になりつつある。
 これ以上悪化してもらいたくないが、またいろいろ考えねばなるまい。

2011・5

 生後1年未満の男の子マナツに接近する、5歳以上の熟女ミナ。さらに、4歳以上の中年男シンは、生後半年ほどの小娘トミに恋心を抱いた。ともに、飼い主の望まない状況だが、邪魔のしようもないので放っておいた。
 結果、マナツはミナと仲良くするものの、同居しようとせず、兎角するうちにともに換羽し始めた。つまり、本格的な恋愛関係に発展するとしても、夏過ぎだろう。そして、シンは、また恋に敗れた。白文鳥に興味がないらしいトミに、ほとんど相手にされなかったので、早々にあきらめ、またマキの追っかけに戻ったのだった。
 ・・・やはり夏頃に、マナツとトミの同居を画策し、失意のミナに、再度シンを勧めてはどうか。現在、画策中だ。

 クリはヒナ換羽となり、当然のように凶暴化し、危険飛行を繰り返す『暴翔族(ぼうしょうぞく)』となりながらも、順調におとなの姿に変わっていった。ところが、27日朝、突如飛べなくなってしまった。激しく羽ばたき、自身はいつものように飛んでいるつもりだが、スピードが出ず、曲がってしまって思った方向に行くことも出来ない。
 カゴの底を見ると、6枚も大きな羽が落ちており、当惑しているクリの翼を確認すると、右翼の初列風切り羽が完全に無くなっていた。左翼は健全。落ちていた羽も、折れ曲がることなくきれいな状態であった。つまり、通常のヒナ換羽では生え変わらない風切り羽が、なぜか片翼のみ、それも唐突に生え変わることになったものらしい。
 暴翔行為が不可能になったクリだが、おとなしかったのは当日だけで、翌日からは飛べないなりに工夫し始め、数日後にはある程度飛べるようになった。たくましいものだ。
 このクリも、さえずる様子がないので、まず間違いなくメスだ。メスの出生率が上がって実にうれしい。クリはシナモン文鳥の因子を内包しているので、将来的にはシナモン文鳥の婿を迎え、祖父キュー似で赤目のシナモン、つまり、赤い吊り目文鳥の誕生を期待したいところだ。

2011・4

 クリは順調に成長し、トミはおとなのオスたちにさえずらせては「ギョワァッ!ギョワァッ!」などと嬌声を上げる『ビッチ』化していく11日、あの大地震が起きた。
 横浜市は震度5程度であったが、起震車で経験したのと同じような強い横揺れが長々長々長々と続き、鳥カゴの水浴び器の水はすべてこぼれる、金魚やメダカの水槽の水も半分こぼれる、といったことになった。文鳥たちもパニックに陥ったが、鳥カゴが落ちるようなことにはならず、大事には至らなかった。
 その後、現在に至っても続く余震や関連地震だが、度重なって慣れてしまったらしく、震度3程度では平然としているようになっている。実に頼もしい。

 例によって、「初めてのことなので・・・」などと言いたがる者の多い無能な政府と、原子力が現代の科学力では制御不能のエネルギー源であることを露呈させ、またエネルギー消費を促すばかりで、不慮の事故で需要がまかなえなくなった際の対処も準備せずに(2007年7月の新潟県中越沖地震の際に柏崎刈羽原子力発電所が停止したため、電力供給力が逼迫したのを教訓に、万一に備えていなかった感覚が理解しがたい)、普通に考えれば無謀なことくらい明白は計画停電をわりと平然と実施した愚かな電力会社により、ガス欠で物流が止まり、停電で電車が止まり、工場も止まり、事務業務も滞り・・・、損害軽微で被災地とは言いがたい首都圏の大部分の地域も騒然となってしまった。
 そのような17日。クラが永眠した。徐々に運動能力が低下し、最終的には床面生活だったが、前日まで食欲はあり、朝、床の小さなつぼ巣の中で背眠状態で亡くなっていた。実年齢はわからないが、我が家に来て7年余り、いろいろな一生であった。
 6代目のセーヤの婿として、鎌倉の小鳥屋さんで見出し、女房に圧倒されつつも飄々とかわし、先立たれるや、義父のオマケの後妻
(白文鳥シロ)に略奪愛を仕掛け、代わりに連れてきた桜文鳥のメスをことごとく無視し、根負けして連れてきた白文鳥ミナと夫婦となり、ブランコで片目を負傷してしまい、外傷性白内障となり・・・。子も孫も若くしてすでに先立ち、孫の孫の孫の子(12代目トミ)までいるのだから、年齢的にはまだ生きてくれても良さそうなものながら、大往生だろう。やすらかに。

