湯煙紀行 白馬八方温泉「みみずくの湯」の巻





白馬から後立山連峰に登る予定をたてると決まって雨になる。
それも国道が通行止めになるほどの土砂降りの雨である。

八方温泉の存在は、そんな山行中止の時に、この上ない気休めになる。
「みみずくの湯」を訪れたのも朝から降り始めた土砂降りの雨のために
唐松岳を諦めた後である。

八方のゴンドラリフト乗り場から、一本道を白馬駅方面に向かい、
途中の細い道を右に入る。
この辺りには「第一望の湯」、「第二望の湯」といった公衆温泉場があるのだが、
少し奥まった場所にある分「みみずくの湯」の方が客も少なく
ゆっくり温泉を楽しむ事が出来る。
僕が入った時は午前中の早い時間という事もあり、客は僕一人だけだった。

蛇口のお湯でかけ湯をして、さっそく貸切り状態の湯船に浸かろうと、
足先を湯に着けた。
その途端、僕は「ぎゃーーっ」と大声を出し、50センチほど飛び上がってしまった。

熱い!ものすごく熱い!我慢して入れば、全身火傷で死んでしまう程熱い!

ボイラーが故障でもしたのだろうか。

「さてどうしたものか」と思案投げ首になっていると、壁を隔てた女湯から
突然もの凄い叫び声が聞こえてきた。

「ぎゃーーっ」

そしてドンッという、床に何かが倒れる大きな音。

「どうかしましたか!?」

それまで、静かだった女湯の突然のこの騒ぎに、僕は壁に向かって叫んでしまった。
女湯の方からは反応が無い。だんだん心配になってくる。
しかし、暫くして女性の声が壁を通して聞こえてきた。

「あ・熱いんです!」

どうやら、僕と同じ目にあったらしい。
僕の場合はあまりの熱さに真上に飛び上がったが、彼女は後ろに飛び退き、
その拍子に足を滑らせて転んでしまったのだろう。

「こっちも物凄い熱さですよ」
「どうしましょう?」
どうしましょうと聞かれても困る。

「とりあえず、男湯は僕ひとりなので、洗面器で水を汲んで湯船にジャンジャン入れてみようかと思います」
「あ、女湯もひとりなので、私もそうしてみます」

おかしな事になってきた。
壁を隔てた男湯と女湯で、蛇口から洗面器に水を汲み、湯船にぶちまける音が延々と鳴り響く。

ジャーーー。  ザバン!  ジャーーー。ザバン!

5分ほどその作業を繰り返し、何とか肩まで浸かれる温度になった。
温泉に浸かる前から、全身汗まみれである。
女湯の方からは、まだ懸命に作業を続ける音が聞こえてくる。

ジャーーー。  ザバン!  ジャーーー。ザバン!

2分程して、やっとその音が止んだ。
暫くして隣から一声。

「やっと入れました。」
報告されても困る。

「お疲れ様でした」
一応、挨拶を返す。
「山登りですか?」彼女から問いかけ。
「はい、でもこの雨で諦めました」
「実は私もです」
「どちらの予定でした?」
「栂池から白馬大池まで歩こうかと思っていました」
「残念ですね」
「はい、とても」

声の感じからして20代だろうか。とても感じの良い印象を受ける。
壁越しに取り留めのない話をしているうちに30分程たってしまった。
そろそろ、風呂上りのビールが恋しくなってくる。

上がるとするか・・・。

声を掛けていっしょに食事でも、と一瞬思ったが、それでは野暮である。

「お先に!」 一声掛けて洗い場を出る。
「お気をつけて」 壁越しに声が返ってきた。

外へ出ると雨脚がわずかに弱まっていた。
すれ違いに家族連れの観光客が温泉の入り口に姿を消した。

駐車場に戻り、運転席に乗り込んでキーを回し、火照った身体をエアコンで冷ます。

煙草を一本、ゆっくりと吸った。

それから行き着けの蕎麦屋に向かって車をスタートさせた。


雨の白馬も、また楽しい・・・・・。





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