 そして、あの幼な妻ミナも、いつしか5歳にはなっている。貞女。浮気をせず、実に不自由な夫に尽くしてくれた。が、夫が亡くなれば話は別だ。数日後には元気を回復し、何と、まだ1歳にもならないマナツに色目を使い始めた。
 さらに、4歳の♂シン。いくら嫌われても抱卵中のマキの元に通い、夜這いを試みてはかじり倒され悲鳴をあげるあの変態紳士が
(夜這いはするがたんに一緒に巣にいたいだけで交尾を迫ったりはしない)、ヒナ換羽がようやく終了しようとしている小娘、生後4ヶ月のトミを、恋愛対象とみなしてしまった!わかりやすいことに、トミにまとわり付き始めてから、マキのカゴに近づかないのである。
 マナツとトミを夫婦にしようと考えている飼い主は、かくてはならじと、ミナとシンを同居させてみたが、お互い白文鳥のくせに白文鳥が大嫌いらしく、まったく妥協のない闘争となってしまい、危険すぎて断念せざるを得なかった・・・。

 さて、今後どうなることか、神のみぞ知るのか、神様もそんなことは知らん、のか、とにかく見ものではある。

2011・3

 10日、午後の水交換時、「シイ・シイ・チッチ」と小さく鳴く声が聞こえた。これはヒナの声、さては空耳か、幻聴か、1週間ほど前に卵査察(卵を摘発し擬卵に替える)を実施しているはず・・・、と思ったが、確かにキュー・ニッキのカゴから聞こえてくる。事実は事実だ。耳をふさいでも仕方がない。止む無く、ニッキをカゴから出さないように気をつけつつ、箱巣の中をのぞくと、赤剥けのイモムシ状物体が1体うごめいていた。事実の何とリアルなことよ!
 さて、ボンヤリして擬卵と替えるのを忘れたか、キューの見事な巣のなせる技で、擬卵の下に1つ残っていたか、それは判然としないが、とにかく査察逃れのヒナ、これで4羽目だ。おまけだからオマケ、検査漏れのモレ、残り物のノコリ、となったら、今度はまさかのマサちゃん、よもやのヨモちゃん、びっくりのクリちゃん・・・と、多少投げやりなため息混じりに名前を考えることになった。
 夜、親鳥の留守中に確認したところ、イモムシ君はすでにかなり大きく、孵化4、5日目の姿であった。6日には孵化し、その後気づかれずに成長したのだろう。とにかくびっくりだから、クリと名づけることにした。

 3羽の妻にそれぞれ1羽ずつ子をなしたキュー様は、何しろ育雛の天才なので、クリも順調に育て、21日に飼い主が引き継いだ。その後もぬくぬくと何の不都合も起きずに育ち、3月4日には初飛行するまでになっている。
 クリ、外見は桜というよりノーマル文鳥同然で、頭が大きめでかわいらしく、目に力があり賢げで、毛並みが良く・・・、とにかく「とてつもなく」出来が良い、と飼い主には見える(そう見えないことは未だかつてあっただろうか・・・)。
 今後、「同級生」のマナツやトミとどのような関係になるのか、楽しみなところだ。将来的には、シナモン文鳥と夫婦にして、赤目でキュー様に似たつり目の文鳥を生んでもらいたいのだが、さてどうなるやら。

 13代目のトミは、いまだぐぜらず、ほぼ100%メスと見なさねばならなくなった。となれば、マナツと夫婦にして万々歳なのだが、お互いライバル視しており、トミはマナツの姿を見ると飛び蹴りする(メスなのか?本当に)
 しかし、トミはマナツとそっくりの父ノコリが好きらしく、付いて回っているし、マナツにしても、トミの母であるイッツに心を寄せているようなので、お互いに外見上は好みのタイプのはずだ。案外、お互いを見直して、これから仲良くなるかもしれない。心変わりを期待しようと思う。

2011・2

 元旦以降もカナは時折産卵したが、幸い卵管脱は再発しなかった。夫のデコともども、放鳥時間にカゴから出てこないのが普通になってしまったが、それでも気は強いままで、のぞきにくる他の文鳥たちを威嚇してはつらつとしている。

 イッツとノッチの子、13代目のトミはヒナ換羽中。オスだオスだと思っているのだが、ぐぜりを確認出来ずにいる。隠れて練習している気配もない。
 5代目のゴンは、体格も血色も良くキュッキュと妙な声を出すので、オスだと思い込んでしまい、メスと同居させ大量に産卵して驚いたことがあった。再び同じ轍を踏んではなるまい。メスの可能性を考えて、さらに観察が必要だ。
 メスでマナツと夫婦になってくれるなら万々歳なのだが、あいにく、飼い主を挟んでいがみ合い、永遠のライバルとなっている。オスかメスか、どちらであっても、一筋縄にはいかない未来予想だ。

 最長老のクラは、羽を膨らましても一回り小さくなった印象となり、昼間はカゴの底の隅にじっとしていることが多くなっている。食欲はあり、痩せているわけではないが、覚悟はしておく必要がありそうだ。
 このような状態でも、妻のミナは浮気に走らず立派だが、夫の死後はどうなるだろう。飼い主としては、妻に先立たれた後、ひと妻のマキに夜な夜な夜這いを繰り返す
(こもっている箱巣の中に入り込み、何もせずに居座ろうとして追い出される。人間で例えるなら、夜這いに行って布団の中にもぐり込んで一緒に眠ることだけを望んでいることになる。これはかなりの変態だろう)シンと夫婦になってもらい、あわよくば白文鳥同士の子孫を残してもらいたいのだが、そううまくいくとも思えない。これも成り行き任せだ。

2011・1

 イッツとノッチの子、13代目のトミは順調に成長、12月中旬には飛び始め、下旬には自分で食べるようになり、年末にはほぼひとりエサとなり、元旦から差し餌を一口も食べてくれなくなった。
 性格は父のノッチに似ておとなしく慎重だが甘えん坊で、ごく幼い頃からギョロ・ギュロとのどを鳴らす。・・・オスだろう。やはり。それでもメスならマナツと夫婦にさせたいので、午前中に2羽だけで放鳥させる機会を作っているが、マナツのほうがライバル心を持ってしまい相性は悪そうだ。しかし、怒れば怒るほど、追い掛け回せば追い掛け回すほど、年少の男の子は同性の先輩を付け回すのが文鳥の性
(さが)だ。今後、徐々にそうなっていくものと思われる。

 さて、元旦の放鳥中、久々にカゴから出てきたカナの様子が少し変で、拾い上げると手の中にもぐりこんでしまった。そのままにしておくと、トミやマナツがちょっかいを出してくるので懐手にしまい、さらに手を抜いても懐にこもったままになった。
 しばらくして出てきたが、すぐにまた懐に入り込み、モソモしてからまた出てきた。おかしいな、と懐をのぞくと割れた卵があった。
 詰まり加減の卵を産むことが出来たのなら良いことだと思ったが、カナのお尻がおかしい。赤い。ざくろ状と言うかグロテスクな巨大な肉塊が総排泄穴を覆っている。・・・「クロアカ」とはよく言ったものだ。確かにそんなニュアンスだ。などと悠長な感想を持てるはずもなく慌てる。これは、難産に伴っての卵管脱、それも総排泄腔を含む大きな露出と思われた。
 元旦の夜だ。とにかく自分で押し戻すしかない。金属製の耳かき状のもの
(元々は粘土細工用)が手近にあったので、それでお尻の穴の周囲から少しずつ押し込んでいった。半分程度押し戻したら、「クロアカ」の上から綿棒で押した方が楽そうに思えたのだが、綿棒を取り出すのが手間になりそうなので、そのままの手順を続け、20分ほど時間を要したが、とにかくお尻の穴が回復した。
 その後、フン詰まりと再発と二次感染を恐れているのだが、現在まで発生していない。カナ自身はカゴの外には出てこないものの
(こりごりなのだろう)、よく食べ、水を取り替える手に威嚇するなど、元気そうに見える。ただ、元気なだけにまだ産卵しそうな気配があり心配だ。 

 
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